文水ちょいブラ

文水がずっと気になっていたのには、もうひとつ理由がありました。ここにひとりの日本人残留婦人が暮らしている(いた)という話を、もう10年近くも前から聞いていたのです。いわゆる残留孤児ではなく、敗戦時にすでに成人か、それに近い年齢(といっても実際には10数歳くらい?)で、中国人と結婚して中国で生活することを選んだ(選ばされた)女性のことを残留婦人といっているようです。私が取材活動を始めてじきにそのことは耳に入って来て、ひとりは臨県の三交、もうひとりが文水に住んでいるということでした。

三交の方は、息子さんにも何度か会いましたが、彼女は40代でガンで亡くなっていました。私はお墓に行ったこともあるし、息子さんの依頼で、北陸の温泉町まで親族を探しに行ったこともありました。三交では有名な人だったようですが、連れ合いが教師だったということもあり、周りの人からも愛されていたようです。写真を見ても、とても美しい人でした。ただ、日本語を話すことはいっさいなく、死の間際になってはじめて自分の故郷の住所を書いた紙を子どもたちに見せたそうです。

文水の方も、もしまだ生きていたとしても、おそらく90歳以上でしょうが、私は彼女の信息を探すという意図はもうまったくありませんでした。それでも、ホテルの経営陣のひとりらしきやや年配の女性に、そういう噂を聞いたことはないか?と訊ねてみましたが、予期したように、不愛想な答えが返ってきました。現人口が43万弱の、小さな町ですが、恐らくはご当人もあまり外には出さずに暮らしていたのではないかと思います。



そんなことも思い浮かべながら、近くをブラついてみました。山西界隈のどこにでもある地方都市の様相で、表通りはとても賑わっていました。目にする屋台や雑貨屋、餅屋、駄菓子屋、肉屋、八百屋等々、離石あたりと変わるモノはありません。ここから離石までは、列車で1時間ほどです。裏道に入ると相当に古そうな建物も残っていましたが、もともとが裕福な町ではなかったのでしょう、すでに崩壊して建て替えられた家屋がほとんどでした。その“残留婦人”も、この道を行き来したことはきっとあったはずです。商店のある中心部は、すべて歩いて廻れるほどの小さな町でした。


「犬買います」と書いてあります。犬の肝が滋養強精剤として取引されるのです。もう私は、こういうの見るだけでダメです。


中学校は立派でした。正面に立つのは孔子像です。


校門の横に、試験の成績が顔写真付きで発表されていました。中国ではどこに行ってもそうです。この激烈で、あからさまな競争社会を勝ち抜いて、いい学校に進学し、いい会社に就職し、いい給料をもらってお金を貯めることは、極々一般的な人生の最大目標です。


近くの路上で縛られていたネコちゃん。でも、氷点下ですよ。置いてあった水もエサも全部凍り付いていてかわいそうでした。ネットで見ていると、日本はいま犬よりネコの方が人気があるようですね。みんな暖かそうな部屋でとても大切に飼われていて、当地の犬猫とは雲泥の差がありますが、当地は当地で、自由気ままに、時に人間の謀略とも闘いながら、みんな頑張って生きているようです。