「信賞必罰」を考える

 組織を運営していくためには、一つの軸となる思想が必要である。それにはいくつかの考え方があろうが、「スジ」と「情」という二交代率でそれを大別することも可能だろう。
 80年代以降、規制緩和や自由競争といったキーワードの中で日本が目指したものは「スジ」に基づく組織運営であり、その一側面が「信賞必罰」である。「情」としてはどんなに認めたくなくても功あれば賞し、失あれば罰する。それは明確なルールに基づく公正な運営という理想*1である。

 北京オリンピックの野球。私たち国民は、選手や関係者には申し訳ないながら大変無責任かつ無邪気に金メダルを求めた。しかし、それを是として野球界、選手、関係者はみずからに責務を課し、北京に行った。その社会契約の中で、星野ジャパンは負けた。
 事後の様々な論評は、その責任を大きく星野仙一監督に帰している。
 本日報じられたところでは、星野監督にWBC代表監督の就任要請がなされているらしい
 端的に言って、この要請は撤回されるべきだ。星野氏の固辞ではなく、NPBによって撤回されるべきだ。それが「信賞必罰」の形である。
 なぜなら、WBCについても北京オリンピック同様の社会契約が働いているからだ。星野氏を「男にする」とか、「リベンジの機会を与えよう」とか、どうでもよいのだ。「勝つ」こと、そこにしか目的と評価の軸はない。
 そうでないというなら、またそうであっても星野だというなら、NPBはそのことをキチンと論証しなければならない。それが「信賞必罰」のもとでの当然、である。

 しかし、ことは野球に限らないのだろう。
 経済産業省*2は、この7月に望月晴文前資源・エネルギー庁長官を次官に昇進させた。その目的や戦略について、私はよく知らない。ただ一つ言えることは、この人事で経済産業省は「信賞必罰」を大きく損なったということだ。
 望月氏はほんの少し前に、PSE騒動の原因となった制度改正*3について、大臣から厳重注意の処分をされた人物である。それが、官僚としてのトップである事務次官に就任することは、この処分が無価値だったことを意味するからだ。
 天秤は望月次官になんらの予断も持っていない。多分、有能で、人品も確かな人なのだろう。だが、組織運営上、この措置は「信賞必罰」の原則を損なっている。
 経済産業省は、80年代以降、規制緩和と自由競争を省是とし、民間に「信賞必罰」を鼓舞してきた張本人(張本省?)である。「隗より始めよ」ではないが、経済産業省には本件について説明すべきだったのではないかと、PSE法の処分にあたって経済産業省を誉めてしまった天秤*4は思った。

 ことほど左様に、「信賞必罰」というのは簡単なことではない。だが、日本という社会は、それを覚悟の上で「スジの運営」を目指したのではなかったのだろうか?




.

*1:それは理想でしかないことはいうまでもない。あらゆるルールは解釈によってその意味を発揮し、解釈は必ず解釈権を握る人に私される危険性を有する。そしてその危険性はしばしば現実のものとなるからである。

*2:私もそこに属しているところの

*3:「改悪」と言いたい人がいることはわかるが、用語法としては「改正」なのである。だって、制度を改めるのは、それが「正しい」と考えているはずだからだ。まぁ微妙な慣習だけど。

*4:会社員として、社長人事におおっぴらに文句をいうのはどうしたものかとも思う。だが、何せプライベートカンパニーではなく、パブリックサービスのことだし、国家公務員法上の身分保障原則もあるのだから、それを表明したところで天秤がクビになったり、人事上の不利益を負うことはないと信じてこのエントリーを書いている。