PROMISE/チェン・カイコー


汎アジア映画として、「HERO」の後を継ぐ映画である。
真田広之が日本、チャン・ドンゴンが韓国、セシリア・チャンニコラス・ツェーが香港、リウ・イエと監督・チェン・カイコーが中国。
この映画の性質があくまでファンタジーだから成立した汎アジア性かもしれん。
で、スタッフ・クレジットを見て気付いたんだが、本当に真剣にチャン・イーモウ組の人間を採用しないように務めたようだ。
結局プロデューサー他多くの人材は汎アジア・歴史アクション映画の今の流れを作った「グリーン・ディスティニー」に関わった人が多い。
ここにも、チェン・カイコーチャン・イーモウの隠れた嫉妬が垣間見れる。
当然、チェン・カイコーもその映画人生においてチャン・ツィイーマギー・チャントニー・レオンを使いたいはずだが、イーモウの後を引き継いでコン・リーを起用して痛い目にあって以来*1、イーモウ界隈の人材とは接触を断ったのだろうか。


完璧な冒頭5分である。
私としてはこの5分で十分元をとり、涙流し、そして溝口すら思い出した。
そして続く30分はずっと「おぉ」と情けない歓声をあげ続けた。
しかしその後、ドラマが進むにつれて、人物達が感情を露わにするにつれて、映像の力がおざなりになってゆくのはどういうことか。
映像の迫力や官能の割合が、前半に偏りすぎている。


チャン・ドンゴンの俊足キャラを中心として「バロン」、「走れメロス」、「LOTR」、三池崇史「漂流街」、そして「人生は琴の弦のように」を足して割った感じ。
多分に非現実的に作り込んでいることはすぐさま判断出来る。
わざと「絵」にしているカットが多々あり、それが美しい。
「漂流街」のイメージはおそらく、セシリア・チャンの美貌がミッシェル・リーのそれを、ニコラス・ツェーのナルシズム過剰な存在感が及川光博を、彷彿とさせたからであろう。
セシリア・チャンは特に、複数の男達に愛される文字通りのヒロインである。
喜劇王」以来気にはしていた女優だが、こんなに美しくなっているとは。
ま、人工疑惑は晴れ難いけれども。
マギー・チャンつぶらな瞳とミッシェル・リーの美しい顔の造りを兼ね備えた彼女は美しい。


で、美しいといえばこの映画は衣が素晴らしい。
東洋の時代物のいい所の一つに、というか、私にとってはそれが一番重要なところだったりするのだが、布の余り、というか、翻る布の官能、というのがある。
ベルトリッチの「ラスト・エンペラー」の魅力の殆どは、見る者の触覚まで刺激しかねない絹の布の官能だったりする。
私が初期のチャン・イーモウ、特に「菊豆」を支持する理由もここら辺にあるかと思う。
本作の魅力も、布にある、というよりも、着替えること、にあると言った方がいいかもしれない。
リウ・イエの着る烏のような衣装はそれを着る者の生命を左右し、真田の鎧はチャン・ドンゴンに身につけられることで互いの運命を左右する。
鳥篭の様な監獄に閉じ込められたセシリア・チャンに着させられる衣は白い鳥の羽で、ドンゴンが彼女を引っ張ることによって空を飛び、まるで鳥のように見える美しいシーンは涙ものだ。

*1:レスリー・チャン主演で、まだチャン・イーモウ破局する以前のコン・リー助演による「さらば我が愛/覇王別姫」は商業的成功を収めたが、再びレスリーコン・リーコンビ「花の影」を挟んでのコン・リー主演「始皇帝暗殺」はその作品の規模に合った評価を得たとは言い難い