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maplecat-eveの日記

2014-09-09 『God Help The Girl』

[]『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』(スチュワートマードック/2014)


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ベル&セバスチャンのスチュワートマードック初監督作品『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』は、ポップミュージックが一人の女の子の人生を救えるかどうか、という賭け、強い動機に支えられた映画だ。しかし、『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を真に特別な映画にしているのは、ポップミュージックと一人の女の子の関係を、エミリー・ブラウニングという魅力的な女の子の内側から能動的に描いているところにある。ここにあるのはポップミュージックが何かをしてくれるという単純な救済の物語ではない。『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』では、エミリー・ブラウニングの内側から溢れ出る言葉や歌声、運動が、結果として偉大なポップミュージックを形作っていく。スチュワートマードックが描くのは、ポップミュージックが出来上がっていくプロセスなのだ。ポップミュージックが出来上がるまで、偉大なポップレコードが出来上がるまでの、いわば永遠のエピローグがエミリー・ブラウニングという女の子の小さな体に刻まれていく。スチュワートマードックは、偉大なポップレコードが一夜にして出来るわけではないことを教えてくれる。この映画のように、それは一人の女の子が決定的な時間を待ち続けた物語の集積、なのだと。その意味で、『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』はあなたや私の物語であり、つまり真に青春映画といえる。


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拒食症のエミリー・ブラウニング(役名はイヴ!)が眠れない夜から目覚めるシーンからこの映画は始まる。ベッドルームで自作の曲をカセットテープに録音するエミリー・ブラウニング。そう、彼女の冒険は、いつだってベッドルームから始まる。そしてそれは反復される。幸福な反復ではなく、残酷な反復として。『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』においてベッドルームは、ポップレコードを夢見て、再び夢見破れる、待機の時間なのだ。エミリー・ブラウニングにとってのガール・ミーツ・ボーイ。及び、いつもレコードを作ることを夢見ているギタリスト、オーリー・アレクサンデルにとってのボーイ・ミーツ・ガール。エミリー・ブラウニングハンナ・マリーによるガール・ミーツ・ガール。まるで寓話のように出会っていく3人の、この3人が揃ったときにしか成し得ないアンサンブルの輝かしい一片一片が、ポップレコードを形作っていく。


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映画の冒頭、病院のフェンスを越え、突然歌い始めるエミリー・ブラウニングの歩くうしろには、まるで音符♪が付いてくるかのようだ。ダンスのないシーンでさえ、彼女は踊るように歩く。歌うように歩く。そしてジャズボーカルのように力を外へ逃がしていくようなエミリー・ブラウニングの発声、歌声(技術の高さに驚いた)とダンス。彼女の一つ一つの所作が周囲に伝染するかのように、未来のポップミュージックがクリエイトされていく。エミリー・ブラウニングの声を欲したスチューワート・マードックは、どこまでも音楽家だ。既に2回見てるけど、同じとこで泣いた。ゴダールはなればなれに』のマジソン・ダンスを初めて見たときのような感動。とびきりのミュージカル・シーンがいくつかある。


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グラスゴーでの3人の日々に変化が訪れるとき、この映画の主人公イヴたち3人よりちょっと早く、この作品のラストを見届けた観客は知ることになるだろう。スチュワートマードックによるこのプロジェクトが"ゴッド・セイヴ・ザ・ガール" ではなく、" ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール" と名付けられたことの、其処に込められた思いを。それはイヴたち3人が、やがて大人になって振り返ったとき、知ればいいことなのだ。そのときグラスゴー発のラジオ局からは「世界に残された最後のカセットテープ」=偉大なポップミュージックが流れるだろう。このテープは未来に託されている!とても愛おしい作品。


リアルベルセバ好きのエミリー・ブラウニングにベタ惚れ。衣装も動きもなにもかもが、どうしようもなくかわいい!スミスのTシャツ!この世に踊ってる女の子ほど美しいものはない!と固く信じている自分にとって、赤いドレスを着たエミリーのダンスは何十分でも見ていたい気持ちにさせられます。オーリー・アレクサンデルのエミリーにゾッコンの目がまたいいんだよね。3人ともキュンキュンだ。


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God Help the Girl

God Help the Girl

God Help the Girl

God Help the Girl


奇跡の予告編。


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2014-06-24 『The Grand Budapest Hotel』

[映画」『グランド・ブダペスト・ホテル』(ウェス・アンダーソン/2014)


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Untitled (Pink Palace) -Joseph Cornell-


ユリイカ』の”ウェス・アンダーソン特集”に掲載させていただいた「ディス・イズ・アワー・ランド!」(読んでくれた方々、感想くれた方々に心から感謝!)の続き、ということで、ウェス・アンダーソンジョゼフ・コーネルの関係について書きたい。


「自分ではその映画という島に住んでいる気持ちでいます。確かにその島は大きな美しい墓場でもあるでしょう。ですから、責任があるとすれば、そこに眠る死者たちに対して、ときどき名誉を返してやることではないかと思います。大変美しい墓場なのです。」レオス・カラックス


『グランド・ブダベスト・ホテル』はルッツ(ドイツ)の墓地のシーンから始まる。この作品が特別な感情へ向けられたレクイエムであることを告げるファーストシーンだ。ウェス・アンダーソンジョゼフ・コーネルの関係については洋書『ザ・ウェス・アンダーソン・コレクション』の序文でマイケル・シャボンがウラジミール・ナボコフと並べて述べている(このとき『グランド・ブダペスト・ホテル』は未発表なのだが)。美術家ジョゼフ・コーネルが紡ぎ上げた「箱」シリーズが持つ物質性とウェス・アンダーソンの画面の相似に関する短い文。このあとウェス・アンダーソンは『グランド・ブダペスト・ホテル』のデザインの元ネタとしてジョゼフ・コーネルの『ピンクの宮殿』を明確な形で引用する。サイレント映画の収集家だったジョゼフ・コーネルウェス・アンダーソンの映画の、偶発的に思われた出会いが、実はある強い意思を持っていたことを知らされることになるわけだ。


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グランド・ブダペスト・ホテル』が全速力で駆け抜ける記憶の走馬灯、とりわけ自転車に乗って登場する最初のショットから「とどまる記憶」のヒロインとして鮮烈な印象を放っているシアーシャ・ローナン(本当に素晴らしい)演じるアガサの肖像的で、運命的ですらあるフィルムへの収まり方。『グランド・ブダペスト・ホテル』は、廃墟となったホテルの記憶の彩度を、アガサの記憶によって甦らせる。いわば、『グランド・ブダペスト・ホテル』の記憶とは、アガサという一人の少女の色彩と、その間に零れ落ちた色彩のことなのだろう。同時に、このことはジョゼフ・コーネルが世話をしていた女優志望の少女(殺されてしまった)を思いながら「ホテル」シリーズを創作していたことを想起させる。ジョゼフ・コーネルの作品が「箱」という「劇場=フレーム」の中にコラージュ的に配置した物質には、物の記憶、物の生命、物の囁き=「語り」さえもが、かつて其処にある/あったことを感じさせるものだ。この強い悲しみをウェス・アンダーソンは『グランド・ブダペスト・ホテル』というフィルムに肖像として宿すこと、名誉を返還することを試みたのではないだろうか。ただし、『ジェニーの肖像』(ウィリアム・ディターレ)のようなモノクロームの亡霊を、感情ごとまるごと反転させた世界、ひたすら陽性な”まぼろし”の世界の色彩として。ムッシュ・グスタフがまるで手品師の白い煙の中から現れたかのような軽さを終始身に纏っていたところに、ウェス・アンダーソンの方法はある。『グランド・ブダペスト・ホテル』において軽さとは、記憶の走馬灯を駆け抜ける速度のことでもある。


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Jack's Dream (1938)-Joseph Cornell-


ジョゼフ・コーネルサイレント映画の収集家であり、同時に映画作家でもあった。たとえば処女作『ローズ・ホバート』(1936)という作品は、『ボルネオの東』(ジョージ・メルフォード/1931)のフィルムをリ・エディット、ブルーフィルターをかけた作品だが、ここでのジョゼフ・コーネルの視線は、ローズ・ホバートという女優の肖像を海に透かしていて見ているかのようだ。また、これはとても好きな作品なのだが、『ジャックの夢』(1938)というパペット・アニメーション作品にはタツノオトシゴが出てくる。『ライフ・アクアティック』におけるクレヨン・タツノオトシゴとの相似。ジョゼフ・コーネルの作品が特別な感情をフィルター越しの視線で配置していたように、ウェス・アンダーソンが夢想する映画の配置、に留まらぬマスタープランとは、物質と物質、時間と時間を隔てる区切りを区切りとして用いることはしない。『グランド・ブダペスト・ホテル』で用いられた画面アスペクト比の変化という区切りさえ、一つの箱に入ることで初めて滑らかに溶け合った「共生」の画面なのだ。調和以降の速度、調和以降の映画にウェス・アンダーソンの野心はついに突入している。ジュード・ロウの台詞を借りるならば、『グランド・ブダペスト・ホテル』に触れることによって呼び起こる感情とは、その箱に触れたときだけ、もう二度と見ることができないものだ。これほど映画館にふさわしいと思える映画はない。


『グランド・ブダベスト・ホテル』、絶賛公開中!

http://www.foxmovies.jp/gbh/


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The Hotel Eden -Joseph Cornell-


追記*ジョゼフ・コーネルとの関係からベックまで繋がっていくね。この二人はやっぱとても似てると思う。


追記2*ジョゼフ・コーネルとの文脈で考えると、『グランド・ブダペスト・ホテル』の牢獄に貼られた女優のピンナップ写真はとても興味深い!

ジェニーの肖像 [DVD]

ジェニーの肖像 [DVD]

2014-05-26 Welcome to ’The Grand Budapest Hotel’!

[]「ユリイカ ウェス・アンダーソン特集」

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ユリイカ」6月号”ウェス・アンダーソン特集”に「ディス・イズ・アワー・ランド!」と題した論考を掲載させていただきました(計8ページ)。『ムーンライズ・キングダム』のサム少年の叫びからウェス・アンダーソンの「マスタープラン」を紐解いていく作業を試みてみました。ウェス・アンダーソンに関する纏まったものが出版されるのは日本で初めてのことだと思います。近い未来に洋書「ザ・ウェス・アンダーソン・コレクション」が邦訳されるといいんだけどね。あれは決定的な書物です(家宝、家宝)。


追記*ユリイカの文章で触れたMTVムービーアワードのためにウェス・アンダーソンが作ったCM「ザ・マックス・フィッシャー・プレイヤーズ・プレゼンツ」(1999年)は以下の作品です。


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『グランド・ブダペスト・ホテル』は一寸の迷いなくウェス・アンダーソンの最高傑作と断言できる作品です。ずっと胸が張り裂けそうな思いでスクリーンを見つめていました。この作品はウェス・アンダーソンの最高の到達点であり、新たなフェーズに入ったことを告げています。この若さでここまでのことを成し遂げてしまったのか、、と言葉を失くすのと同時に、ウェス・アンダーソンの旅はまだまだ続くんだ!ってことが、どれだけワクワクさせてくれることか。泣く。



*告知2


「バウスシアター再生計画」のHPに文章を寄稿させていただきました。バウスシアターという空間に一歩足を踏み入れたことがある人なら分かると思うけど、まず空気が違う。いろんな人の思いが音響の中で縫い合わされて、どんどん更新されていった空気なんだ。きっと。バウスを失ってしまったら世界はつまらなくなってしまう。


http://bausonbaus.s2.weblife.me/message/pg69.html

zom3zom3 2014/05/26 21:02 まさかユリイカに寄稿されていたとは!早速本屋さんでかけてきます。

maplecat-evemaplecat-eve 2014/05/26 22:14 ありがと〜。

2014-03-04 『Long, Clear View』

[]『ロング、クリア・ヴュー』(ミア・ワシコウスカ/2013)

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ミア・ワシコウスカの初監督作品、短編『ロング、クリア・ヴュー』がすごくいい!ティム・バートンガス・ヴァン・サントジム・ジャームッシュの撮影の方法を直に経験してきた”若いながらも歴史あり”なミア・ワシコウスカが、とても見晴らしのいいクリアな視点で撮りあげた珠玉の短編だ。脚本の構成、及び、撮影の構成を、主題以外のことには目もくれずに周到に突き詰め、且つ、主題と戯れる「若さ」にさえ成功している。視点を少しズラすだけで物の見え方はまるで変わるよ、といういたってシンプルな発想の元、実験映画で試行するような枠組みを何の気取りもなく成し遂げている。よく考えられた末に至ったシンプルさというべきか、映画自体は物凄く真っ直ぐなんだ。ファーストショットとラストショットのややアクロバティックな撮影による少年の反射。この反射をこちら側に差異として認識させるために脚本と撮影の構成が組まれている。たとえば自分の手を左右の目を閉じたり開いたりして交互に見ることで生まれる、同一の位置からの二つの視線の獲得。だんだんとこの視線の対象(手)が自分のものではなくなっていく感じといえばよいか。さらに視線の対象が自分に向けられた「視線」であった場合、、、。ミア・ワシコウスカの無邪気な試みは、まったくアナログな手段でドッペルゲンガー的な肖像をカメラアイによって創りあげる。これは紛れもなく映画に向けられた映画なのだ。


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最初と最後の画像はロケハン中のミア・ワシコウスカ。いやー、この作品は何かしら書かずにはいられなかった。ミアちゃんのことです、長編はいつか間違いなく撮るでしょう。気長に待ちますぜ。

2014-02-12 LAST BAUS

[]吉祥寺バウスシアターの閉館

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横浜に住んでいた時は爆音映画祭に通うことは長い長い帰り道と合わせてどこかロックフェスに行くようなワクワク感と心地よい疲労感をともなう、ちょっとした旅だった。二年前に国分寺に引っ越してきてからは、吉祥寺バウスシアターは特別な”フェス気分”で向かう映画館ではなくなり、生活の一部、当たり前の風景になっていた。既に映画館に行く=吉祥寺バウスに向かうになって長いこと経っている。だからこのニュースを聞いたときいろいろな思い出より先に、これからどうしよう!、という最早生活の基盤を崩されるような思いだった。正直これから何処で映画を見ればいいのだ、レベルですよ、、。バウスに行くと友人と会えるという確率も異様に高かった。昨年末も『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』を見に行ったとき、山形から帰郷していた大久保清朗さんと偶然鉢合わせたことがあったっけ。バウスシアターにはあの天井の高い空間の特別感と同時に、個人的にはそういった妙にカジュアルなご近所感すら同居していた。


爆音『ローラーガールズ・ダイアリー』を見て、扉を開けると興奮した女の子二人が「ホント楽しいんだけど!」って踊っていた思い出は、いまでも脳裏に焼きついています。いま思えば、あれはバウスでしかなしえないような光景だったな、と涙が出ます。この映画の初見のときと同じく、大好きなヴィヴィアンガールズの2ndを聴きながら長い帰り道をドキドキしながら帰った、あの思い出。


そのままのテンションで書いた爆音『ローラーガールズ・ダイアリー』の記事。

http://d.hatena.ne.jp/maplecat-eve/20110630