チーコと私の病床日誌(131)

1月3日(木)、晴、午後5時〜7時半、柳町の荒島邸で新年宴会。
1月8日、「さらば文学共同体」を数名の人に送る。
1月9日、午前中、M病院、郵便局、佐賀銀行労金へ。夜8時K君に電話。
1月11日、朝9時過ぎ、Nさんに電話。
1月13日〔日)、曇小雨、午前中、高速道路南インターで長崎皿うどんを食べ、パンを買って、北の金立公園で休憩して帰る。
1月16日、晴、午前中、S病院に行き、車のガソリンを入れて帰る。午後3時からホームへ。トイレに行った後で、部屋でまじまじと私の顔を見てやっと判ったらしい。色々と、こちらの話をしているうち、子供の名を言って元気かと聞いた後、こんどは、お父さん、お母さんは元気かと聞く。これは、いつもの事だが、もう亡くなっていると言っても、又同じことを5〜6度繰り返すのは、すぐ忘れてしまうのだろう。淋しいが仕方がない。もう86歳だよ。また、自作の詩「ちーちゃんへ」を読むと、良かったと云ってくれた。やっぱり、本当に逢いたいのは、自分の産んだ子供、そして父母なんだろうな。