たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

少年よ、自分のおでこに「ステッカー」を貼れ!

おでこの広い女の子が好きです。
 
突然ですが、オタクにオシャレな人は多いと思います。今まで自分が見てきた体験としては。
でもいや、ほんとにさ。そうは思いませんか。場所や地方によるかもしれませんがどうですかね。特に女性オタクははたから見るとわからない人ばかり。
オタクでこだわりある人だからこそ、服にもこだわりが強かったりするんですよネ。
しかし、ふとかばんを見るとキーホルダーが。格好はいい。けどよく見ると…およ、どこかのマイナーアニメで見たような…。ケータイのストラップを見ると、擬態しているようでなんかちょっと特殊なような…。
まあ一部の人なんですけどね。完全隠れオタはやらないですし。
でも、個人的には、そういうささやかな自己主張がとても好きだったりします。
 

●「ステッカー症候群」病例。●

自分をオタクと思っている人に限らず、ささやかなところで、ささやかに特殊なものを、関係ないのに付加することがあります。
とりあえずこれを「ステッカー症候群」と名づけてみます。今考えました。

同人誌即売会に行くときに帽子やカバンにキャラ物缶バッジをつけておく。
・ギターのアンプに好きなバンドやイラストレーターのステッカーを貼る。
・車に色々な種類のステッカーを貼る。
・自分のサイトにたくさんのWEBリングのバナーを貼る。
・ケータイのストラップをいっぱいつけていて、時々妙なものが混じっている。
・Tシャツの柄が、普通そうでよく見るとファッショナブルなアニメ柄だ。
・ロックフェスにいくとアーティストTシャツを買いあさってしまう。
・一見オシャレアイテムに見える小物だが、よく見るとどこかのアニメキャラの持ってるのと同じブランドだ。
・会話の端々にマイナーなマンガのセリフや歌の歌詞をこっそり紛れ込ませている。
電車で、お気に入りの本を読んでいるときに妙にドキドキしてしまう。(coco's bloblogより)
・ブログやmixiのプロフィール欄がやたらと長い。

まあ、最後のは自分のことなんですが。誰も読まんつうの。
そもそもステッカーや缶バッジなんてもの自体、脈絡があって貼ることなんてあんまりないですよね。バンドのライブに行くときとか、オンリーイベントで貼っておくとか、くらいでしょうか。
意味がないのはわかってる、でもついつい見えるところに気持ちの「ステッカー」を貼ってしまう。こんなことってよくありますよね。ないですかそうですか。
「自己主張強すぎる」と言われると、もっともその通りなんですけれど、「こそこそと」「でも前面に」がポイントなんですよネ。押し付けない程度で、だけど見えるような感じ。
自分も「ステッカー患者」として、なんでこそこそと趣味を前面に出すなんて回りクドいことをしちゃうのか、書いてみたいと思います。
 

●「ステッカー」を貼ってわくわくする気持ち●

1、自分がそれを好きなことを確認しておきたい。
これはどうしても省き切れません。やりすぎると中ニ病的にもなりかねないんですが、それをきちんと分かった上で。バンドのアーティストグッズなんかはほんとそうですネ。
最近はアニメ系Tシャツやグッズもやたらオシャレになったので、よくみないと目立たないのがまたポイント。知ってる人しか分からないアイテムならちょっとした着こなしに混ぜるといい感じになることも。
ブログやサイトにWEBリングのアイコンを貼るのも同じで、デザインがかわいかったりかっこよかったりするとサイトの彩りになったりするんですよね。自分が一番自分のサイトを見るわけで、見るたびに「ああ、自分はこれ好きなんだよな」なんていうのが楽しかったりします。アピールしたいなんていう面もあるので、「自己主張」と言われるとそれは否定できないんですよネ。
が、やりすぎると人が見てわけがわからなくなる諸刃の剣でもあったりなかったり。
 
2、こっそり持ってると自分の生活の潤いになる。
ドキドキしながらそのアイテムを持っていることは、生活においてちょっとした潤いになります。なるんだって。
何回かここでも書いたことありますが、ブランドのアイテムを持っているのと効果的には同じ。カバンにお気に入りの、ちょっと恥ずかしいかもしれないけど大好きーなアイテムを持っているだけで、がんばっちゃおうっかなーな気分がわいてきます。ムリに外に見せなくても懐に潜ませるだけで気持ちが変わってくるので、オススメ。
ですが、ノーマルな人に見つかったときの反応はさだかではない。
 
3、会話の糸口になる。
最大の思いはこれだったりします。
先ほどのブログの題名に歌詞を書いちゃう人(ARTIFACT@ハテナ系 )なんかもこの類なんじゃないかなと思いました。
自分はやってないのですが、缶バッジは特にそうらしいですね。同人誌即売会でも、アーティストのライブでも、自分と同じ趣味・属性・好きなものの表明になり、数多い人間の中から会話の合う人を作るきっかけを作る記号になるとか。
自分も好きなものでお話したいから、プロフィールについつい多すぎるくらい色々書いちゃうんですよね。いや、恥ずかしいなあというのは分かってはいるんだけれども!でも一点でも共通の会話ができれば!なんて。
また、こうなってくるとピンポイント主義になるのもまたしかり。「ガンダムが好きです」って書くのもいいけど、「マンダラガンダムが好きです」と書いて「お、マンダラ?」と聞いてきてくれた時の幸福感ときたらそれはもう初恋のごとくまだあげ初めし前髪の。
 
人によっては、そのアイテムが「作品を見ていないとわからない」「曲を聴いていないと分からない」というフィルターとして利用する場合もあるかもしれません。ブログに脈絡のないセリフや歌詞を書いちゃう、なんてのは「分かる人が見てニヤリとしてくれたらいいな」という気持ちが自分はあります。
分かった人は仲良くしてください。
 

●趣味を前面に出すだけがアイデンティティじゃないけれど●

とはいえ、あんまりにもステッカーベタベタ状態だと、自分の姿すら埋もれてしまいます。
毎日歌詞と文言の引用だけを引用するのでは何を書きたいのか誰もわからなくなるかもしれません。WEBリングだけを貼りすぎるとどれがメインコンテンツかわからなくなるかもしれません。アンプにステッカー貼りすぎるとどこのアンプかすらわからなくなるかもしれません。カバンに缶バッジつけすぎると、どっかに引っ掛けてもげるかもしれません。
自分はしっかりもって、その上にペタペタ気持ちのステッカーを、適度に貼るのがいい。
そして、その何らかのステッカーで同好の士にめぐり合えたら、これほど楽しいことはない、と思うのです。
 
でも、気づいたらステッカーまみれになっちゃうんだよね。強迫観念みたいになっちゃって。
その中から、誰かの心をかするものがあれば、いいな。なんて妄想しながら、今日もたくさんマニアックな小ネタをばらまけ、とオタクゴーストが脳にささやくのです。
 
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〜関連リンク〜
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この気持ちってすごい大事だと思います。ちょっと痛いくらいの気持ちのものを、みんなで楽しむときに生まれるエネルギーは半端じゃない。文化って「ちょっと痛い」ところから生まれるのかもしれないと本気で思いました。
ベースボールベアーの「痛(イタ)み」と「同時代性」について。((lab.for)the days2 迷走篇(生と死と精子と))ARTIFACT@ハテナ系より)

みんなで自分がどれだけマイナーなバンドを聴いてるかというバンド名羅列合戦が楽しくて楽しくて楽しくて仕方なかった。

むかーし、ナゴムレコード好きな人とナゴムな連中のマニアックなことを言い合っていたのが懐かしいやら恥ずかしいやら。セリフの端々にステッカー貼ってましたともキャア。今もなんですけどね。