星影神社 【吉橋大師第三十三番(1)】・【吉橋大師第四十二番】

馬水池の巨大なミドリガメ

祭神 星影神(=稲荷神?)
274-0806 船橋市二和西3-6-43




義父の菩提寺に行く途中、
いつもずっと気になっていた、
このロマンチックな名前の神社です。
まさか千昌夫の「星影のワルツ」の、
ヒット祈願神社ではないでしょう。
吉橋大師講の札所が二つあるようで、
検索でこちらに来てしまう人も多いようです。
折角の平日二連休ですから、
一人でお参りして調べてみました。




広大で肥沃な下総の台地は、
古くから馬牧にされていましたが、
維新後、明治政府は、窮民授産事業として、
その馬牧の開墾を計画します。
これが、明治二年(1869)に民部省に上申された、
「下総牧々開墾大意」です。
開墾は入植順に、地名に数字が付けられ、
それが今でもほとんど現存しています。
ここ、船橋市二和は、その開墾順が、
二番目ということです。
それでは行ってみましょう。
下総牧々開墾順位ランキング、
あなたの町は何位♪

  1. 初富
  2. 二和
  3. 三咲
  4. 豊四季
  5. 五香
  6. 六実
  7. 七栄
  8. 八街
  9. 九美上
  10. 十倉
  11. 十余一
  12. 十余二
  13. 十余三

さて、二和の話に戻りますが、
この辺りには神社がなかったそうで、
入植者が建立したのがこの星影神社です。
朝、星が残るうちから、
夕、星が瞬くまで働きづめ、
「言語に絶する困難な生活」を送りながらも、
この二和を和合豊民の郷土にしようと、
この神社に願いを込めました。
鳥居  本殿
小さな神社です。
一部のサイトでは主祭神は「星影神」とありますが、
吉橋大師の資料にも、「星影神社稲荷社」とありましたし、
本殿の前の神使はキツネさんですから、
お稲荷さんに間違いないようです。
元々お稲荷さんは農耕の神様ですもんね。
二和開墾百年記念碑
上の文章は、一部この碑文を参考にしています。
この碑は昭和四十三年(1968)に建立されました。
私が生れる一年前だ。
あれ、開墾は明治二年(1869)だから一年フライングじゃん??(笑)。
吉橋大師第四十二番・男子厄除大師  吉橋大師第三十三番・女子厄除大師
こちらが、吉橋大師講第四十二番の男子厄除大師と、
第二十三番の女子厄除大師の祠です。              
廃仏毀釈の後に作られた神社の境内に、
元々この辺りにあったであろう
弘法大師の祠を祀ったのは、
いったい、いつのことなんでしょうか。
元々この祠のほうが先にあったのかもしれません。




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御瀧山 遍照院 金蔵寺 (御滝不動尊) 【吉橋大師第三十七番】

宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
273-0853 船橋市金杉6-25-6
山門
折角こちらに来たからには、
すぐ近くの名刹
滝不動にもお参りしていきましょう。
山川出版社の「千葉県の歴史散歩」には、
こちらは天台宗とされていますが、それは間違い。
こちらの不動明王が、
慈覚大師円仁作という伝説があるので、
勘違いしちゃったようですね。
あるいは天台宗だったこともあるのかもしれません。
参道
原生林といって良いほどの、
鬱蒼とした参道を抜けると、
馬水ノ池  弁天宮  水蓮の花
弁天様を真ん中に祀った、
馬水ノ池が広がります。
一つ、二つと、そろそろ水蓮の花が開き始めました。
鹿1 鹿2
境内の左奥半分はフェンスに囲い、
鹿を放し飼いにしています。
お釈迦様が悟られ、「鹿野苑」での、
最初の説法を初めに聞いたのは鹿ですもんね。
大師1  大師2  大師3
境内にポツン、ポツンと、
八十八体のお大師さんの石像が並んでいるんですが、
その大半が、首の無いものか、
一度首の所で割られたものを、
つなぎ合わせた修復をしています。
廃仏毀釈の被害でしょう。
酷いことをしたもんです。
仁王門
仁王門を抜け、
石段を上がると、
左のお堂  本堂?  右のお堂
正面の大きな本堂の左右にも、
それぞれお堂があります。
本堂も秘仏、右のお堂も秘仏のようですが、
おそらく不動明王を祀っているようでした。
左のお堂の中心には、
御簾の下に菩薩のような足元がみえました。
御瀧型灯篭 
右のお堂前にこのメタボ型の灯篭です。
「他に類をみない御瀧型灯篭」だそうです。
右のお堂の天井絵
このお堂の十二支の天井絵は見ごたえがあります。
水形場入口
さてさて、このお寺のある意味、
メインスポットの滝不動の滝です。
仁王門の手前の階段を下りると、
水形場になっています。
不動明王二童子、倶利伽羅不動1  不動明王二童子、倶利伽羅不動2
中央に不動明王
左右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)、
不動の下には、その化身、倶利伽羅不動が祀られています。
御瀧  滝の水を手に
この水がとっても冷たい!!。
ピロリ菌は怖いですけど、
飲んじゃえ〜。




うまぁ〜ぁぁっっ。




この滝についてはこちらのサイトが詳しいです。



→ http://www33.ocn.ne.jp/~takisekibututiba/tibataki/takimanpo/002hunatakihudo/002takihudo.htm




古くからある神社仏閣の多くには、
境内によく湧水がありますが、
これが、神社だったり、お寺だったり、
神だの、仏だの、そんなもんは、
後の世の後づけであって、
そもそもは、こんこんと流れ出る湧水そのものが、
崇拝の対象であったのではないでしょうか。
水が生命を創り、育てました。




こんなこと書くとまた怒られてしまいますね・・・。



さて、写真は撮り忘れておりますが、
こちらにも吉橋大師講第五十八番の札所がありました。



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