[旅行記【1995年卒業旅行】【旅行記】Vol. 12 アウシュヴィッツ 0


 3月4日。
 早朝フロントの美しい女性に「今日はアウシュヴィッツに行かれるご予定ですか?」と訊かれました。いろいろと交通手段を調べてみたのですが、クラクフからバスで行くのがいいんだろうと考えていたのでその美人にそう伝えたところ、「バ、バスですって! 頭おかしいんじゃないの!」くらいの勢いで「本当ですか?」と聞き返されました。極めて紳士的な我々は、それではとてもお綺麗なあなたはいかにお考えなのか、是非ご深慮の一端を拝聴賜りたいと奏上します。フロント美女がたまわるに、
 
 
 片道70キロもあるアウシュヴィッツに不便で本数も少ないバスで、しかも地理不案内の日本人が行かれようというのは正気の沙汰ではない。特にアウシュヴィッツの第一収容所から第二収容所のビルケナウまで3キロ以上あるにも関わらず、バスなどの交通機関は整備されておらず、あなた方はせっかく日本から来られたのに、外国でいわれのない艱難をなめることになる。それに、現地から古都クラクフまでお戻りの手段をいかにお考えなのか?……
 ここら一帯についていささかの知識と経験のある我々としてはそんな辛酸を見過ごすわけにはいかず、加えて当ホテルは頂戴した宿泊料金以上の義務と責任をお客様に負っている以上、お客様の貴重なお時間を効率よくお使いいただくために最良の提案をさせていただかないわけにはいかない。
 

 才知あふれる女性はただでさえ広いアウシュヴィッツでの逍遥に備えてパワーをつけるための朝食と、効率きわまりないタクシーでの周遊を勧め、我々はこの女性の極めて魅力的な眼差しと唇のため、それらを採用することといたしました。タクシーは一日シェアして50ドル。その間、いかようにも使うことが出来るとのこと。ホテルの朝食はコーヒー、パン、ベーコン、ハム、ソーセージ、スクランブルエッグ、ゆで卵といったものが用意されているとのこと。もちろんどちらも別料金。タクシー斡旋はコミッション制なのでしょう。
「営業をかけられたんじゃないのか?」とY氏。
「ちッ……やるじゃないか、フロント美女め」とT氏。
 さすが観光地のホテル。商才のたくましさ、容貌以上のものがあります。


 やがて腹の出たおじさんがやってきて我々をマニュアル・ミッション式のベンツに放り込みます。タクシーが走り出すといきなり郊外のガソリンスタンドで給油。我々も一息つこうと思って外に出ようとすると、何とドーベルマンが駆け寄ってきて我々の威嚇を始めるのでした。そいつは悪辣獰猛な黒犬で、車の周りで我々を呪い殺すように吠え始めたのです。運ちゃんとスタンドの青年が出てくるとしっぽを振ってぴょんぴょん飛び跳ねるのに、我々のほうを向くと地獄の番犬みたいな馬鹿犬ぶりです。犬はしきりに青年と運ちゃんにアピールしていますが、一向に遊んでもらえないので、憂さ晴らしにこっちに近寄ってきて吠えまくる、という次第です。しっぽも振ってないし鼻に皺を寄せておりますので、こいつは本気です。やがて給油もすみ、運ちゃんは金を払うと車を発進させましたが、数十メートル離れた幹線に戻ってもまだあのクソ犬は吠え立てていて、遠くの我々をおどすのでした。
 

 
 一度幹線に出ると話好きな運転手の独壇場となりました。片手で一車線の道を運転し、ジェスチャーまで加えるから危なくて仕方ありません。速度計は130キロを超えているし、路面は濡れているし、路肩に馬車やら牛やらが歩いているし。エアバッグがあってもこの速度では役に立ちません。犬をはねても衝撃はすごいでしょうから、牛なんかはねた日には、どっちが犠牲者なのか分からないくらい激しく車が壊れるでしょう。一時間ばかり曲芸みたいな運転が続くといきなり視界が開けて眠ったような町並みが広がります。さすがに速度を落とした車が大きな幹線に合流すると、10分くらいで元アウシュヴィッツ強制収容所、国立オシウィエンチム博物館に到着です。