練習

夕方から四谷で練習。新曲はあいかわらず難しい。ライブのお誘いがたくさん来ているらしい。ありがたいことだ。気持ちとしては全部でたい。ライブは多ければ多い程いいと思う。だからもっと体力をつけたい。練習のあと、沖縄料理の店に行く。しかし今日は貧血で体調悪く、食欲がめずらしく全然ない。沖縄そば半分しか食べられなかった。悔しい。でもちょっとはやせるかも。
食事に行く前に同居人と話した事。こうやって練習終わった後、軽く叙々苑行くか、って言って4,5千円使う、みたいな生活レベルになったら余裕があるねーという話。でも、今でも別に行けないことはないけど行かないし、分をわきまえているから行かない。お金を普通にたくさん使う習慣をつけるのはやばい。
今から2年前、実家暮しで奨学金を貰いながら大学院をサボり、出版社で働いていた時があって、月20数万くらい純粋にお小遣いだったんだけど、その時はお金の使いすぎでちょっと精神状態がよくなかった。あの金は漫想代にもなったけど。ほんの少しだけ。
学校がおもしろくないからサボってるのに奨学金はもらってる、という後ろめたさもあったけど、問題だったのは使い方で、全部呑み食いと洋服、洋服代がとくにやばくて、もう欲しいと思う前に脊髄反射でものをかっているんじゃないかというくらいの勢いで高価な洋服を買いまくっていた。もう、ヒリヒリするような物欲に支配されていて、洋服を見るとすぐ欲しくなってしまってしかも買えるものだから帰りについついデパートに寄ると、もう心の中は嵐で、あとであーあれも買っとけばよかった、と思うのみならず引き返して買ったりとかもう馬鹿そのものだった。心が枯渇して、カラカラになっていた感じ。洋服に金を使いすぎるのは不毛だ。
で、そのお金はどうなったかというと翌年実家を出て、今の家にこもって修士論文を書いていた時、バイトもほとんどやめて月収7、8万になってしまい、家賃を払うとバスにも乗れない、バイトに行くお金もない、5食198円のラーメンが昼食の定番、という貧乏状態になった時に、ただでさえ使いまくってほとんどなかった貯金はあっという間になくなり、あれだけあった洋服も、生活のために吉祥寺の売り値の7割が戻ってくる委託の店でほとんど売ってしまい、今残っているのはコルグのキーボードと、コンタックスのカメラとトリココムデギャルソンの半袖シャツ一枚のみだ。
何億も借金した人からくらべたらたいしたことないけど、お金をめぐってはここ2年で天国と地獄を体験したので、お金を稼ごうと、稼ぐまいと、今後はお金を上手くつきあっていきたいと思っているので、あんまり節約もしすぎないし、贅沢もしない。漫想代もがんばってためてるし。しかし、ブレーキがきかないタイプなので、今後も十分に気を付けなければならない。
で、この日は帰ってから「エレファント」を見て、あまりに不条理でショックを受けてそのまま眠る。「エレファント」では、何人かの視点で、学校の廊下を延々と歩いて行くシーンが何度も繰り返される。みているこっちはこの後何が起きるのか知っているけど、それがいつ起きるのかが分からないから、そのあまりにもあたりまえの日常のような風景がどんどん当たり前に見えなくなってきて、どんどん恐ろしくなっていく。それがクライマックスのシーンよりも印象に残った。で、ガス・ヴァン・サントの映画はいつもながら金髪の男の子と風景がきれいだった。