『ショートショートの世界』_Posted at 18:22

もうおっさんなのだろうか?

最近歌いたい
新譜にめぐりあうことが
めっきり減ってしまって
悲しい限り。
それは
音楽的についていけないというより、
歌いたい歌詞がないという
致命的理由による。


ぼく(おれ)-きみ(あなた)の
簡潔な関係性だけで、
われわれの実社会(恋愛含めて)
は成り立ってないわけで、
どうも
(新譜に多い)
二者だけで展開するストーリーに
飽きがきている。

…というより
歌の中の
ぼく(おれ)-きみ(あなた)と
実際に歌っている
ぼく(おれ)-
その場で聞いている
きみ(あなた)の関係は
本来全く別物であるはずである。
にもかかわらず
特にラブソングにおいて
その2つを
混同してしまう「いやらしさ」が
潜在的にあるようで
歌うのに気が進まないのだ。


私は歌の中に人間のドラマを観たい。
そう思っている。
最近の歌(歌詞)は
「人間と人物は必ずしも同義語ではない。」
(p162)という
ドラマの大原則に反している気がする。



文学の世界で
きわめて小品であるジャンル
ショートショート
歌詞、
両者の肝には共通点がある。
それは
作り手に
「小さな刺激を増幅、誇張、変形する能力」
(p142)が要求されることである。

具体的に見れば
?ショートショートに最も重要な三要素として―
 ・完全なプロット
 ・新鮮なアイデア
 ・意外な結末
 (p20)
?“軽妙さ”“手ぎわの冴え”も
 短い作品であるだけに大きな要素となる。(p24)
…といったところか。


以上の観点でいけば
キリンジの「この部屋に住む人へ」は
いかに秀逸な歌詞であるかわかる。