風俗と象徴

荒正人が書き、平野謙が引いた「風俗を越えて、象徴の域に」という表現がひっかかる(94ページ)。石原慎太郎がさかんに風俗を描くことを主張したことなど思い出す。世代間抗争のような感覚のずれがあったのではないか。

著者(大江)が、風俗という漠然とした事象があることを書いたにとどまるのか、当時の若い世代なり現代というものなりを象徴として読者にしめしえたのかを、荒や平野は問うたのだということか。そうすると、荒や平野は風俗を描くことよりも、観念を象徴化することをより重視したことになる。文学の仕事としてより高級であると。

現象の内部あるいは背後に本質というものが控えていて、それを象徴として抽出することが重要なのだと。

38ページの慫慂は従容か。だとしても意味が通らない(従容を唯々諾々としての意味につかう人はおおい)。しかしこれは出版社の責任だろう。
作家はこのようにして生まれ、大きくなった―大江健三郎伝説