きさらぎ駅奇聞、平成の大合併の悲劇

今回はこの路線で唯一のひらがな駅名のきさらぎ駅に降り立って見ることにした。
ひらがな駅名というとニュータウンなどを思い起こすが、降り立ってみても、駅前には何もない。うっそうと生い茂る藪の向こうは雑木林で、遠くに国道のバイパスからの車の走行音が聞こえる。この駅に何があったのか、背景には平成の大合併が生み出した悲劇があった。
きさらぎ駅は元々は山田駅という普通の小駅だった。この駅の運命を翻弄したのは、平成の大合併である。山田駅のある自治体の木川町は、皿野町、儀山町は合併を構想に入れて合併の交渉を始めた。新市名については紛糾した。そもそもこの3町は大根市という地域の中核となる十万都市の周辺にあり、大根郡に属する自治体であった。このため、郡名を新市名にすることもできず、また大根市を取り囲むような位置にあり、共有できるような川や山や著名な地物もなく、かといって3町の町名のどれかを新市名にする、ということも、名前と庁舎の位置をそれぞれ分ける、ということに繋がるが政治的に不可能であった。頭を悩ませた合併協議会は苦し紛れに3町の頭文字を繋げて「きさらぎ市」という名前を思いつくに至った。そして候補の中に「きさらぎ市」を入れて3町の町民にアンケートを採り見事、新町名を「きさらぎ市」とすることになった。如月は2月でありまだ新年が始まってまもないのでその初々しい気持ちを、とかひらがなで親しみやすい名前を、と理由づけていた。そして、暫定的に庁舎の築年数の浅い皿野町の町役場を庁舎を暫定的な本庁舎とする分庁舎方式とし、人口の多い木川町が合併特例債の期限までに建設する新庁舎が立地するということまで決定した。木川町は町議会会長の所有する山田駅の駅前の土地を、国道のバイパスが通ることと鉄道駅に近い、ということから「きさらぎ市」の新庁舎にふさわしいとの調査結果を合併協議会に提出した。合わせて老朽化した山田駅の駅舎を特例債でコミュニティセンターと合築で建て直すという計画も公表した。JRに対しては「きさらぎ市」の中心にふさわしく「きさらぎ駅」に改名してほしい、と要望しダイヤ改正を機にに実現した。たとえコストを負担して駅名を改称したとしても、それで新庁舎の計画が確定さうれば、という算段だったのではないかといわれる。
しかしここで納得できないのが暫定庁舎も新庁舎も得られなかった人口の最も少ない儀山町である。町内からは合併反対派の運動が起こり、木川町の町議会議長の土地が新庁舎の予定地になった経緯が不透明である、という点をついて反対運動を起こす。結果として木川町の町議会長は引責辞任し、バーター取引を飲んだ皿野町の町長も体調不良を理由に辞職するなどの混乱が生じ、結果として3町の合併構想は破綻した。
しかし、3町とも人口減少、特に周辺部の過疎化は深刻であり、合併なしでの持続は不可能である、という前提は共有していた。対して大根市は合併関連に事業による庁舎やゴミ処理場などの公共施設の建て替えを構想しており、3町に対して合併を呼びかけた。3町は当初は拒否の姿勢を見せていたが、その3町も加盟しゴミ焼却場や消防などを共同運営している大根郡広域組合の事務局は大根市にあり、大根市はもし合併を拒否するなら事務組合を解消するしかないとの要求をしたといわれる。3町単独での事務組合は財政的にも人員的にも不可能であり、大根市の打診を拒否できなかった。結果として、3町と大根市は合併して新生大根市となったが、実質的には大根市による吸収合併の色合いが強かった。分庁舎方式とは名ばかりで大根市の市庁舎に機能は集約され、新庁舎への建て替えこそなかったものの、大根市中心部のダイエーの撤退した店舗への新市庁舎への移転が決定されて、3町の庁舎にかろうじてのこされていた機能も吸い上げられることになった。
このような平成の大合併のごたごたで、山田駅の駅前から国道のバイパスまでの原野は宙に浮くことになった。大根市は3町に公共施設を分散立地させるという構想を打ち出しており、大根市にあった老朽化する広域事務組合のゴミ焼却場をこの地に移転することになった。もうすぐ国道のバイパスからの道路が拡幅され、ゴミ焼却場の建設が始まる。名称は大根市きさらぎクリーンセンターとなることが先月の市議会で決定された。ゴミ焼却場の建設に伴い、当初のコミュニティーセンター併設の新駅舎の構想は変更されて、コミュニティーセンターはクリーンセンターの事務棟に併設となり、古くからある木造の小さな駅舎は老朽化によって取り壊されることとなった。
一部にはホラー話のとして話題に上がることもあるきさらぎ駅ではあるが、実際にはホラー話よりもよほど奇怪は平成の大合併のゴタゴタや、その後の事情のほうがよほど興味深いといえよう。現状の駅舎は来月のクリーンセンター着工に合わせて取り壊されるので、今のこの雰囲気を味わえるのも来月まで、ということになる。