お嫁さん募集

本の通販ストア - 本、雑誌の通販ならhontobk1でもデータアップされましたね、ということは図書館でもリクエストが可能になったということです。取次は図書館流通センターですから)
追記:コメント欄が長くなりました。一番のお尻に書いていることを、ここに上げました。結局、銭をめぐる世界解釈の違い。ワシは広島の呉に生まれてすごしちょるけん、仁義なき戦い菅原文太の台詞を紹介。「ワシ等うまいモン食うてよ、マブいスケ抱くために生きとるんじゃないの。ほいじゃが銭が無きゃ出来ゃせんのでぇ、 ほいじゃけ銭のために体張ろうゆうんがなんでいけんっちゅうんなら、おう!」
 赤木さんは、文太と同じく、この世は「ゼゼコ」で世界解釈しているわけで、リスクを負っている。いわば、仁義なき戦いを受け入れているわけ。僕はそこまで徹底できない軟弱なところがあるから、「関係性に拠り所」を求めているわけです。「仁義」を信じたいわけ。そこの違いがわかったから、それでいいではないかと思っている。これで、一応、僕の中で決着がつきました。
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希望は、戦争?blog 〜「丸山眞男」をひっぱたきたい Returns〜のコメント欄が熱く盛り上がっており、そちらに長文カキコするには気が引けるし、整理整頓しないと、アタマがぐちゃぐちゃになるし、僕なりにメモします。
◆僕が若い頃に、「ファンファン」とか「スターリン」とか呼ばれていた岡田真澄がパントマイムのヨネヤマママコと毎年契約更新する「契約結婚」なんてやって話題になったことがあります。すぐに離婚しましたけれど、結婚は色々なやりかたがあります。当時、僕自身も本屋のイベントで多少かかわったが、結婚式をネタにしたイベント屋○○女史なんかいて、毎週どこかの女性週刊誌の表紙(美容整形手術を確か5回ぐらいやって週刊誌にその記事を載せることで、手術台をペイしたわけ)を飾ったり記事を書いていたりしていた。そして、週刊誌的に話題になりそうな誰もやったことのない「結婚式」を企画してそれで、メディアを上手に泳ぎ抜いていた女傑なのです。テレビにもしょっちゅう登場していました。彼女にとってsmile smileさんが書いている「自分には、どのくらい高い結納金をふんどるかのゲームに見える。」という結婚に対する認識はなかったと思う。
ただ、それは70年代の話で、一過性のものとして、その女史の風変わりな結婚式のメニューは、この国の風土に根付かなかったということでしょう。この女史がスキャンダルを撒きながらやろうとしたことは、この国の伝統、しきたりを足蹴りにして人工的な「何か」を作りあげることだったと思う。でも結局、80年代に入ると、学校の入学式、卒業式、葬式であれ、結婚式であれ、より保守的なものに回帰した感じがしますね。少なくとも70年代では結納金はカタチだけのものであったと思う。土地や時代によってずいぶん違うと思うが、おおまかに言えば、60年代、70年代はしっちゃかめっちゃかのところがありましたね。
保坂和志『世界はこんなふうにも眺められる』のWEB草思で、「小説でも映画でも、ある表現をほめるときに「新しい」という言葉を使うけれど、社会がひたすら新しさに向かって突き進んでいた時代は、おそらく70年代前半で終わってしまったのだ。」と書いていたが、80年代、90年代そしていまだに、この国は流動化から固定化(保守化)に向かって流れているのだと思う。その沈殿が「既得権益」として腐臭を放ち始めたのではないか。
赤木さんのメディア登場はそのような右は勿論、左であっても「既得権益」を抱え込んで離そうとしない「保守化」の動きに対して「ノン」を突きつけたのでしょうが、だからと言って、60年代、70年代における、例えばSmile Smileさんの言う「自分的には、コミュニティには期待がある。狩猟採集民のバンドとか、ヒッピーコミューン、それにメキシコのコムニダなど。だけど、家族はほしくない。そういう関係性からフリーになりたい。そのためにベイシック・インカムを支持する。」というような60,70年代の僕を含めた(若者)達に共有されていたものに対する共感は一片もないような気がする。赤木さんの実像はスゴク保守的なものとして僕には感じられる。そのあたりは、Smile Smileさんとずいぶん隔たりがあると思う。
実際、同学年の今は紛争写真家になっている某氏は学校を卒業してからキブツに入ってしまった。藤原新也は世界を放浪するわけですが、とにかくこの国そのものを脱構築しようと、「人工家族」、「流動化」を核として「何か」を打ち立てようとしていたことは間違いない。しかし、就職氷河期世代と言われている赤木さん達のメッセージは、そのような60、70年代の若者達とは全然違うように思われる。それがなんであるか、僕ははっきりとつかまえていない。ただ、非常に保守的な心性があるなぁという実感はします。だからこそ、「革命」という言葉を選択しないで「戦争」という言葉になったのではないか、そんな気もするのです。
しかし、Smile Smileさんの

◆自分にとって「お嫁さん」って、家庭内派遣社員なんですよ。派遣元(実家)の家でも派遣先(嫁ぎ先)の家でも居場所がなくストレスだらけみたいなイメージ。自分が手にすることもできず、ほとんどが派遣元の家がピンはねする、たった数百万円ぽっちの結納金で家内労働力としての自分を売るのは、本当に嫌だと思う。それじゃ派遣社員と変わらないじゃないかって思うんです。
◆kuriyamakoujiさんは結婚は関係性の問題とおっしゃる。
自分には、どのくらい高い結納金をふんどるかのゲームに見える。赤木さんの「お嫁さん募集」というのは、世間体のほかに、家内奴隷が一匹ほしい、なるべく安く買いたいという欲求を上手にプレゼンしているのだと思う。自分のプライドのお守りをしてくれるロボットを求めているのでは? という印象を受ける。ただし、「丸山をひっぱたきたい」「戦争」と言うことによって、フリーター問題についてどこまでも無理解であろうとする世間に風穴を開けた。そこだけは応援しています。

成る程なぁと思いました。そしてこの視点は僕にもありますよ。Smile Smileさんの問いを暫く発酵致します。それはそうと、コメント欄にも書きましたが、一昨日、東京の就職氷河期世代の若者から長時間のケイタイがあって、「お嫁さんを見つけてくれ」っていうリクエストがありました。彼は高校中退の中卒で、長年フリーターをやっていたが、コンビニの配送運転手、量販店に商品を卸す営業の仕事を始めて、5,6年、営業主任として年収400万円あります。家賃7万円ちょいとの3DKのコーポに住んで車も一台あって、一人暮らしです。風貌は「さわやか系」です。
ただ、読書・映画などそのような文化的鑑賞の習慣はなく、ゲームもパソコンも興味がなく、長時間、鏡の前で身だしなみを整えたりする政治にも全く興味がないオシャレな青年です。先日、葬式で地方に行ってやはり就職氷河期世代の若者達に会いましたが、ネットショッピングで利用はするが、赤木さん達のようにブログ発信している若者たちは氷山の一角で、全然違った価値観を持っている就職氷河期世代の若者たちが沢山いるんじゃぁないかと思ったしだいです。では、東京の僕の友人に興味のある方はご一報下さい。