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machidesignの日記

2018-10-15

下北沢の灯台みたいになればいいな

20:39

久しぶりにダーウィン・ルームに寄った。周りの植物たちはますます元気になっていた。soft architectureという言葉は結局広まるようで広まらなかった。その代わり屋上緑化や壁面緑化なんていう言葉が流布してしまった。ダーウィン・ルームができて8年が経つ。下北沢の灯台みたいになればいいなと思ってる。

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2018-10-14

学校で習ったセオリー通り

21:41

セオリーは強いなぁ

2015年10月13日

Villa d’est garden farm and wineryに行ってきた。玉村豊男さんが夢を実現した。近景としてのガーデン、中景としてのブドウ畑、遠景としての山々がつながる。学校で習ったセオリー通りのランドスケープが気持ちいい。「食べられるランドスケープ」が元気だ。

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ひょっとして多摩ニュータウン・ルネッサンスが

21:23

僕は40年以上、公園やランドスケープや風景の仕事をしてきた。でももう疲れ果てた。官僚主義の壁に、緑にまつわる合意形成の困難さに。でも今日一つの出来事があった。僕の足元の多摩ニュータウン中央公園のリノベーションをめぐるワークショップで。ようやくこの国の公園やランドスケープや風景が面白くなるのかなと思った。新しい緑の文化が多摩ニュータウンという実験都市から生まれるかもしれないなという予感が嬉しかった。実はもうこの街には幻滅もし、でも少しだけ希望も持っていたけれど、でもひょっとして新しい風景やランドスケープの文化が生まれるのかなと思った。次回11月4日は今日のワークショップで市民から提案された内容をPARK LIFE SHOWとして社会実験をすることになった。僕は大池池畔の水辺カフェで憧れのギャルソンをやるつもりだ。ビシッと白シャツ、黒エプロンで身を包んで。実は僕の憧れの職業は、オルムステッドみたいなランドスケープ・アーキテクトであるとともにイブ・モンタンみたいなギャルソンになることだった。そんな二つが結びついた1日でもあった。今日の日を企画していただいた関係者の皆さん、ありがとうございました。ちょっとオーバーかもしれないけれど、ひょっとして多摩ニュータウンルネッサンスが始まるかもしれないと思っています。そして何か始まるかもしれないと思ってくださる皆さん是非11月4日の社会実験・PARK LIFE SHOWにいらしてください。お待ちしています。

https://www.youtube.com/watch?v=XDAJjaKYACY

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2018-10-11

「希望」なんて、なくったっていいー

20:13

この間、現場に井戸のことを調べに行って、帰りに下北沢B&Bに寄った。この本屋さんの棚は本当によくて、棚を見て歩いては今度これを読もうとメモはするのだけれど、これまでメモをした本を読むことはなかった。それで気がついたのだけれど出会った本は、その場で即断、買ってしまわなければならないのだと、ようやくそんなことに気がついた。買ってしまったらすぐに読みたくなるもので、ここはBook &Beerで、まさにビールを飲みながら本を読むところなのだけれど、今までそんなことをしている人を見たことがない。そういう僕もすぐに酔ってしまうから、本の上にビールをこぼしてしまいそうで、読みながらなんて怖くて飲めない。でもこの間はどうしてもここでビールを飲みたかったから決行をした。読んだのは、最近僕が密かにかっこいい人だなぁと思っている人が、保坂和志さんはいいよ、いいよって言っているから、だから真似して保坂さんを少しばかり読んでいるのだけれど、まだ一体どこがいいんだろうと戸惑っている。そんな訳だから気になったのが、保坂さんの「途方に暮れて、人生論」で、「希望」なんて、なくったっていいーと言い切っているところにうぉーと思ってしまった。その中の「生きにくさ」という幸福という章を読んでいたのだけれど、なんだか涙が溢れてしようがなかった。多分それはB&Bという本屋さんのせいで、ビールのせいでもあって、そして保坂さんのせいでもあって、でもやっぱり保坂さんがここに書いている「あたし生まれる時間を間違った」という平安朝文学を専攻するために大学院に通っている女性のせいなのだろうなぁと思った。

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2018-10-09

これがうれしい、なんだかうれしい。

20:08

この気持ちは今でも変わらない。ずっと変わらないで持ち続けていたい。

2012年10月9日

金木犀の香りが漂って来る季節になると剪定の依頼の電話がかかってくる。これがうれしい、なんだかうれしい。ラブレターを書くような気持ちで、見積書を書く、切手箱にあるいちばんいい切手を張る。庭の手入れの仕事は派手ではないけれど、じわっとうれしい、なんでだ。

2018-10-07

藤田さんどうしたのって思った

16:02

もう終わってしまうから、先日急いで藤田嗣治展に行ってきた。なんだかすごい人で、なんだかすごい作品で、ちょっと悪い予感がしていた。楽しめなかった。心が動かなかった。藤田さんへの関心はちょうど世間と同調するように大きくなってきていた。だから彼の手紙の本や、装丁の本や、手仕事の本を読んでいた。準備万端のはずだったのになぜ。ちょっと混みすぎじゃないの、ちょっと詰め込みすぎじゃないのって思った。藤田さんのせいじゃないと思った。企画者が悪いんだと思った。でも時間が経つにつれて、藤田さんどうしたのって思った。藤田さんは大きな芸術家なんか目指しちゃいけないんだと思った。彼の魅力は、手紙の中のちょこちょこととした落書き、洒落た本の装丁や、家の中のちょっとした大工仕事なんかとのつながりの中あるんだと思う。それはちっとも悪いことなんかじゃない、僕は大きな芸術よりもそっちの方が大切だと思ってる。藤田さんは大きな時代の流れに時々、あっぷあっぷしてしまう。今回の大展覧会でもまた藤田さんは溺れそうになっていた。藤田さんは藤田さんのままでいなければいけないのに。ちょっと疲れたから帰りに芸大アートプラザに寄った。3年の休みを経てのリニューアルオープンの翌日だった。でも3年前のアートプラザはもうなかった、似て非なるものになっていた。

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