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t.hatena.ne.jp

t.hatena.ne.jp

もちろん現時点で t.hatena などというものはないし、仮に今後 t.hatena が出来るとしても、画像(http://d.hatena.ne.jp/images/diary/m/matakimika/2005-06-07.png)のようなサービスになるかどうかはわかりようがない。

陰口の効用 のメモ 2

明日と書いたまま二ヶ月弱が経過してしまった前回(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050418#p3)からの続きというか、引き続いてバラバラの書き出し。だいぶ意味がわかんないと思うが、あとで整理。

  • ネットに上げた情報はただそれが閲覧されるだけでなく、様々に利用される場合もあり得て、それは発信者の管理の及ぶ領分ではない。諸問題を避けたければ情報自体を場に上げないのが一番(有名で必要な情報であれば「その情報がネット上にないこと」自体を問題にされる場合があるけど、そういうのは稀)。
  • 並列化された(ことになった)web 日記は世界観闘争へと背を押されがち。
  • 展開
    • 食品としての情報:消費・ネタ
    • 薬品としての情報:叩き台・煎じ茶・スパイス
    • 鉱物としての情報:自分アクセサリ→ファッションリンク
    • 呪(まじな)いとしての情報:自己肯定→南無阿弥陀仏
  • 自動的に動員されたことになる状況への抵抗。
    • 要素のひとつとしてカウントされる、属性で切り分けられ羅列される(→細かいニュアンスを軽視したうえで判断されたと感じる)、また「その他大勢」として扱われることによる不本意感・不当感には行き場がない。
    • 話題、物語と主体の関係。世界と世界観の闘争?
  • 「ネットで話題の」とかそういう売り文句。
    • 印象操作や印象操作業者への軽蔑・侮蔑→釣り師でなく漁師
    • 同じ結果を受け止める感覚差→「踊らされる」「挑発に乗る」
  • 体感速度差の問題→マッハ
  • このあたりから、匿名・仮名・実名を切り分けるキーをひねり出せるだろうか?
    • 有名人の自意識過剰さには「自分の興味のまるでないようなことについても立場の表明を要求され続ける状況への適応(馴れ)」という原因がある気がするので、たとえ滑稽でも笑うべきではないのかも→「その麻痺感の現在進行状況をお茶の間から楽しめるのがワイドショーだよ」
  • SNS は無根拠に信頼されがち
    • SNS 内であれば外部へ情報は漏れていかない、などということはない。参加人数ぶんの入り口と出口があるのだから、多少のディレイは期待できるがいずれ情報は広まるし混ざる。治水事業の比較的うまくいってる地域くらいの感覚でいればいいだろう。洪水、堤防、決壊、遊水地。どのみち思いもよらないところから漏洩する可能性が、ゼロになることはない。
  • 陰口の意味は「その場に居ないひとへの悪口」だそうだ。陰口が陰口で終わってしまった場合、その集団の問題点は隠蔽されることになり(陰口を叩かれているひとの問題や陰口を叩いたひとたちの問題、それらの複合状況等)、各人合意のうえでの事態改善への道が保留される(←閉ざされるわけではない)。
    • そうこうしているあいだに時間が経過してしまう→既成事実化・習慣化・硬直化してしまうことこそが一番問題といえば問題。
  • 陰口としての SNS
    • 堤防で一応囲われた場に水を流すことで情報伝播をせき止める、あるいは水位を越えるまでの時間に遅延を生じさせることで個々に曖昧な水量のマネジメントを行える、という効用?(マッハの域に到達したシーンに関してなら、多少の情報欠落・ディレイでも十二分に事故抑止効果は期待できる←本来よほど条件が融合しない限り事件は起こらないもの。なぜそれでも頻繁に爆発するのかというと、それは情報に関与するひとたちがそれを取り扱う過程で無意識に事故率を高めるような操作を連鎖成立させてしまうから)
    • この場合でいうと、チラシの表=web 日記:チラシの裏SNS、か?
  • ネットはその仕組み上「消極的反対」が表明しづらい。というかもともとそれはネットでなくとも表明するメディアの少ない立場というか、立場でさえないようなものとして扱われがちだが、なにかと加圧・加速感の高いネットでこそこういう感覚なり場なりのことを考えておかないと、みんなガスが溜まってすかしっ屁まみれになってしまうような気が。
    • すかしっ屁自体を構造的に減らす、すかしっ屁を隔離する場の設定、すかしっ屁への耐性強化、すかしっ屁に関するマナーや免罪ルールの整備、等々いろいろ考えられる。そこに陰口の(結果的なマイナス相殺としての)効用を見出せないか。
  • ただ、あまりそういうのを尊重しすぎても「空気」とか「暗黙」とか曖昧なものがたくさん出来上がりかねないので、それはめんどくさく、めんどくさいのはいやだなあとも思う。ようはやはり治水のやりようなのだろうけど。水が濁るとひとも腐るのは、各亜流アンの栄枯盛衰の歴史を見てもわかるとおり。まあとりあえず太平洋の荒波だけだとつまんないので湾とか内海とかも適宜活用してなるべくバリエーション可能性とか自然体とか多様性とかも見ていきましょうってあたりがきれいな話か。川の話が海の話になったか。そこはこだわるところじゃない。

nintendogs

  • ディスクドッグ大会参加中、ホームに電車が入ってきて強風が吹き込むと、ディスクの飛び先を心配してしまうあたりの仮想現実感は楽しい。
  • チャンピオンシップ常連になりつつあるが、いまだに連続出場したことがない。エキスパートあたりだと肩の力がいい具合に抜けてて 40pt 越えとかするんだけど、その力がチャンピオンシップで出せないでいる。戦術も組み立てないとなあ。シーマンがキャッチできる 10pt 圏はライン越えギリギリまでだ。そこから遠くにいってしまうと取れない。いっそ 8pt キャッチ最短距離に確実に投げられるよう練習してみるとか。
  • ナデナデしてるとたまに出てくる黄色いホネが相変わらず気になっている。掴んで口元にもっていくとボリボリ食うので、たぶんこれは犬に食わせるものなんだろう。だがそれをする効果はなにか。芸の仕込みとかに関係あるのかなあ。もしそうなら、まったく芸を覚えさせてない現状だと骨食わせても無駄だよな。マニュアル読むとか、またはネットで攻略情報でも探すとかすればいいのだろうが、やる気がない。
  • 部屋で遊んでたら、シーマンがジャンプ後空中回転した、ように見えた、が、目の錯覚だったか?

現実を萌やす

おれの場合特にどの宗教に肩入れするでもなく、神様とか仏様とかあまり信じていないが、まあ世間に宗教があることにはある程度仕方ない部分もあるよなとは思っている。いずれおれにも宗教があってよかったと思える時が来るかもしれない。人間は歳食うと信心深くなると聞いた。その時手ごろな宗教を見つければ、入信したりするのだろう。昔は単に誰でも老い先短くなれば命が惜しくなってくるという話なんだろうと思っていたが、どうもそういうことだけではないらしいとだんだんわかってきた。人間の心理は簡単で複雑で、厄介だ。

ところで神様の話だが、神様が居ない場合、おれがなんでここに居るのかというと、それは偶然だという話になるかと思う。神様が居る場合、それは神様の思し召しとかになる。神様が格別ではありつつもありふれているような宗教観の場合、思し召しとかではなく神様も人間もなんかいい具合のアレで適当に、みたいな話になるのかもしれないが、そっちにいくとややこしいので今回は除外。ともかく思し召しか偶然かの二択でいいなら、偶然と神様の格は基本的に等しい。言い方の違いだ。ただし神様には偶然にないキャラクタ性がありうるので、そこを介して人間はそれに萌えることができる。それというのは現実のこと。現実を萌やすためのきっかけとして神があり、萌えを実践する手がかりとして宗教がある。おれがいまのところ宗教を必要と感じてないのは、現実を萌やす必要のないものと考えているからだろう。

…なんでこんなオタオタしいことを考えたかというと、lula 氏のフォトライフで見た「なべつかみ」(http://f.hatena.ne.jp/lula/20050529140759)という単語が日中脳内にひっかかってたからだと思う。なべつかみというのは鍋掴みのことだが、これ平仮名で書くと神様の名前っぽいよな。日本の神様の場合は名前に濁音は入らなかったと思うし、あとこんな細かいところにも神様が居るようならそれは多神教だろうから上記のような話では収まらないんだけど。