東京生まれのロッカーの地味な理由

小さい時から商店街を通ってあちこちに遠征するのが子供です。

八百屋のおじさんや、魚屋のおばちゃんに見られてますからあんまり変なことは出来ません。

ちょっと大人になって色気づいてきても、あまり変な格好はできなかったのです。

冷やかされるのが怖かったのです。(笑)


60年代のフォークをはじめた人達、高田渡加川良高石ともや岡林信康、等々の頃は、

ベトナム戦争の真っ最中で ''反戦'' ''プロテクトプロテストソング'' の色彩が強く、その主張を表現する為に確信的に、長い髪と、サイケデリックな色彩を使った服を着て活動していましたが、

ベトナム戦争が終わる (73年) 頃からフォークは急速にプロテクトプロテストソングから叙情フォークへと、若者の興味が移ったので、ミュージシャンのファッションも落ち着きました。

80年代初め、私がエピックソニーを立ち上げてロックを始めた時、契約したミュージシャンは大半が東京出身でした。


東京出身のミュージシャンは商店街を通り抜けて駅に向かうので (笑) 、地味な服装でレコード会社に来たものです。

一方 地方出身のミュージシャンは小さい頃を知っている商店街のおじさんや、おばさんがいないので派手な格好をして街をうろつくことができます。

その頃、地方出身バンドに 『何でおまえら 私服もそんなに派手なの?』 と質問したら、

『東京に出てくる前に必死に雑誌やTVを見て東京の情報を集めたんです。

情報の中身は六本木とか原宿のことしかなくて、

東京は全部六本木、原宿だと思ったので、負けちゃいけないとこんなに派手になったんだよね。』 (大笑)