ロンドンで本を読む

丸谷才一の訃報をきいて、わたしが手にとった本は、代表作の『笹まくら』でも、最新作の「持ち重りする薔薇の花」が掲載された文芸誌でもなく、
マガジンハウスから2001年に刊行された、『ロンドンで本を読む』という丸谷才一編著による「現代イギリス書評名作選」だった。
これ。↓

ロンドンで本を読む

ロンドンで本を読む

帯には「世界最高の読書案内」とあって、イギリスの新聞・雑誌に載った書評の中から丸谷が「名文」と思ったものをピックアップし、そうそうたるメンバーが翻訳をして、それに丸谷が短い解説を書く、という体裁をとっている。目次をみると、ミラン・クンデラをロッジが論じていたり、グレアム・グリーンをウォーが評していたり、それはもう、外国文学好きにはたまらないラインアップではあるのだけれど、やはりどう考えてもマニアックで、人口に膾炙するとは思えない。それでもこういう本が出たということ(「SWITCH」と「鳩よ!」でこのような企画が成立したということ)は、丸谷才一の存在があったればこそだと思うし、丸谷によるまえがきに名前の出ている二人の編集者には、頭が下がる思いだ。


丸谷の訃報を聞いてから読み返すこの本のまえがきは感動的ですらある。


   歳末のある日、届いたばかりの「スペクテイター」を手に取ると、V・S・プリチェットが書評を書いてゐる。(中略)わたしは早速目を通して、もう九十近いはうだが、相変わらず読ませると感心し、(中略)藝が冴えてゐるとおもしろがつた。そして篠田一士が死んだ年、うんと押し詰まつてから読むものとしてこれ以上ふさはしい記事がなからうなどと感慨にふけつた。
   といふのは、昭和二十年代の後半、洋書がやつとはいつて来るやうになつたころ、どちらも英文の大学院学生だつた篠田とわたしとがまづ定期購読者になつたイギリス雑誌は「ニュー・ステイツマン」で、この週刊誌の呼びものは書評欄の冒頭にある「普通の本」(Books in General)といふ長文の書評、殊にそれをプリチェットが受持つときだつたのである。(1−2ページ)


以下、若き日の丸谷と篠田がむさぼるようにしてイギリスの書評紙を読んでいた様子が綴られている。雑誌の連載開始時に寄せられたこのまえがき(たぶん1990年に書いたもの、と丸谷自身が記している)は、次のように結ばれている。「…わたしとしては、イギリスの書評といふほとんど未紹介の読物のおもしろさを吹聴し、その手法や傾向や心構へに学ぶことはわれわれの、はじまつたばかりの書評文化にとつてずいぶん役に立つはずだと言へば、それでいちおう気がすむのである。」


売れるとか売れないとかは関係なく、もしかしたら文化的な寄与、とかもあまり重要ではなくて、ただ自分がおもしろいと思うものを「吹聴」したい、広めたい、というウキウキとした気分が伝わってくる。篠田一士が若くしてなくなり、この本の書評の翻訳を担当した人々もぽつぽつと他界したあとも、丸谷は「はじまつたばかりの書評文化」を花開かせることに、尽力し続けてきたのだ。


じつは訃報を聞いてわたしが最初にさがしたのは、この本ではない。家の権利書など重要な書類が入っているファイルをひっぱりだし、その中にはさんであった一枚の新聞のコピーを取り出した。毎日新聞の書評欄の、(才)という署名の入った小さい囲み記事。そこには、一介のサラリーマン編集者にすぎないうちの同居人が、編集長をつとめた雑誌の特集企画の数々とともに紹介・称賛されている。「雲の上の人」だった丸谷才一が、無名の編集者をここまでほめたたえてくれるのはなぜだろう、と考えたとき、ちょっと大げさだけれど、「志」みたいなものを感じたからなんじゃないかな、と思うのだ。なんだか身内をほめるみたいで気が引けるのだが、売れたかどうかはともかく、その後まもなく休刊になってしまったその雑誌には、長い伝統に裏打ちされた「誇り」や「志」みたいなものが歴然とあって、彼はせちがらい現代にあってもそれをなんとか守ろうとして格闘していた。それが、誌面を通して丸谷さんに伝わったんじゃないかな、と思うのだ。


でもまあ、このような感慨にふけったのはわたしの勝手な暴走で、当の同居人はこの週末、学会で名古屋に行っていて留守。夜遅く帰宅した彼に、権利書のファイルに挟んだコピーを見せようとしたけれど、「ああ、そんなこともあったね」みたいな感じで軽くいなされてしまった。夕食後、自室で川上弘美の初期作品について論じた文章を読む。いわゆる「書評」でも「文芸評論」でもないが、作品に対する愛と、想定する読者への愛が感じられる文章だ(入手までにずいぶん待たされたけれども……)。これから仕事はますます忙しくなるだろうし、サラリーマンである以上、会社の利益や効率を無視するわけにはいかないけれど、とりあえずはこうして、子どものころから大好きだった本や文学の世界にひたって生計を得ることができるということを、素直に喜びたい。