別冊spoon.風間俊介『純と愛』最終回を語る~あとがきに替えて。『あまちゃん』スタート時の今『ドラマと日常』再考
ウエルメイド!!!
『あまちゃん』初回を観て、つくづくそう思いました。とにかく、演出がうまいしバランスがいいなあ、と。
小泉今日子の圧倒的安定感。
NMBを惜しまれながら卒業した城恵理子を彷彿とさせる能年玲奈の天然センター感。
そして、でんでん、吹越満という『冷たい熱帯魚』コンビの絶妙な配置。
きっと放送開始日は会社で映画好きの人同士で「でんでんと吹越って…わかってるよね『あまちゃん』って」という
会話が1000件前後展開されたことでしょう。
視聴率まだわかりませんが低く見積もって20パーセントとすると、2万4千人のうちひとりかふたりが
そんな左に寄り切った会話をしているだけという、圧倒的王道感。
これこそ正しい"朝ドラ"だと思います。
そして、そこから対比で見えてきたのが、『純と愛』の特異性。
登場人物全員が初回から全員性善説の人だけであろうと確信できる『あまちゃん』がスタートした今
だからこそわかりました!
『純と愛』が前代未聞とも呼べる賛否両論を呼んでしまった主因は、遊川和彦さんが性善説と性悪説の止揚という
テーマを、初期・村上龍的な悪文で追求してしまったからではないかと。
性善説と性悪説の止揚。これはじつは、ぼくもすごく好きなテーマで図らずも風間俊介さんが出演していた
近作二作。
『それでも、生きてゆく』
http://www.fujitv.co.jp/ikiteyuku/index.html
映画『鈴木先生』
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/
の通奏低音にもなっていました。
これはぼくの推論ですが、じつは遊川さんはかなりの風間マニアで、風間さんのこの二作での名演、
『それでも、生きてゆく』なら瑛太演じる洋貴がプールに投身自殺
を図った文哉を助けるシーン
映画『鈴木先生』なら警察に捕まったユウジが鈴木先生
から救いの言葉をかけられるシーン
というふたつの「性悪説VS性善説」のシーンを下敷きにして
『純と愛』で善行が末期の言葉を愛にささやくシーンを書いた
のでは、と思うのです。
じっさいあのシーンは素晴らしかったし、評価されてしかるべきことだと思います。
また、善行役は"一周回って怖くて深淵な武田鉄矢"を世に知らしめたことでもすごく意味があったと思うのですが、いかんせん『純と愛』は物語の地文が悪文すぎたのではないかと。
「希望があるところには、必ず試練がある」と村上春樹さんが言っているよ」
宮古島の廃墟と化した元・別荘をホテルにリノベーションしていく際、純はそんな台詞を言いましたが、
『純と愛』はそう言いつつ『コインロッカー・ベイビーズ』の頃の村上龍的な"意図的な悪文"を
終始選択していたと思うのです。
そこまで純に言わせるなら、たとえば宮古島に戻って以降は、村上春樹的美文に物語のトーンを切り替えたとしたら
…『純と愛』は万来の拍手を浴びてフィナーレを迎えたような気が、個人的にはすごくします。
もっとも別冊spoon.で風間さんが語ってくれたように、ある意味遊川さん自身が否を全部受けるつもりであの最終話の
純のかなりの悪文の一人語りまで書ききったのでしょうが……。
以上、ウエルメイドで全員善人な『あまちゃん』を見たからこそ感じた異端の"朝ドラ"『純と愛』試論兼別冊spoonvol.34
『ドラマと日常』の編集後記でした。
風間さんが遊川さんの心情をかなり正確に読み取っている巻頭インタビュー
夏菜さんが"一家背負う感"を自ら分析するインタビュー
そして社会学者・内藤理恵子さんがエヴァ的文脈で『純と愛』を論考している批評
別冊spoon. vol.34 62484-92 特集「ドラマと日常」 風間俊介『純と愛』最終回を語る (カドカワムック 488)
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