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はなしはみずもん〜ゆいみの日々の繰言

2009-08-23

夢の中を彷徨う

12:13 |

 子供の頃はお化けや怖いものの夢を見て汗ばんで目を醒ます、なんてことはよくあったが、大人になってからはそれほど記憶がない。時の移ろいにより怖いものが変わっていくのは当然だが、久々に息が詰まりそうな夢をみた。

 家に帰れない、帰り道が分からない、という内容の夢は以前からよく見ていたのだが、夢の中でも比較的冷静で、地名を確認、交通機関を確認、なんてことを夢の中でもやっていて、そんなことをしている間に目が醒めていた。今回は、居場所を確認する情報がなかった。

 地名表示板と思われる物はいくつか存在したが、それが地名であるという根拠も、確証もない。交通機関は見えたが、駅や停留所が何処にあるか分からない。そもそも今日が何日で、何曜日かも分からない。回りにいる人間は私を押さえつけようとし、何かを一生懸命言っているのだが、内容は全く理解出来ない。こちらの主張は全く受け入れられず、疑問点は何一つ解決されない…この状況は、一体なんなのか。混乱を極めたところへ、顔を見知った人間が現れた。その瞬間、何もかもが氷解したように理解される。『私を知っている人がいる、もう大丈夫』と。

 

 長い夢だった。目が醒めた後で思った。

 この状態は、認知症ではなかったかと。

 普段私は、地名が分かる場所、交通機関や道路を使って移動が可能な場所に住んでいて、日時や自らが置かれている事態を確認することが出来る。確認の主体は私であるが、結晶性知能を使えなければ確認の根拠はない。夢の中での探索活動では、確信的な情報は得られなかった。時の移ろいには意味はなく、とにかく自分の知っている物、自分を知っている人を探し続けた。

 周辺環境の情報を上手く利用するためには、結晶性知能が重要で、結晶性知能を上手く引き出せなければ、周辺環境の情報が意味をなさなくなる。今日が何日で、今が何時か、確認する意味がなく、自分が何をするべきなのかも判断できなくなる。

 結晶性知能の未熟な子供が、親の知能を利用して知識を蓄えていく過程のように、高齢者は他者の記憶を利用しようとすることは少ないように思われる。失われた情報収集の手段、理解の過程、蓄積されない知識…。新しく与えられるものの意義は小さい。今持っていて、知っている物を使うことが最良の手段なのだと思った。

2009-05-27

プチ?VIP

| 20:12 |

 最近、対象者で時々『ちょっと偉い人』『ちょっと有名な人』がたまにいる。

 …対処方法には勿論困る。

 

 一緒に写真撮って、もたまにあるが、これは出来る限りお断りしている。

 気分を害されると困るので、たまには応じるが…。

 そう、全部、『たまに』なのだが、これが一体後でどう響いてくるのか…。

 時々『凄い偉い人』にも会わないといけないことがあるので、厳しい。

 失礼のないように。ドキドキ。

2009-05-21

インフルエンザ狂乱

| 13:09 |

 いつもは切り貼りですが、今日は手書きです。

 推敲なし^^;

 ドラッグストアに買い物に行ってきました。 

 マスクはないとわかっていたので、最初から買う気はなし。店員さんはみんなマスクをしていましたが、お客さんは三割くらいしかしていませんでした。

 花粉症が終わったと思ったらこれですもんねぇ。

 暫くはこんな状態が続きそうです。

 …インフルエンザウイルスって確かDNA転写型だったと思うので、感染対象を変えるたびに遺伝子を組み替えているのではないかと思うのです。動物→人感染だったから問題だったということは分かるのですが、今までのインフルエンザも人畜共通感染症だったのではないかと…。

 ちゃんと手洗い、嗽してれば、リスクは低いと思うのですが、あ、マスクも、お忘れなく…。

2009-05-17

時間を忘れる会話

| 19:41 |

 久しぶりに養成学校時代の同級生とご飯を食べる機会に恵まれた。

 時間はあっという間に過ぎた。久しぶりで楽しくて、また一緒にご飯食べようと約束して別れた。

 何よりも、お互いに悩んでいることや教えて欲しいことが聞けたり、情報が共有できたことが本当によかった。職場では『何をやっているか分からない』と言われて孤立しているが、『うんうん、あるある、そうそう』をたくさん聞けた。

 孤立している話をすると『そんなのでやっていけるの?』と心配された。

『仕事は仲良しごっことは違うから。臨床は面白い』と答えると笑顔で返してくれた。

 もう少し、頑張れる気がした。


 気心の知れた相手は、会話の呼吸が分かる。同じ知識レベルだと安心して話が出来る。

 無理に話を聞こうとしなくても。自然に相手の話を聞きたくなるし、気がつくと身を乗り出している。意識しなくても『嬉しい、楽しい、大好き』が実現されてしまう。

 これって多分理屈じゃないのだろう。苦手な相手に対してこういうことは出来ないし、自己開示も出来ない。

 壁を感じたら、『聞く作法』を駆使しなければならないのだろうが、最初から壁がなければ、言葉のキャッチボールは簡単に楽しめる。

 壁があるということは、お互いに相手を知らないということなのだから、それを前提にして応対するしかない。苦手意識を克服するのは容易ではないし、一度植えつけられてしまった不信感は簡単には拭えない。相手のいい所を探そうとしたって難しい。

 本のタイトルは忘れたが、苦手な人とか、初対面の人と仲良くしたいと思ったら、バイキング形式のパーティ等で、食事を取ってきてと頼むといいのだというような内容を読んだことがある。人のために何かしてあげている=その人の事が好き(かも知れない)という感情を植えつけるというのだ。本当かどうかは分からないが、頼みごとをすると、頼られている、と感じるらしく、ありがとう、どういたしまして、というコミュニケーションも発生するという訳だ。

 そんなに上手く行くかなぁ…?と疑問に思っているのだが、バイキングで食事や飲み物をとってあげる相手というのは、持って行くものに対して文句は言わない、気心の知れた人だ。何となく心理的欺瞞のような気もしないではないが。

 この方法、誰か試してみた人がいたら、結果を教えて下さい(笑)

2009-05-04

言葉の数

| 14:13 |

『聞く作法』という本を読んだ。(渡邉美和子著 幻冬社刊 1200円)人の話が聞けているかな、と感じたからだ。

 というのは、どうも、テレビを見ても面白くない。バラエティとか、ドラマとか、深夜アニメとか、面白い番組が一杯あったのに、最近は早送りでついすっ飛ばし、結論ばかりを先に求めてしまう。じっくり飛ばさずに見たのは『BONES』位だ。私は、テレビ番組に何を求めているのだろう。面白さ?テンポ?濃い内容?情報…?

 クイズ番組も好きだったが、見なくなってしまった。何故だろう。

 人に『話を聞いてほしい』『話を聞きたい』と言われた時、私は出来るだけ口を挟まずにじっくり聞くことにしている。相手が話すのを止めた時も、自分が話していいかどうか聞いてからにし、相手がまた話し始めたら聞く体勢に入る。その方が情報は沢山入る。

 人は自分が話したい生き物だ。話すことによって存在感をアピールし、相手に認識させる。人の関心の70パーセントは自分にしか向いていないと言われる。生来的に自己中心的なのだ。でも、それは仕方のないことだろう。外界を観察し、判断するのは感覚器を持っている自分の身体で、その身体を持ち主である自分が気にしなかったら、一体誰が気にしてくれるというのだろうか。自分を認め、気にしてくれる人が『いい人』なのであって、自分が自分にとっていい人でなかったら、生きていく甲斐がない。

 話が広がるが、児童がいたずらをするのは、自分への関心を引くためだと言う。結果的に叱られることになっても、無視されるよりはいいと感じているのだろう。勿論、褒められたり可愛がられたりするほうがいいに決まっているのだが。

 テレビは基本的には一方通行の情報機器だ。視聴者が何を求めているのか、その場面で受け取った情報をどう感じているのかを、すぐに知ることは出来ない。しかし、会話は違う。その場で相手の感情や受け取り方に対処し、言葉を捜さなければならない。ただ、どちらも聞かないキャラだと、コミュニケーションは成立しない。語彙の多さは、会話上手には比例しないのだ。

 知り合いに、すぐ人の話の腰を折り、自分の話にしたがる人がいる。その人とは、直に会話すると全く成立しないのだが、メールだと上手く行く。余計な言葉を差し挟む余地がないからかも知れない。元々コミュニケーションは上手くなく、何とか自分のことを分かってもらおうと必死になっているのだろうなと思うが、余りに酷いので『そこで否定したら駄目ですよ』と言ったら意外に『そう?』と素直に返って来た。…もしかしたら、自分が話の腰を折っていることに気づいていなかったのかも知れない。

 しかし、もう少し味わえる番組ってないものか。どっぷり浸かって、画面から目が離せないくらいの。

 時間を忘れるほど夢中になるような会話が出来る相手とも最近出会えていないけれど。

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