「不寛容」の絶対基準と相対基準

人は重要だと考えるものには厳しい目を向けるけれども、どうでもいいことには適当にしか見ませんよね、なお話。
もしくは途中計算は間違っているけど答えは合ってる、なお話。


腐り始めた「人権大国」フランスの魂 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 文明社会で不寛容が許容されるのは、不寛容に対する不寛容だけでなくてはならない。ニコラ・サルコジ仏大統領とフランス国民が警戒する気持ちはわかる。フランスの魂にとんでもない脅威が迫っている。ただしその敵はブルカを着ていない。

腐り始めた「人権大国」フランスの魂 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

何だろうこのモヤっと感。結論としては概ね同意はできるんだけど、何でその過程でそうなるの? というガッカリ感は、まぁいつものニューズウィークらしいと言えばらしいんですけど。


この日記でもいい加減もう何度も書いてきたんですけど、結局の所一部の欧州各国で見られるようなブルカの問題は、宗教的自由をいかにして実現するか、あるいは政教分離をいかにして実現するか、というテーマなんですよね。
その点でアメリカと欧州は全然違う手法を用いている。公共の場での宗教的シンボル*1を全て許容し基本的に認めるのがアメリカで、反対に公共の場ではそうした宗教的シンボルは控えましょうというのがフランスだったり欧州の立場だったりするわけだ。
だから少なくともブルカ禁止令を出したフランスを始めとする一部のヨーロッパ各国にとっては、極当たり前に、そうした決断を下したのであって特に問題になるとは思っていない。


その点からすると、傍から見ればフランスにとっては「ロマの本国送還」の方がよっぽどクリティカルで重要な問題なのではないかとは言える。だってそもそも欧州連合EUの理念の一つが「欧州市民」だったんじゃないのかと。
だからそんなフランスの振る舞いにEU本体も大慌てで*2「何やってんだ」と騒いでしまうと。そういえばスウェーデンでも選挙で一波乱がありそうでがんばれという感じです。


こうして見るとヨーロッパとアメリカとはまったく逆なんですよね。
アメリカにとって宗教問題と移民問題のどちらの方がよりクリティカルな問題であるかといえば、宗教問題である。
フランス(ヨーロッパ)にとって宗教問題と移民問題のどちらの方がよりクリティカルな問題であるかといえば、移民問題である。
以前アメリカでもメキシコ国境での不法移民対策が話題になってたりしましたけど。あれも何だかんだでアメリカではさっくり成立したように、同様にフランスでの宗教的自由な問題はこうしてさっくりと「上院が賛成246票、反対1票の大差で可決」すると。
そしてアメリカでは宗教摩擦で燃え上がり、フランスでは移民排除で燃え上がると。それは単純に不寛容だからというよりも彼らが、むしろより重要であると、考えているから。


それでもまぁブルカの問題はさて置くとしても、フランスの「ロマ排斥」の様相を見ると、引用先記事はあながち間違っているとも言えない。
はじめからこっちをメインで記事を書けば個人的には納得できるのに。まぁアメリカの週刊誌だから、より宗教的な問題を取り上げなければいけないというオトナの事情もあるんでしょうけど。オトナって、商売って、悲しい。


*1:たとえばブルカだったり、あるいはアメリカで話題になってるモスクだったり

*2:ロマ人強制送還問題でサルコジ大統領とEU側が激論 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News