死後の尊厳

一方、日本人独特と思われるものとして、感情的に「体を傷つけられたくない」、「意義は認めるが、自分が提供するのは何となくいや」などの反対理由や、さらに「心身は不可分、来世のために五体を残したい」という人もあり、また「肉親が生前に献体を希望していても遺族として反対する」と答えた人が半数以上もいたということである。

ニューヨーク支社に派遣され、白人社会の中で生活しながら国際的に第一線で活躍している一流日本商社のエリート社員の献体に対する意識調査の結果がこのようである。封建的な因習にしばられ、家族制度が根強く残っている日本国内の各地方の方々に、献体の意義を正しく理解していただきヽすすんで献体をしていただくには、よほどの努力が必要であることを改めて痛感した。

「日本ではなぜ献体の希望者が少ないのか?そしてなぜ家族が献体に反対することが多いのであろうか?なぜ本人の意思(遺志)を尊重して献体を果してあげようとしないのであろうか?」この謎にぶつかり、暗中模索を続けた私は、これに対するいくつかの原因を考えるに到った。羞恥心と凱厭。自分自身あるいは身内の者が、死後多くの人々、たとえば見も知らぬ多数の医学生や研究者に裸体をさらけ出すことに対する恥ずかしさ、死後にまでメスを入れられることに対する憐欄、とくに「身内の者に死んだ後までそんな恥ずかしい思いや痛い思いをさサるなど、残酷でとてもかわいそう」という気持がふっ切れない。

ある種の権威主義的感覚。日本人の献体の精神に対する理解のなさから、「献体なんてそんな恥ずかしいことがさせられますか。家の恥ですよ」とか「社会的に地位も実力もある私がなんで死に恥をかかねばならないのか」という前項にあげた羞恥心とは異質の、個人のプライド(自尊心)、品位、面子にかかわる権威主義的感覚からくる複雑な感情であり、日本人独特の「恥を知れ」の「恥」の意識の反映のような感覚がある。

死後の尊厳。述べたことももちろん個人の死後の尊厳にかかわることではあるが、そのほかに、裸体をさらすだけでなくつぶさに調べられて他の人と較べられ、太っているのやせているの、と品評されるのではないかという猪疑心、さらに肉体は切り刻まれて自己のアイデンティティーが消滅してしまうという気持から、死後に自己の尊厳を傷つけられると恐れる気持。