左胸の痛みから、まったく解放されず
途方に暮れる、この頃

本を手に持つことすら、つらい時間帯もあるので
読書もおざなりになっていた
だけど、それではやっぱり、
なんとなく荒んでしまうものだ

そんなわけで、昨夜は、痛みで眠れないのをいいことに
朝方まで、本を読んでいた
雪舟えま『幸せになりやがれ』



雪舟えまを読むのは、三冊目
彼女の小説は、
どれも、メロウだ、と思う
そのまま溶けていって、
原型がわからなくなってしまうくらい

『幸せになりやがれ』を手に取ったのは、
『プラトニック・プラネッツ』の、楯の話が収録されているから
だから、あれくらいを想像していたのだけれど
この本は、さらに、メロウ


「洗濯もペンキ塗りも音楽とおなじだね」わたしはため息をついた。
「え?」
「始まったらいつかは終ってしまう」
「終ってくれなきゃ困る」と父は笑って、わたしの頭にポンと手をのせていう。「人生は時間芸術。お先に」
「おやすみなさい」
わたしは勝手口の前の石段に腰かけて周囲のむらさき爪草をむしる。(『水灯里と縦』34頁)

“人生は時間芸術”
このフレーズに、彼女の言いたいことが
詰まっているような気がする

ふわふわ、キラキラした世界を引き連れて
ニコニコ笑いながら、めちゃくちゃ偏ったままで突っ走り、
読み手をなんとなく押し切ってしまう、パワー
それが文章に宿るのは、彼女自身が人生を、
というか、たぶんなにもかもを、芸術ととらえていて
だからこそ、観察と描写に説得力があるからだ


彼女の小説は、ちょっとシュルレアリスム的だし
前提をスッと置き換えるようなところもあって
ボリス・ヴィアンなどを、思いだしたりもする
だけど、その一方で、
たとえばドラえもんを見ている感覚にも近かったりして、面白い
わたしにとっては、これは
現実に即した、ファンタジー

ただ、ここに収録されている二編にかぎって言えば、
わたしには正直重たすぎて、恐怖が勝ってしまった
読書に共感は、そこまで必要ではないとは思っているけれど
ここまでの愛情、執着、
あるいはもっと単純な、甘味が、わたしにあるだろうか、と
そう思うと、ちょっと、
この本を遠ざけたくなった


紫色の夜空から、雪がいくつもの帯になって降っている。海の潮の流れよりも、もっと細かく別れて。斜め六十度に流れつづける雪と交差して、斜め五十度で流れる雪の群れがある。ほぼ垂直に落ちている雪たち、そのあいだを、止まっているかと見えるほどゆっくりただよう雪。
立ちつくして眺めていると、雪のひとつひとつが小さな動物に見えた。それぞれの目的地へ向かう動物の大移動。はるかな奥行きをもっていくつもの群れが重なりあっている。ひとつの群れはほかの群れを知らなくて、自分の目的地しか見えていない。すぐとなりの流れには、別の世界が、可能性があることに気づかない。空からは新しい命がつぎつぎと生まれてきていて、立ちどまる時間はない。(『幸せになりやがれ』202頁)

でも、やっぱり
こういう細部に、血管のような、こまやかな広がりを感じる


楯が緑の魂を前に、
「緑が美しいものを信じていることがよくわかる」
と、言う、回想シーンがあったけれど

美しいと思うものを、信じたいから
不条理を受け入れ、不自由を愛す

そういう自分の心意気を
呼んで、鏡に映してもらえたような気も、する



幸せになりやがれ

幸せになりやがれ