「帝国日本の文学研究・教育」研究会 at 筑波大学

 
 先週の日曜、月曜と筑波大学で研究集会「帝国日本の文学研究・教育」研究会の第一回研究集会があって出かけてきた。筑波大に行くのは久しぶりで筑波エキスプレスに乗って快適にたどり着いた。以前は東京駅からバスに乗って長い時間揺られて行ったものだけれど。
 
 研究会は日本と韓国・台湾の植民地時期の研究者たちが集まったもので、20人くらいの小じんまりしたものだったが、とても知的刺激に満ちたものだった。少人数だったこともあってか、たいへんアットホームな雰囲気で進められた。
 
 吉原ゆかり「京城帝国大学(当時)・台北帝国大学(当時)における西洋文学研究・教育についての現地基礎調査報告」は現地調査などの豊富なエピソードに基づいたもので興味深い話題が多く、特に台湾でもアイルランド文学への高い関心があったことや、当時の同じ植民地であった朝鮮への競争心とも言えるような関心があったことなど、色々教えられることが多かった。京城帝大・台北帝大での外国人教師に関する詳しい紹介もあった。
 
 渡辺直紀「植民地朝鮮の日本語文学」も豊富なエピソードを交えたもので、聴かせるものだった。豊富なエピソードはここで紹介することはできないが、朝鮮総督府図書館のことや、リットンレポートのことなど、当時の朝鮮をめぐる状況がかなり広い視野から理解できるもので、発表の大筋は朝鮮の日本語文学のさまざまなあり方をめぐってのものだったのだが、それよりも個々のエピソードを面白く聴いた。高麗神社の話なども面白かった。
 
 続いて私の「植民地朝鮮における英語と日本語の位相」、森岡ゆかり「大森政寿と台北帝大の女子学生についての私の研究―動機とその後」は、ちょっと重なったポイントをめぐってのもので、私の発表は朝鮮における日本語と英語の状況をめぐる概観、そして森岡ゆかりさんの発表は台湾における漢文の位相をめぐるものだった。実は私も朝鮮における多言語的な状況を考えるうえで、漢文の近代朝鮮における位置や意味については考えておくべきだと思っていたので、ちょうど台湾におけるその問題を扱った発表であり、たいへん興味深く聴くことができた。
 
 近代における漢文の位相が単純なものでなく、多層的なものであり、官僚の公的言語としての側面や、江戸文化の伝統への回帰といった面、そして東アジアの共通語として支配のための言語手段でもあった(特に台湾についてはそれが強いと言えるだろう)という点など、それは東アジアの知識人言語・高級言語としての位置が植民地期に残存し、活用されたという事情を示しているだろう。おそらく朝鮮においても事情は似ていたと言えるのだろうが、ただ、支配の言語手段であったという面はおそらく異なっていたと思える。朝鮮においては日本語の直接手段がまがりなりにも通用したことのためだろうか。その辺についてももう少し考えて行ってみたい。
 
 懇親会やホテルの部屋での2次会を経て、次の月曜日には柳忠熙「朝鮮開化期知識人の英語リテラシーの問題―尹致昊(ユン・チホ)を中心に」、金牡蘭「韓国における植民地期英文学研究:現状と課題」の2本の発表があった。
 
 柳忠熙さんの発表は19世紀末の知識人・尹致昊を取り上げて、朝鮮末期の外国語学習をめぐる状況が扱われたものだった。尹致昊という人物が興味深いのは、幼い時から漢学を勉強した知識人でありながら、日本に留学し、そこで英語を学習し始める。つまり日本を経由して英語学習に取り組み、そしてその後アメリカにも留学しているという多言語的な性格のためである。彼の残した膨大な日記は最初漢文で書かれているものの、その後朝鮮語に移り、また再度英語でのものになっている。実際に多言語的な生を生きた知識人であるのである。19世紀末の東アジアでの知的・言語的な交通のあり方を端的に示す人物であるとともに、それぞれの地域が相互媒介していたという事情をよく示してくれるケースでもあるだろう。日本においても幕末まで中国の漢文を通して最新事情を収集していたことや、漱石などが漢文と英語との多言語的な交通の中で文学に接していくことなどを思い起こさせる。1910年以前の東アジアは相互交通と相互媒介が存在していた興味深い空間だったことを再認識した。
 
 最後に発表した金牡蘭さんの発表は、京城帝大英文科をめぐる最新の研究状況を整理・紹介したもので、これもたいへん有益な発表だった。日本で植民地期の外地での大学(の学知)研究が盛んであることから想像すれば、韓国でそのような種類の研究が盛んになっていることはたやすく想像できるものの、実際に多彩な研究成果が出されている様子を知ると、一種の意外さを覚えるほどだった。植民地アカデミズムの持つ様々な位相をめぐって――例えばアカデミズム制度の外部の英文学研究との関わりについてや、帝国本国での研究との相関性、台湾での植民地アカデミズムとの関連、などなどといったイシューが焦点化されているようだった。たいへん鼓舞されるものであったが、自分もうかうかしてはいられないという叱咤を受けたような気にもなった。この分野は熱い関心を持たれている分野であることを実感した次第であった。
 
              ★
 
 研究会を終えて、秋葉原で遅い昼食をとって(焼肉の万世で食べた)、その後娘のアパートに1泊して帰ってきたのだが、実はその後体調を崩してしまった。仙台に帰ってすぐに今学期の成績報告があったので、ちょっと無理したこともあったのか、あるいは筑波で風邪を引いていた方がいたのでそれをもらったのか、全身が痛んで微熱があるような状態が続いている。頭も痛いし、身体の奥の方がうずいているような感じである。
 
 2月から3月にかけて貴重な自由時間であるので、溜まっていた仕事――論文3本――をやらなければいけないのだが、なかなかすぐには取りかかれそうにない状態である。と言って言い訳をしながら一日一日浪費してしまうのだけれど、何とか少しでも進めないと。筑波で受けてきた刺激を何とか生かして前進したいものである。