支配されているから人間

児童虐待のニュースを眺めていて思ったのだけれど、野生動物はなにものからも支配されていなくて、勝手に生きて勝手に死んだり殺されたりするわけだけれど、児童虐待する親というのはこういう野生動物みたいなものなんだろうな。かれらは、自分より上位の審級の代理として子に接するということがないから、子供のほうも親の言うことが聴けない、というより、従来あった「お父さんお母さんのいうことはウソだ!」という告発ができない。だから子を支配することが、あるいは子が親の力に反抗することが、直接的に暴力の問題になってしまう。

むむ。ポール・トーマス・アンダーソンの抱える病理が見えてきたぞ。要するにヤツは、親子の問題を生物学のような客観的なものとして摘出してしまいたいと思っているんだな。とすると、とりあえずの救いや赦しがある『マグノリア』や『パンチドランク・ラブ』から、壊れた人間像を提出して観客を突き放す『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』への移行は、本人としては「成長」なわけだ。そうすれば自分が抱える憤懣が、誰でも抱える平凡なものにすぎないとして解消されるとでも思っているんだろう。しかし、あんたは映画を作っている時点ですでに平凡な人間ではないのだ(笑)

神が死んだんだったら、法律を信仰しなければならなかったのに、結局はそれをしなかった現代人。今度は誰かが「法は死んだ!」と叫ばなければならないんじゃないか? いや、けっこう多くの人が、もう言っているか(笑)