恐慌前夜

「お金」崩壊 (集英社新書 437A)

「お金」崩壊 (集英社新書 437A)

 僕の経済知識では心許ないのですが、『オルタ 特集恐慌前夜』(january-february 2009)の青木秀和『「お金」崩壊に突き進む世界経済』記事でこんなことを書いていた。

 米国という国では、たった400人の人間が、国富の25パーセントを握っている。たった1パーセントの人間で、70パーセントの冨を持っている。一番正当なやり方は、このスーパー・リッチが互いに話をつけて、額面的にあるに過ぎない「死んだお金」の取り立てを止めることである。つまり、「ストック(資産・負債)の調整をして、負債を圧縮せよ」ということだ。それをやった時にはじめて、実物経済の方にもっと「生きたお金」が回ってくる。
 しかし、ストック調整は、強欲な金持ちを説得しなければ出来ない。当面は「マネー注入」で突っ走るのであろう。だが、それはどこかで確実に行き詰まる。際限なく「新しいお金」を作り出すという力は、FRBにも米政府にもない。国債を誰かが買い続けない限り「新しいお金」は出てこない。それが続かなくなれば、どこかで通貨価値を減じる形での負債圧縮をやらざるを得なくなる。
 明示的にするか(デノミ)、事実上そうなるかはともかく、私たちは基軸通貨である米ドルの大幅な「減価」を覚悟せねばならない。

 「死んだお金」を政府が買い取って、スーパーリッチのみなさんに国債を買ってもらう。全額国債で支払うと言うことです。そういうことがスムーズに出来ればいいのでしょうねぇ。でも、「際限のないマネー注入による資産水増し(負債圧縮)」で、インフレが極端に進行して庶民の影響は最大となる可能性が大ですね。この局面ではスーパーリッチの負担は最小である。
 「ストック(資産・負債)調整による負債圧縮」をやれば、スーパーリッチの負担は最大となるが、インフレは最小になり庶民の影響も最小となる。
 オバマ政権が1パーセントのスーパーリッチのみなさんに「星条旗の下で痛みを受け入れて下さい」と説得出来るかどうかでしょうね。
 多数決の論理で言えば、99パーセントのスーパーリッチでないみなさんがそのような処方を文句なく賛成するかと言えばそうは簡単ではないと思う。「アメリカンドリーム」が庶民の倫理としてアメリカ文化の共有する基盤に多分なっているから、そんな、スーパーリッチになっても最後は負担を強いられることになるとしたら、今日はビンボーだけど、明日になれば、スーパーリッチになれるかもと、青い鳥を追いかける夢が色あせる。
 勿論、僕はストック調整による負債圧縮をやってもらいたい。政治家の役割があるとしたら、99パーセントのスーパーリッチでない庶民を説得して、スーパーリッチのみなさんに最大の負担を強いる。
 だけど、本誌の連載記事『北京で考える』で丸山哲史が書いているように。

私たちは知らず知らずのうちに、つまり反省的な思考なしに「資本主義」という概念、もしくは「社会主義」という概念をもって、ある社会のあり方を規定してしまうことが多い。(中略)/しかし、この二つの概念を、排他対立的な政治経済体制として表象する思考習慣は、極めて不安定なものだ。30年代の歴史の記憶、つまり29年の世界大恐慌によって打ち出された新たな政治思想の登場は、後にはファシズム/反ファシズムへと整理されてしまったわけだが、たとえばアメリカ発ののニューディールにおける雇用政策、ナチスドイツや日本の戦争経済へ向けた総動員体制下の雇用政策など、その相同性を指摘できる。(p46)

そのような反省的な思考の上に立った政策の舵取りは、確かに難しい。99パーセントの合意の上でという政治も怖いわけです。庶民でも大衆でも僕も含めて残酷でないと言えない。
 ただ言えるのは「資本主義」対「社会主義」という概念設定は恐慌前夜回避のためには問題ありということです。概念設定、思想は残酷さを孕むことは間違いない。

日中一00年史 二つの近代を問い直す (光文社新書)

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