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machidesignの日記

2018-08-21

困ったことが逃げて行った

19:23

ちょっと元気がないなぁと思った時、なんといっても美味しいものを食べることである。美味しいものを食べても基本的に何も解決しないではないかと思うけれど、不思議なことに困ったことが逃げていく。美味しいものを食べたくらいで逃げていく困ったことなんて、そう言われればそうではある。西武池袋線の富士見台駅の近くに源烹輪という中華料理屋さんがある。今日ここでお昼ご飯を食べた。そうしたら困ったことが逃げて行った。たかがご飯、されどご飯である。

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世に憤らず

19:15

こうでなければと思う、でもできない。逆にしてみたらどうだろう。膝に手を置く、それができるようになったら即かないようにする、そして最後に憤らないようにする。そんなことを続けていたら徳田秋聲のようになれるかなぁ。

2012年8月21日

室生犀星の『世に憤らず即かず神妙に膝に手をおいて来た人である』という徳田秋聲についての言葉がずっと残っていて、この年になってようやくそういうことなのだと思って来たのだけれど、出会ってから、1ヶ月も経たないうちに、今日、声を荒げてしまった、激怒してしまった。だめな人だな。

2018-08-19

目はどんどん腐っていってしまう

16:06

ようやく猛烈な夏の日々も後退して、セミの声も元気が無くなって、太陽の光も容赦ないというほどではなくなってきた。そうか日常の平穏に戻りつつあるなと気がついたのはまた落ち着いて「折々の言葉から」を読むようになってきていると気がついたからだ。これは8月17日号だけれど、これを読んで思い出した言葉に「あなたの手を信じなさい」というのがある。これは「あなたの目を信じなさい」とも言い換えることができる。どちらも心だの頭だのをあんまり信じすぎちゃいけないよ、もっともっと手や目を信じなきゃということだ思うけれど、僕たちはこのことを忘れがちになる。手を信じたらもっともっと自由になれるし、目を信じたらもっともっと美しいものを見つけ出すことができるようになる。頭を通じて物を見るから目は疲れてしまうし、目が疲れると目は腐っていってしまう。そうすると世界はつまらないものばかりで溢れるようになってしまうし、目はまたどんどんどん腐っていってしまう。

眼玉(めだま)で見た物を、何故眼玉で受止められないのでしょう。

青山二郎

 眼で見たものをすぐに頭で判断したりすれば、眼は物が通過するだけの道具に成り下がる。人には生来、観念を介さずとも「黙って坐(すわ)ればピタリと当てる」眼が備わっていると、骨董蒐集(こっとうしゅうしゅう)で有名な装丁家・評論家は言う。達人ならではの言葉に聞こえるが、普段のありふれた生活にあっても、家族の眼をはじめ、私には見えていない私を射抜く眼がいっぱい。評論「眼の引越し」から。 (鷲田清一

2018年8月17日朝日新聞朝刊 折々の言葉から

2018-08-17

ずっと同じことばかり考え続けている

21:01

ようやく大掃除も峠を越して今日こんなパネルが見つかった。もうすっかり忘れていたのだけれど、10数年前に開いた小さな展覧会のために書いた言葉だ。まさにこの数日、本棚を整理していて考えていたこと思ったことと同じことを既に10数年前に書いていた。10数年ちっとも進歩も前進もしていなくて、ずっと同じことばかり考え続けているのだということを大掃除の日々が気づかせてくれた。多分きっとこの先10年も20年もこの3人を追っかけて生きていくんだろうと思う。

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ちょっとだけ本気で思ってる

20:55

昨日も書いていたけれど、本気でこんなことを考えていたんだ。でも、ちょっとだけ本気で思ってる。

2014年8月17日

しごと場の大そうじと映画「大いなる沈黙へ」で終わった夏休みだった。そしてまったく遠く離れたこの二つの世界がつながった日々だった。

だって、このしごと場をグランド・シャルトルーズ修道院みたいにするんだという、途方もないことを思ったお休みだったのだから。

https://www.youtube.com/watch?v=vU9FTzbl6Z0

ただそれだけなのに

20:50

なんでもないけど、でも、そんな余韻の残る本だった。

2017年8月17日

以前、書名を見たときいいなと思った。あいさつの話かなと思った。いいあいさつにあこがれる。道徳の教科書に書かれているようなあいさつじゃなくて「おぉー」と言って「おぉー」と答えて、「じゃー」と言って「じゃー」と答えて。それだけのことだけれど。それでようやく読んだ。予想はあたった「おぉー」と言って「じゃー」と答えて、ただそれだけの小説だった。ただそれだけなのにずっと残ってる。

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だから好きだ

20:42

人生で一番大事なのは「ちっともえらそうになんかしないのだから」だと思ってる

2013年8月17日

きょうは、ライトさんと友だちになれた。ライトさんはえらい、ちっともえらそうになんかしないのだから、だから好きだ。

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生徒はいかにも、校舎に咲いた花にも

20:38

かつて学校にはこんな思いが込められていたのに。

2013年8月17日

自由学園明日館、一日だけのビア・テラス。

「生徒はいかにも、校舎に咲いた花にも見えます。木も花も本来ひとつ。そのように、校舎も生徒もまたひとつに。」フランク・ロイド・ライト 〜自由学園・開校を祝っての言葉〜

さすがにライトさん、老いも若きもみんなが一つになっていた。

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でも行ってしまうのも寂しいです

20:32

6年前の夏、絵も言葉も若いです

2012年8月17日

もう一息です、でも行ってしまうのも寂しいです、もうすこし夏でいて欲しいです、相変わらず優柔不断です

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ますます混迷を深めるばかり

20:27

大掃除4日目、ますます混迷を深めるばかり、さながら古書店、今日の掘り出し物はこれかな? 外はすでに野分?

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2018-08-16

夢破れたままになってしまった

21:34

まだまだ先は見えないのに、またまた本棚を雑巾で拭く手が止まってしまった。昨日は、やっぱり西村伊作が好きなんだなぁと思ったのだけれど、西村に恋する前に夢中になったのがクリストファ・アレクサンダーだった。その中でもこの一冊、The Linz Cafe が好きで好きで、それ以来寝ても覚めてもリンツカフェリンツカフェって言っていた。そして今、何十年ぶりかで本棚から取り出して眺めていたのだけれど、結局リンツカフェみたいな簡素でやわらかなカフェあるいは建築は、どこにもできなくて、いつの間にか忘れ去られてしまった。カフェドゥドゥリンツカフェみたいなのをと思って作ったのだけれど、やはり似ても似つかなくて夢破れたままになってしまった。でもこのままじゃ、やっぱり諦めきれない、なんとかせねばだ。

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どうしていつも世界は

21:24

杞憂かもしれない。でも楽観しすぎちゃいけない。悲観しすぎてもいけないけれど。

2013年8月16日

で、もう一枚気になったのが、「多摩市レンガ坂 2007」で、このユリノキ坂道も今やこの静穏さはなくなってしまった。まちが数年で、こんなにガラガラと変わっていってしまっていいのだろうか。そのうち、あぁ、あの多摩ニュータウンは、この絵葉書の中にしかありませんなんて、ことにならないだろうか。そんなことのためにこの絵葉書シリーズをつくってきたのではないのだけれど。どうしていつも世界は逆にばかり動いていってしまうのだろう。

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ここ閉められない

21:19

たまたまこの2〜3日そろそろこの仕事場を締める時期なのかもしれないということを考えていた。でも、グランド・シャルトルーズ修道院みたいになりたいと考えていたなんて、ここ閉められないじゃないか。

2014年8月16日

映画「大いなる沈黙へ」を見た。この映画は残るだろう。なにが残るのだろう。それは多分人それぞれによって違うのだろう。映画の中でひとりひとりの修道士たちの顔が次々に映し出される場面がある。みんなちがう顔をしている。最も厳しい戒律を持つ集団生活の中にあってもそれぞれがみんなちがう顔をしている。同じように、この映画を見た人それぞれに残すものは違うのだろう。でも誰もがきのうよりこころ静かになることになる。沈黙を描いている。でも「 沈黙は金なり」そんな言葉をごみ箱に投げ捨てたくなった。大それたことを言う。いつかこのしごと場がグランド・シャルトルーズ修道院のようになればいいなと思った。そんな大それたことを、そんなことちっともたいへんじゃないんだよとこの映画は言ってくれているようだった。
https://www.youtube.com/watch?v=vU9FTzbl6Z0

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2018-08-15

結局僕が好きなのは

20:41

本棚を整理しているといろんなことがわかってくる。結局僕が好きなのは、レイチェル・マクアダムスであり、クウネルであり、そして西村伊作だったんだなということ、結局、レイチェル・マクアダムスは別にしても、なんとなくしょぼっと静かで、でも地味かというと、そんなことはなく、とってもおしゃれでもあって、そんな世界なのであった。

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・・・ことを恥はしない

20:37

一つの時代が終わってしまったような気がする。でも、アルネおじさん、クウネルおじさんであったことを恥はしない。

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おぉ、これだっ、と

20:16

本棚の整理をしていて、ついつい手が止まってしまうのは、映画のパンフレットが出てきた時だ。おぉ、これだっ、と。ジェレミー・アイアンズの渋いこと!レイチェル・マクアダムスチャーミングなこと!

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