選挙が待てないひとたち

最近のポーランドの事故をはじめ、キルギスとかタイとか色々物騒な政変が続いている昨今皆様いかがお過ごしでしょうか。私は元気です。


キルギス野党勢力、暫定政府樹立を宣言 大統領は首都脱出か 写真10枚 国際ニュース:AFPBB News
赤シャツ隊が議事堂突入、副首相ら軍ヘリで脱出 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
さて置き、ポーランドはともかく、キルギスとタイはなんだかなぁと言う感じです。簡単に言ってしまえば「歴史は繰り返す」と言う事はできるものの、もっと言えば、そこで起きているのはその政権への正当性の挑戦、という感じなんでしょうか。
正当な選挙によってできた政権をクーデターで倒す場合、そこに正当性はない。しかし、例えばクーデターによって成立した政権をもう一度クーデターによって倒す事を非難できるだろうか?
正当でない手段を用いてしまった時点で、それを繰り返す事へのハードルは限りなく低くなってしまう。だからこそ、タイやキルギスのように、同じような手段を用いての政変が繰り返されてしまうと。だからこそ、一般に民主制というシステムにおいては「公正な選挙」という正当な手段が重視される。そこに正当性がなくなってしまえば、次もまた同じような方法で政権が奪われてしまうから。まさに、ザ・負の連鎖。


世襲による独裁制の欠点の一つにこういう物があります。世襲によって権力者の地位を担保する事は、ぶっちゃけてしまえば、いつかその血統は人類誰もがサルに行き着いてしまうという矛盾。つまり血統は権力者であることの正当性にはならない。そんなものに正当性はないよね、では何にそれを与えればいいのか?
そういう風にして、人は選挙というシステムに行き着いた。つまり民主制における普通選挙とは、投票による意見の集約であると同時に、その正当性の証明と担保でもある。選挙で選ばれたのだから、次も選挙で倒さねばならない、という論理。


これに失敗したのがキルギスやタイという事なんですよね。クーデターによって成立したんだからクーデターをやり返して何が悪いんだ、と。まぁ確かに一理あるのかもしれない。それは逆説的に(普通に運用している限り)民主制はそうしたクーデターや革命が起こりにくいシステムとも言える*1。勿論それが本当に国民にとって最善であるかは私には解りませんけど。偉い人が考えてくれるの待ちです。


結局の所、彼らは不公正に対しては多少の不公正で対抗しても許されると考えてしまった。といっても別にそれ自体は批判されるものではないし、そこに問題の責任を求めるべきではないんだと思います。
重要なのはそんな「彼らの不公正に正当性を与えてしまった」事こそが悲劇であると。

*1:フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』より