富士子さんの帯

昨年夏 友人うさぎさん(仮名)の御母様が亡くなりました。
母娘で源氏物語が大好き、応援して下さった方でした。名は富士子さん。
乙女の頃の夢は女優になること、でも時代もあって夢は叶いませんでした。
けれど文才のある富士子さんは随筆家として本を何冊も出版、新聞にもたびたび掲載されました。
一度四国の御宅にお邪魔した折には、ご自身が朗読されたテープを聴かせていただき、
明け方まで源氏物語について語り合いました。
楽しく、好奇心に溢れる富士子さんが、
どんなにか表現することを欲していらっしゃるのかがよくわかりました。
昨年の暑い夏、病をおして富士子さんは上京されました。
源氏物語の語り会に来て下さると、楽しみにしていたのですが
それは叶いませんでした。

うさぎさんは三世代で暮らした四国の実家に
御母様の命日前後の四日間毎月通って一人で総てを片付けました。
処分、処分、そして二束三文で持って行かれる思い出の品々。
その中に沢山の着物もありました。
それらは御母様がうさぎさんに伝えようと大事にしまっておいたものですが、
彼女は着物を着ることはないと言います。
でも母の着物を着て思うことがあって 是非一揃えは持っていてほしいと言いました。
母の着物をまとうと、特別な気持ちがするのです。ふんわり包まれているような。
大名行列が描かれた黒留め袖と二本の帯。
うさぎさんはそれだけを手元に送ったと教えてくれました。

富士子さんが立ちたかったのはもっと大きな舞台だったかも知れません。
でも、次の語り会「胡蝶」の巻で、私は富士子さんの帯を締めさせていただいて舞台に一緒に上がれたら、とうさぎさんに提案したところ、彼女も喜んでくれ、木枯らしの吹く昨夜、帯を受け取りました。

胡蝶の巻は絢爛豪華な六条院の春の日、そして一方で源氏の
玉鬘に対する養父とも思えぬ恋情が揺らぐ巻。
玉鬘は多くの殿方からの懸想文などよりも実の父内大臣にあいたい・・・。

可愛い女の童八人が鳥と蝶に装束し、池に浮かべられた竜頭鷁首の船に乗って
六条院の春の御殿から続く秋の御殿に霞をわけて現れます。
鳥は銀の花瓶に桜、蝶は金の瓶に山吹をさして仏に花を捧げます。
春の光の中、殿方はみな花を求めて恋する蝶、
鳥によそえて自由を夢見る地に繋がれた花々は女君達でしょうか。

女性に自由が許されなかったのは平安時代だけではありません。
富士子さんが乙女の時代も、彼女に自由はありませんでした。
自身の才能を知りながら、ままならない世の中で
紫式部も富士子さんも人生を送ったのでしょう。
まがりなりにも自分の選んだ仕事をさせていただいている幸せを思えば
なんの苦しいことがあるでしょうか。
行くほどに、深くなってゆく淵に我が身を映し、おののき畏れはしても
届けたい一心を大事に持って歩んでゆくのみだと
桐箱の中にたたまれた帯を抱いて部屋に戻りました。

富士子さん、今頃式部と意気投合してるかな。安らかに。


「胡蝶」の巻

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