国際関係における自らのポジションを客観視できない人びと

「国連よさらば!」からまるで成長していない人びと。


3分で終わる核武装論議 | プリンストン発 日本/アメリカ 新時代 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
冷泉先生の大変面白いお話。敵や味方だけではないそれ以外の大多数の国際社会からの認識を考えるとどう考えても不可能だよね、というのはまぁ概ね仰るとおりかなぁと。それは単純に日本がかつて邪悪な敗戦国だったからだ、というだけではなくて、それなりに戦後から60年以上平和国家としてやってきた日本だからこそ、核武装というある種のモラルハザード北朝鮮がするよりもずっと大きな影響を与えてしまうだろう、という予測。

 そう申し上げると「ちょっと待ってくれ。日米同盟があるから日本がそこまで悪玉になることはないだろう」という反論が返ってくるかもしれません。ですが「日米同盟から自立しても核抑止力が欲しいから核武装論をしたい」というのが最初の議論の前提であるとすれば、そんな甘い話にはならないわけです。

 話がやや大げさになりましたが、結論はただ1つ、日本の核武装は不可能だということです。理由は上記の通りであって、この「議論」を禁じる必要は感じませんが、その「議論」自体が3分で終わるものだというのもまた事実だと思います。

3分で終わる核武装論議 | プリンストン発 日本/アメリカ 新時代 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

日米同盟があるからこそ結果として、日本の核武装は現実的ではなくなっている、というのには個人的にもすごく同感ではあります。
ちなみにこれって逆のポジションからも似たようなことが言えてしまうんですよね。以前の日記でも書いてきましたけども、つまり、アメリカ側にとっても日本が核武装するということは『日米同盟』か『既存の核拡散防止体制(NPT=IAEA)の崩壊』か、という究極の二択を突きつけられることになるのです。だからまぁ「アメリカを困らせてやろうぜ!」という反米的な視点からすると、実はかなり正しい戦略だったりするんですよね。


敵や味方などの二国間関係だけでなくより多元的な国際関係における自らのポジションを客観視できない(一部)日本人。
しかしこうした視野の狭い人びとというのは別にタカ側に特有の宿痾というわけではありませんよね。むしろハト側の人たちだって普段から似たようなこと言っているわけで。日米同盟の破棄や非武装中立論など、日本がパワーバランスを変えてしまうことことによって発生するだろう、ただの二国間だけでなく現状の国際体制そのものへの影響を――意図的か天然なのかはともかく――さっぱり無視してしまう人たち。
その意味では、『核武装』論も『非武装中立』論も、結局同じ構造から出ているのだなぁと生暖かい気持ちになってしまいます。レベルとしては悲しいほどに同レベルな人たち。


国際連盟から堂々と退場す!」してみせたあの頃からまるで成長していない私たち。あの頃と同じノリで「核拡散防止体制から堂々と退場す!」とか夢見ているんでしょうか。それがもたらす世界全体への影響を何も考えもしないで退場してみせたあの頃を。
冷戦構造の中だったら敵か味方かが大多数でもう少し世界は解りやすかったのにね。
ところが今はそうではないにもかかわらず、すぐに白か黒かの二元論に突っ走ってしまう私たち。そりゃ外交も得意とは決して言えませんよね。