circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

コルンゴルトセクステットを書くのが1916年。シェーンベルク浄夜が1899年。
コルンゴルト二楽章
https://m.youtube.com/watch?v=51IFHhRpCBY
シェーンベルク浄夜
https://m.youtube.com/watch?v=vqODySSxYpc
どちらも濃厚に世紀末ヴィーンの匂いがするし、わざわざセクステットというあまりない形式を18歳のコルンゴルトが選んだ時点で、浄夜を意識しなかったはずがない。ヴァイオリンのハーモニクスのような澄んだ高い音の使い方は共通している。森の中の夜の湖水がこちらにも見える。
しかしながら、コルンゴルトは12音技法のシェーンベルク以降にしか書けないものをきちんと書いていると思う。つまり、浄夜にはないものがコルンゴルトセクステット二楽章にはある。冒頭の不協和音、半音下降したまま吊り下げられる中、さらに吊り下げられる無調的なチェロの下降メロディ。この不安定からはじまり、4:50には友人が武満のようだ、と言った命懸けの深刻な和声がくる。すぐにそれは愛の和音に転換する(5:15)。そこにあるドラマは、浄夜の14:55の不安から愛の和音への展開と拮抗するような、素晴らしいものであって、私は個人的には、それ以上のものだと思う。
コルンゴルトはもっと無調の瀬戸際を攻めることができるはずの人であった。別れの歌(op14)のとんでもない美しさは、無調と隣り合わせというわけではないけれど、後ろにそれがすぐ控えているという、生きることと生きないことのあいだのリンボのようなところで響く美しさだと思う。でも、その危うさは、「死の都」においては既にない。同じ年の作曲でも、なにか、真剣度が違うのだ。既にコルンゴルトのなかには、大衆がいて、ハリウッドに仮に彼がいかなかったとしても、和声の人からメロディの人になってしまっていたはずである。セクステットとカルテット二番を聞き比べれば、それはすぐに分かる。だから、ナチスのせいだけで、彼が別れの歌やセクステットのような作品を作れなくなってしまったのではない、と思うのだ。無調周辺に遊ぶには、彼はあまりに歌がうますぎた。例えば武満は、確かに、メロディメーカーではなかったが、無調を行き交う中で、波の盆というとんでもない美しい歌(しかしやはり尻切れトンボの、だからこそ美しいうた)にたどり着いたのは、やはり彼が歌心のある和声の人だったからだと思う。一方コルンゴルトは、和声が凄まじくできる「歌の人」だったのだ。