がくえん「ゆーとぴあ」とは?
ユートピア。トマス・モア*1によるギリシャ語の造語。
意味は「どこにもない場所」。
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そうです「ユートピア」の本来の意味は「どこにもない場所」。人が見果てぬ理想郷、でもどこにもない。つかめない。そんな場所です。
生徒会室を失い、署名も集まらない。まなびは思わずもらします。「みんなでやったら学園祭。楽しいに決まってるのに!!」「だれにだってわかることじゃない」と。しかし衛藤芽生は言います。
「そうかな?
以前の私は「楽しいにきまってる」なんて言われても理解できなかった。
今はわかる。それは私が仲間と何かすることの楽しさを知ったから」
そして、こう続けます。
「その意味がわかるのは私たちだけで、みんなにはわからないのかもしれない」
そう、衛藤芽生は知っています。「みんな」が「私たち」ではないことを。まなびたちの楽しさ、学園祭にかける意気込みをどれほどの熱意を以って伝えても、それが100パーセント相手に伝わることはないということを、彼女は自分の経験から知っているのです。このアニメは主役である五人を主観として見ながら、同時に客観的な視点で彼女たちを照射します。まなびたちには確固としてある「学園祭」というビジョンも、そのほかの「みんな」には駅前の祭りと同価値かそれ以下の意味しか持たないのです。
そう、まなびたちの頭の中にある学園祭という「ユートピア」は、それ以外の人にとっては姿が見えないぼやけたものなのです。
そんな「ユートピア」に姿を与えたのは、「生徒会室の爆発」というアクシデントでした。これによって旧学園寮に移ることになったまなびたち。長年使われていないこの校舎を建て直すため、多くの生徒が協力の手を差し伸べます。皮肉にも生徒会室を失うことで、「学園祭に向けた新生徒会室を造る」というイベントが発生し、「ユートピア」は実体を持ったのです。これを「災い転じて福となす」とも「万事塞翁が馬」という美辞麗句で飾ることも可能でしょう。しかしここでは「アクシデントこそが祝祭の本質」だと言いたいのではないでしょうか。
人間の生活は大きく「ハレ」と「ケ」に区分できます。単調な日常が「ケ」であり、「ハレ」はその中でも特別なイベントとなります。そしてこの「ハレ」とは「非日常」であり、アクシデントなのです。「ハレ」の象徴である祭も広い意味では日常という秩序からの離脱であり、アクシデントに区分されるものなのです。まなびたちにも生徒会室の爆発というアクシデントによって、生徒会室の喪失という「非日常」が出現します。その状態を元に戻すために行われた新生徒会室の再建はいわば「ハレ」の範疇に入るのです。稲森光香も思わずもらしているじゃないですか。
「これって学園祭みたいだよね」
って。
アクシデントによって「ハレ」が発生し、それが「擬似的な祝祭空間」としてみんなに「学園祭」の具体的なビジョンを映し出したのです。そのため、学園祭という「ユートピア」はまなびたち「仲間」だけでなく、聖桜学園生徒「みんな」に対して姿を現したのです。それを共有したとき、「みんな」は「仲間」になったのではないでしょうか。だから今回のタイトルも「集う仲間たち」。
七十六パーセントという予想以上の署名を集め、学園祭は実施されることになりました。「ユートピア」はどこにもない場所。しかし決してそれは見えない場所ではない。「ハレ」の時にだけ姿を現して、消えていく。「祭」のようなものなのです。
「がくえんゆーとぴあ まなびストレート!」の「ゆーとぴあ」とはそんなものじゃないでしょうか?