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僕が線を引いて読んだ所 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017年04月23日

[][]花と港 花と港を含むブックマーク 花と港のブックマークコメント

 近代文学館へ行って、5月6日の講演会のチケットを購入。

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開催中の展示は講演会当日に見ることにして、港の見える丘公園の花と景色を楽しむ。5月に来るときには、今盛りのチューリップはすっかり消えて、バラの花が咲き始めているだろう。
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この後、ミューザ川崎で、知人が多く参加しているオケの演奏するマーラー交響曲第6番を聴いた。長大な曲だが、曲想や音色の変化が面白く、最後まで飽きずに聴き通すことができた。

2017年04月19日

[]悪人? シントラー 悪人? シントラーを含むブックマーク 悪人? シントラーのブックマークコメント

 先日の横浜シティ・シンフォニエッタの演奏会では、ベートーヴェンの第5シンフォニーの演奏の前に、指揮者の大貫先生の解説があり、それがなかなか評判が良かったのだが、その中で印象に残っているのが音楽学者アントン・シントラーに触れた部分だ。「シントラーは悪い奴で、ベートーヴェンの伝記をまとめるにあたって、ベートーヴェンが遺した多くの手紙のうち、自分にとって都合の悪いものは処分してしまった…」
 さて、僕の本箱には、そのシントラーの伝記が処分されずに残っている。昭和46年発行の角川文庫。購入したのは中学2年の時にちがいない。なぜなら僕はその頃、埼玉県西川口に住んでおり、本にはその西川口の本屋のカバーがかかっているからだ。カバーをはがすと、中まですっかり日焼けしていい色になっている。
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 僕はこの本にどんなことが書いてあったか、もちろん全く覚えていないが、中に線を引いたり書き込みをしたりしてあるところを見ると、どうやら僕はこの本を一応は最後まで読んだらしい。ちゃんと理解できていたのかはともかく…
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ベートーヴェンは、あらゆる誇張された形式主義に、真っ向から反対し、平凡な、踏み慣らされた大道を避け、自己自身の方向を追っていたから、その視界を見通しえない人たちからは、誤解されずにいるはずはなかった。

なんていうところにくっきりと赤い線を引いてあるということは、当時の僕がそんなベートーヴェンに共感を覚えていたということ? 若いなあ…

2017年04月17日

[]発見! 長谷川利行 発見! 長谷川利行を含むブックマーク 発見! 長谷川利行のブックマークコメント

 企画展常設展を同時開催するような大きな美術館では、企画展のチケットで常設展も観覧可能となっているケースが多いと思う。とはいえ、企画展を見た後ではもう疲れちゃって、常設展の方はおざなりというか、観たとしても駆け足、という感じになってしまうことがほとんどだ。だから常設展は見られなくていいから、企画展の値段、もっと安くならない? などと言いたくもなってしまう。ところが、先日の東京国立近代美術館は違った。
 目的は今も開催中の「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」と「マルセル・ブロイヤーの家具」の二つの企画展。この二つだけで十分お腹一杯、という感じだったので、いつも通り常設展示の方は、ささっと済ませてラーメンでも食って帰ろう、というつもりだったのに、いざ観始めたらあっちこっちで捕まってしまって、常設展示だけでも一日たっぷり楽しめるじゃん、というくらいの充実ぶりにびっくりしてしまった。
 岸田劉生の「道路と土手と塀」とか、佐伯祐三の「モランの寺」とか、古賀春江の「海」とか、いい絵がいっぱいで。そんな中で、作者は初めて聞く名前だけれど、魅了させられた作品群があった。長谷川利行。人物も静物も風景も、温かみがあっていいんだなあ。(展示作品は、一部を除いて撮影可能でした。) 
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 これは、カフェ・パウリスタという題の油彩だが、解説を読むと、ここに展示されるまでの経緯が書いてあって、面白い。
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 下宿屋のご子息が鑑定に出したというテレビ番組は、僕も時々見るなんとか鑑定団というやつだろう。番組の中でいくらの値段が付き、美術館はいくらで購入したんだろう、作品を手放した下宿屋のご子息は生活が一変しただろうか、などと下世話な興味が尽きないのである。
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2017年04月09日

[]コンサートのお知らせ コンサートのお知らせを含むブックマーク コンサートのお知らせのブックマークコメント

今週の土曜日、県立音楽堂です。ご来場をお待ちしております。
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2017年04月07日

[]花をもめでじ 花をもめでじを含むブックマーク 花をもめでじのブックマークコメント

伊勢物語』第八十八段。

むかし、いと若きにはあらぬ、これかれ友だちども集りて、月を見て、それがなかにひとり、
  おほかたは月をもめでじこれぞこの
   つもれば人の老いとなるもの

 この「月」を「花」に置き換えてみると、今の自分の気持ちと重なってきます。

  おほかたは花をもめでじこれぞこの
   つもれば人の老いとなるもの

 (現代語訳)世間では今年もまた、どこそこの桜が咲き始めたとか、満開を迎えたとか騒いでるけど、それにつられてソワソワし始めちゃう自分がなんとかならないもんかと思っちゃうんですよ。若い時は、「今度の土日はせっかく満開になりそうなのに、雨の予報でがっかり」なんてことはなかったのにね。それよりも、咲いては散り、咲いては散りしてるのを惜しんでいるうちに、ほら、自分自身が枯れちゃいそうじゃん。

2017年04月01日 カマイタチ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 草野球に明け暮れていた小学生の頃の事件の一つである。
 一塁を守っていた、僕より一つ年上のかっちゃんが、内野手からの送球を捕ろうと両手を高く差し出したが、球はそのすぐ上を通過してしまった。その直後である。球を後ろに逸らしたかっちゃんは、球の行方を追うことなく、その場にうずくまった。異変を察して駆け寄った子供たちは、かっちゃんの痛みを訴える箇所をのぞき込み、口々に「カマイタチだ、カマイタチだ」と叫び合った。
 その時、僕自身はどこかの守備についていたのか、それとも攻撃の側だったのか、はっきりとは覚えていない。ただ、かっちゃんのグローブをつけていない方の手の、つまり右手の親指と人差し指の間に、鋭利な刃物で裂かれたような深い傷が口を開けているイメージだけが記憶として鮮明に残っている。球は、親指と人差し指の間の、皮膚に触れるか触れないかのすれすれのところをかすめていったのだろう。
 井上靖詩集北国』の中にある「カマイタチ」を読むたびに、この記憶が蘇ってくる。

ここは日暮時にカマイタチが出るといふのでみなから恐れられてゐた。カマイタチの姿を見たものもない。足音を聞いたものもない。が、そいつは風のやうにやつてきていきなり鋭利な鎌で人間の頬や腿を斬るといふ。私たちは受験の予習でおそくなると、ここを通るのが怖かつた。

ある時、学校で若い先生がカマイタチの話を科学的に説明してくれた。大気中に極限的な真空層が生じた場合、気圧の零位への突然なる転位は鋭い剃刀の刃となって肉体に作用すると。

 その「事件」が起きた当時、僕はカマイタチが局部的な気圧の変化によって生じる現象であるというような知識を持っていただろうか。自分より年長の子供たちが「カマイタチだ」と叫ぶのを聞いて、僕は井上靖の詩に描かれた「私たち」のように、何か得体の知れない生き物を思い描いたというのが事実だったかもしれない。
 「事件」が起きたことは、間違いのない事実である。しかし、今の僕の記憶の中に残る、血も流さずにぱっくりと開いた美しい傷口のイメージは、その後になって得た知識や、井上靖の詩によって修正されて出来上がったもので、記憶とはまた別の種類のものなのかもしれない。

北国―詩集 (1960年) (新潮文庫)

北国―詩集 (1960年) (新潮文庫)

2017年03月31日

[][]他人事とは思えない… 他人事とは思えない…を含むブックマーク 他人事とは思えない…のブックマークコメント

オケ老人! (小学館文庫)

オケ老人! (小学館文庫)

 映画を観た妻と娘が「結構面白かった」というので、では僕も、と観る気満々だったのだが、結局チャンスを逃してしまい、映画はあきらめて原作を読むことに。
 主人公の中島は大学時代にオケに入っていて、今は高校の教師(僕と教科は違うけど)をしながらアマチュアオケに参加。
 解説によると、筆者の荒木源はなんと! 僕と同じバスーン吹き。
 そして僕自身、そろそろオケ「老人」の域に近づきつつあるわけだし…

 というわけで、何かと僕と重なる部分が多い小説。いろんな部分で登場人物に感情移入して読んだ。
 大根くりぬいて即席で作った楽器がオーケストラと共演できるか! などと堅いこと言わずに、楽しむべし。

まじっくばすーんまじっくばすーん 2017/04/02 08:27 ご無沙汰しています。

私はこれを映画館で見て自分のブログに書きました。その後原作をちょっと読みました。

おっしゃる通り、他人事とは思えません。

mf-fagottmf-fagott 2017/04/02 18:29 まじっくばすーんさん、コメントありがとうございます! 久々に貴ブログ読みました。相変わらず精力的に観て、聴いて、読んでますね。『オケ老人!』は、映画と原作とで違うところがたくさんありそうですね。

2017年03月29日

[]林檎と地球 林檎と地球を含むブックマーク 林檎と地球のブックマークコメント

石川のぶよし句集『一石』を読んだ。

一石

一石



直立の独楽に疲れのひとゆらぎ
流されし距離を戻りてあめんぼう


 リアルにものを描き出すのに、細密画のように細かな筆遣いは必要ないということだろうか(そもそも俳句にそれは無理だけど…)。勢いを失い、ふらつく独楽が、流れに抗うあめんぼうの機敏な動きが、ありありと目に浮かぶ。

春眠の夢の外より呼ばれけり
名をひとつ覚えて菖蒲園を出づ

 誰にでも覚えのありそうな出来事が、こうして言葉を与えられることで慈しむべき経験の一つとなる。
 最初に挙げた「独楽」もそうだが、比喩、擬人法が巧みに用いられた句が目立つ。

呼び水に応へ井戸水今朝の秋
わかさぎの銀のしづくのごとく釣れ
白菜を鳴かせて四つに割きにけり
手に地球ころがすおもひ林檎剝く


 果実の皮をむく句は多いが、「地球」は新鮮で驚かされた。「白菜」の句を読んで、僕は俵万智の「白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる」という歌を思い出してしまった。「白菜」に性があるならオンナに間違いない、などと考えてからもう一度「白菜」の句を読むと、これは少々残虐な句なのだなと思ってしまう。
 しかし、作者の人を見る目は暖かい。

しんがりを拍手で包み運動会
一等は靴の脱げし子運動会

 読む人を幸福感で包み込んでくれる、素晴らしい句集だと感じた。


大岩がその奥見せず岩魚釣
道ゆづりあふたびこぼれ萩の花
救ひ出すやうに金魚を掬ひけり
滝の水伸びて縮んで落ちにけり
風押して走りゆく子や風車

2017年03月19日 読むべき本 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 昨日に引き続き、『書く力―私たちはこうして文章を磨いた(朝日新書)』について。
 この本はたまたま書店で見つけて、中の数行を読んだだけで「これは読むべき本だ」と直感して購入したのだが、この直感は正しかったようだ。
 竹内政明は文章修練のために、いい文章を見つけて書き写すことを続けているという。特に井上靖詩集北国』は、「頭からお尻まで三〇回くらいは書き写した」とのことだ。読むだけでなく書き写すことで、「発見」があるという。
 北原政明は『北国』の中の「海辺」と題する作品を取り上げ、その優れた点は、淡々と事実だけを積み重ねた表現の簡潔さ、リズムの良さであるとし、さらに詳細に分析する。

この詩のかなわないところは、作者の感情というか、内面を表現しているのが、「驚くべきこの敵意の繊細さ」「悲哀の念にうたれながら」それから「嫉妬を激しく感じた」の三カ所しかないところです。にもかかわらず、「遠い青春への嫉妬」が、迫るように伝わってくる。

この文章では「殴る」「蹴る」という動詞が一度も使われていないんです。これは、ちょっと真似できない。普通は、決闘や喧嘩の場面を描写しようとすると、どうしても「殴る」や「蹴る」という動詞を使ってしまうものだと思いますが、それをしない。「バンドが円を描き、帽子がとび、小石が降った」というように、陳腐なことばを使わずに、独りよがりにもならずに、そこで起きた出来事をまるで画面で見ているかのように伝える。

 さすがに何度も書き写した文章のことだけあって、その良さを非常に的確に掴んでいる。僕も井上靖散文詩は好きだが、小説を凝縮したもの、とか、詩情があふれるという程度の漠然とした捉え方でこれまでは済ましていた。自分なりの「発見」が見つかるくらいに、井上靖の詩とじっくり向き合ってみたいものだと思って、探してみると、『詩集北国新潮文庫)』と『自選 井上靖詩集旺文社文庫)』が本箱の中に眠っていた。
 机の上に、読むべき本がどんどん山積みになっていく。
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2017年03月18日 人に教える情熱 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 池上彰は著書『<わかりやすさ>の勉強法 (講談社現代新書)』の中で、読売新聞の1面のコラム「編集手帳」を「各紙の中でも群を抜いた力量」と称賛していた(→過去の記事)が、その編集手帳書き手である竹内政明と池上彰が文章について語り合ったのが、『書く力―私たちはこうして文章を磨いた朝日新書)』。

 プロの書き手同士が、惜しげもなく手の内をさらけ出している。自分の文章にも使えそうなワザも見つかるが、プロの書き手でない僕たちにとってのこの本の一番の恩恵は、筆者はここで「あの手」を使っているな、という具合に、「編集手帳」や池上彰の文章を読む楽しさを倍増させてくれることではないか。
f:id:mf-fagott:20170318134648j:image:w360:left さっそく今日の「編集手帳」を読んでみる。(我が家は「読売」を購読していないが、たまたま昼飯を食べようと入った蕎麦屋に置いてあった。)
 まずは、江戸時代の本草学者、小野蘭山の優れた記憶力を伝える逸話の紹介。何の話につながるのかと思いきや、「森友学園」問題。「国会の証人喚問に臨む籠池氏には蘭山先生並みの精密さで真実を語ってもらおう。
 ここまでは、良い。しかし、締めの段落がどうも僕にはしっくりこない。

それにつけても、である。『最も鈍い者が』と題された吉野弘さんの詩を思い出す。<人を教える難しさに最も鈍い者が/人に教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか…>。その人のために書かれたような一節である。

 (あ、ここでも吉野弘か。『書く力』でも、池上彰が「はじめに」で吉野弘の「祝婚歌」を引用している。それはともかく、)僕には、あの理事長が「人に教える情熱に取り憑かれ」た人間であるようには見えないのだ。