「『在特会』の正体」雑感:在特会桜井誠よ、自らを語れ

安田浩一氏の「『在特会』の正体」『G2』vol.6(講談社)を読んだ。これまでその活動の表層的な部分しか、あるいは憶測のような形でしか取り上げられてこなかった、在特会のメンバーについて初めて本格的なルポタージュである。在特会が取材を完全許可制にしてしまったため、今後はこのような取材はもう出来ないかもしれず、そういう意味でも貴重である。
■このルポの優れたところは、在特会の活動が排外主義であるなどという以前に、会に参加するメンバーたちの動機について注意深く聞き取ろうとしている点にある。つまり、社会学的な見地からしばしば言われる、「社会経済的に恵まれていないこと」、「保守主義的な態度」といった排外主義の説明要因は一先ず置き、メンバーのそれぞれが、明確に、あるいはふと漏らす「不安」について聞き取ろうとしている点にある。
■ルポに登場する在特会のメンバーに共通して言えるのは、会長の桜井を初め、身近に心を許せる、自分の考えや悩みを共有出来る知人や友人関係が希薄なことであり、会に活動することで初めて「友人」を得たということである。
■率直に言えば、在特会のメンバーがそうした傾向を持っていることは、彼らを少しでもウォッチしていれば誰もが想像するであろうことであり、ある意味では在特会ら自称「行動する保守」を観察しているウォッチャーからすれば、「常識」の範疇に属するようなことであると思う。そういった意味では、安田氏のルポに「驚き」はない。勝手な推測だが、それは安田氏自身も自覚されていることと思う。それは、特に今回のルポにおいて最も重要な箇所といえる、在特会会長桜井誠の来歴についても同様だ。高校時代の桜井のエピソードなどを含めて、それが明らかにされたこと自体は貴重ではあるけれども、やはり「驚き」はない。安田氏自身もそこに力点を置いていないであろう。
■私の考えでは、このルポは在特会、そして何よりも桜井誠に対する「挑発」である。「お友達」の中だけで流通する「知識」や「言葉」でなく、他者とぶつかり合えと。君たちは、一度でもそういう経験があるのかと。思えば、かつて行われたロフトプラスワンのイベントに参加した桜井は「ここには来たくなかった」と言い放った。彼は、「お友達」でない他者とふれあうことを恐れたのだろう。

■さて、それを彼らの卑小さとあげつらうのは簡単である。彼らの言動は誠に許し難いが、それを単純に切り捨てることも出来ないように思う。われわれは、彼らの「不安」を理解したつもりになっているけれども、それを本当に理解し、想像するまでには至っていないのではないか。
■かつて、鵜飼哲在特会について触れた座談会で以下のように述べた。

在特会の若者をどう想像すべきか。向こうは我々のことを想像する努力などしないでしょうが、そこのところでこちらとしては想像する努力をもって対峙することが今非常に重要なポイントになってきているような気がします。『インパクション』174号、33頁

■率直に言って彼らと果たして理解することはできるのか、「キムチくさい」などと罵る連中と対話などできるのかなど疑念はつきない。実際に被害者がいる中で対話などという悠長なことを言っている場合かという意見もあろう。しかし、彼らの活動を法的に規制し、追い込むだけでは、決定的に何かが足りない。今の自分に答えは出せないが、その違和感だけははっきりと述べておきたいと思う。
■いずれにせよ、われわれはまだ、桜井誠のことを理解出来ておらず、依然として謎のままであるということだけは確かだ。桜井よ、自らを語れ。そして対話せよ。われわれは、君とわかり合えないかもしれないが、共有できる何かをきっと持っているはずだ。