「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

COLUMN〜天才勝負師の心構えとは?…『19歳の挑戦』(羽生善治)

決断力 (角川oneテーマ21)

決断力 (角川oneテーマ21)

史上初の七冠を達成した将棋界の天才・羽生喜治、37歳。まさにトップ中のトップ、プロ中のプロだ。


その彼の原点ともいうべきものが18年前に日経新聞に掲載された『19歳の挑戦』だ。彼は現状に満足することなく絶えず学び精進を続けている。その姿勢に心を打たれるのと、マリナーズイチローのあり方を彷彿させる。


彼よりもはるかに年上の多くの棋士たちは、この文を壁に貼り、毎日読み、刺激を受けていたという。私もまた改めて背筋を伸ばし、心構えが改まった気がする。(>_<) 長くなるが、その全文を紹介しよう。



初段で棋士となる囲碁界と違って、将棋界では四段になって初めて一人前の棋士扱いをされる。大相撲で言えば無給の幕下から十両に昇進したようなもので、その喜びは大きい。私の場合は昭和60年(1985年)12月が棋士生活のスタートであった。以来、これといったスランプもなく、まずは順調にやってこられただけに、現状に満足する気分にならぬように絶えず自戒している。


 勝負の世界では「これでよし」とする消極的姿勢になるのがいちばん怖い。常に前進を目指さぬかぎり、そこでストップし、ついには後退が始まるからである。私は間もなく満19歳を迎えるが、今から2−3年が棋士として最も大切な「基礎」固めの期間と自覚している。将棋の力も体力と同じで、その基礎は20 代初期までにほぼ固まるもの。それ以降も努力と精進で、いわゆる将棋の「芸」は向上するとしても、基礎的な力の養成にはならないからである。


 情報化社会とかで、世相の変化はめまぐるしいものがあるが、今の将棋の変化と進歩はそれ以上に急ピッチとも言える。これからの10年は、おそらく過去の将棋界の何十年分に当たる変容を遂げるのではあるまいか。

 6歳で将棋を覚え、小学生の頃にプロの棋界の存在を意識した私は早熟と言われた。しかし、将来は6歳以下の幼児たちが、どんどん将棋を指すということになるかもしれない。そうなれば競争はより激しくなり、それにつれて将棋の戦法的進歩のテンポも加速される。その結果、現在の将棋は10年後にはまったく通用しないということになりかねない。


 そうした将棋の進歩に取り残されないためにも油断は禁物、絶えず前向きな勉強が必要になる。その場合も、ある時期集中して研究し、しばらく休む方式より、毎日コツコツと勉強するほうが"新しい流れ"について行くためには向いていると思う。


 プロ棋士にとって理想の将棋は、やはり攻めて勝つことである。といっても理想と現実は別で、実際には受けに回されることが少なくない。現在自分の将棋を冷静に分析すると、"終盤はまずまず、序盤に難あり"ということになろうか。たとえば田中寅彦八段の序盤は実に巧みで、私にはない感覚といつも感服させられる。このままでは「羽生の弱点は序盤だ」と狙われそうなので、序盤の研究は急務と思っている。


 もっとも比較的得意とする終盤についても、ある一つの課題を温めている。チェスでは「エンド・ゲーム」(寄せ)と呼ぶ収束のテクニックがパターン化され、終盤の定跡のようになっていると聞く。この終盤の定跡を将棋にも、というのが、実は私の抱負なのである。駒を取り合うだけのチェスと違って、取った駒が打て、しかも敵陣に入った駒の「成り」のある将棋の終盤はより複雑とされている。しかし、それでも終盤は"読めば分かる"範囲なので、終盤の定跡化はけっして夢ではないと思っている


 棋士になった以上、だれもタイトルは欲しいし、名人位は最大の目標と言える。私自身も奨励会に入ったとき、ちょうど谷川(浩司)先生が初めて名人になり、その晴れ姿に"いつかは自分も"と胸を躍らせたのを覚えている。ただ、名人やタイトルは、努力と実力の産物であって、いくら焦っても仕方ない。これまで2度、タイトル挑戦の好機を逃したが、そのときも"ツキをためていつか爆発させれば"ぐらいの心境でいた。幸い今回、竜王戦の挑戦者になったので全力をあげて戦いたい。


[1989年9月21日/日本経済新聞 夕刊]


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