北斎展(後編)_Posted at 12:30

以下美術展のレポートを
そのままコピペ。

・展覧会主催者の意図
門外不出の作品を含む300点/日を展示することで、
北斎を理解する上で
質量ともに十二分な機会を観客に提供した。
作品を時系列に再配置したのは
北斎研究が成果を挙げていることを知らしめるためでもある。

・展覧会全体の構成について
どう考えても、
この展覧会のウリは
葛飾北斎の作品を時系列に再配置して、
彼の作風の変化を
私たちが楽しめるようにした点であろう。
北斎展は
彼のバイオグラフィーと同義と捉えてよいだろう。

同じような作品でも時代によって筆致が異なる。
これは至極当然のように思われるかもしれないが、
実際作品を見比べてみるととても興味深い。
これはカタログの解説にも言及されていたことだが、
「おしをくりはとうつうせんのづ」と
 「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は
構図といい、テーマといいかなり酷似している。
が、
「おしをくりはとうつうせんのづ」の波は
どこかノッペリ張り付いている印象を抱かせ、
思い切りが足りないというか
どこかすっきりしない感じがする。
北斎の特徴とも言える
極端なほどのデフォルメが施されている、
 「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」こそ
北斎っぽい・北斎らしさを私に抱かせる名作と言える。

その人の足跡を辿ることは
未熟な時代を多くの人々に晒すのだから、
本人にとってあまり気持ちのよいものとは
言えないのかもしれない。
しかし、以上のようにどうやって大成していったのか、
そのプロセスを再確認することは
その人を深く理解するのに不可欠な作業である。

その点で今回の美術展の構成は評価できる。


・作品を1点挙げて評価
日月龍図
それぞれ1点だけでも鑑賞に足りる作品。
蒔絵とは対照的に、作品が分断されているために、
作品と作品の間に任意のストーリーを考える余地を与える。
そんな楽しみを与えてくれる。
例えば、
「落陽した後、月を誘うのが竜だった」とか…。
寓話や神話に触発されて、
北斎が作品を描いたことも考えられる。
そしたら、それは日本の古典なのか、中国の古典なのか?

とにかく、
これは妄想や想像を膨らませてくれる作品である。

・鑑賞しての率直な感想。

今回の鑑賞が
厳密な意味での鑑賞と
いえるのかどうかは甚だ疑問である。
なぜなら祭日で
しかも開催最終日であることを加味せずに、
東博に向かってしまったため
実際に鑑賞に割けた時間が40分であったからだ。
これを書くのも実際の作品を見てというよりも、
カタログを見て書いているといった方が正確であろう。

とは言え、実際に作品と自分を対峙させることによって
カタログを見るだけでは
きっと見逃してしまうであろう作品にも
目を配らせることができたのも事実だ。

時間が無くともつべこべ言わずに、
とりあえず生の作品を見るために
足を運ぶことを惜しまないこと、
その大事さを教えてくれた美術展だ。