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僕が線を引いて読んだ所 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016年05月22日 愚劣な現実と芸術 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

美学入門 (中公文庫)

美学入門 (中公文庫)

 戦後間もないころ書かれたこの著作が21世紀になって改めて文庫化されるに至ったという事実は、この本が現代においてもその価値を失っていない、すなわち古典としての価値を持っていることを意味するのだろう。そういう本から我々が得ることができるものは、小さくはない。僕も、あっちこっち線を引きながら読んだ。心に引っかかったところを、何度も何度も繰り返し読んだ。
 特に印象に残ったのは次の箇所だ。芸術がなぜ生まれねばならなかったのか、その一つの答えが具体的なイメージを伴って迫ってくるようだ。

 私も、戦争に反対したというので、特高に引っ張られて、なぐられたり、なぐられるよりもっとひどい目に合ったとき、この世界に、論理の通らない世界のあること、この人民を守る国家機関の中に、論理がなく、かつ人民を苦しめることが、公然とゆるされていることに直面したとき、突然、私には、この現実が巨大というか「現実とはそんなものだったのか」そうだったのかと、自分の前にそそり立ったのを憶えている。それは巨大な現実とでもいうべき世界が、眼前に現われた思いであった。そして突然、古代の微笑の数々が、例えば、中宮寺の観音のような、古代の彫刻に彫られているほほえみが、自分の眼の前を横切ったように思ったのであった。
 中国のあの平原を前にして、数十尺の姿をして、微笑んでいる、大同の石仏だって、幾万の人間が、数十年かかって、あの巨大なものを彫らねばならなかったのは、やはりこんな気持ではなかったであろうか。あれが、何十尺の巨大な岩壁に彫ったということ、それが巨大でなければならなかった理由は、恐らく、彼らにとって、その現実の愚劣さもまた、巨大であったからかもしれない。

 それから、もう一か所。これは俳句の「季」を考えるときに、示唆を与えてくれると思う。(引用文中の「山本さんの場合」というのは、女優山本安英氷柱から滴る水滴が音と光の交響楽を奏でているのを見て夢のようだと感じたという経験を指している。)

 まことに、ワイルドの言葉のように、
「今、見ていることが、一等神秘だ」
 と思われる瞬間がある。神秘と思えるほどあざやかな現実が突如眼前にあらわれることがある。山本さんの場合も自然を通して認識の達しない深みにおいて、自分自身にめぐりあっているのではあるまいか。
 それは、逆説的にいえば、また同時に、そのめぐりあったとは、その自分に袂別し、自分と手をわかち、新しい未来の中に、または永遠の中によろけ込む自分の中に見い出す新鮮さに身ぶるいを感触したことなのかもしれない。
 自然はときどき、自分に、そんな飛躍をあたえてくれるスプリング・ボードとなってくれることがある。
「袂別する時に、はじめて、ほんとうに遭えたのだ。」といえるような弁証法的な自分への対決を、自分に強いるときがある。
「美のもろさ」はそれである。美は、飛んでゆく鳥が、目をかすめるほど、たまゆらを閃くものであるというのはそれである。そこにはじめて、ほんとうの「今」があるのではあるまいか。
 逆にいうならば、この「今」がなければ、美はないのではあるまいか。私は俳句で、「季」が大切にされるのは、この「今」を大切にすることであると信じている。

2016年05月10日

[]祝「田中裕明賞」受賞 祝「田中裕明賞」受賞を含むブックマーク 祝「田中裕明賞」受賞のブックマークコメント

 久しぶりに清水哲男の『増殖する俳句歳時記』を開いたら、北大路翼

交番に肘ついて待つ春ショール

の句が目に飛び込んできた。大写しになった横向きの人物の表情からやるせなさが伝わって来る、いい句だなあ…
 と思った数日後、今度は同氏の句集『天使の涎』が「田中裕明賞」を受賞したとの情報を目にした。そういえば、『天使の涎』は昨年購入して一度目を通したが、ブログで取り上げるのはもう一度ゆっくり読んでからにしようと思い、そのままになっていた。これを機に、もう一度最初から読みなおして駄文を綴ってみようと思い立った次第…

天使の涎

天使の涎

 『天使の涎』を開いてまず驚くのは、収録句の多さ。1ページ当たりぎっしり13句が詰め込まれている。普通の句集は行間を広く取って、1ページに2〜3句。さながら一句ずつが額縁に収められた絵画のようなもので、読者は一枚一枚の絵の前で立ち止まるようにして、味わいながらゆっくりと歩を進める。ところが、この句集はそんな読み方を許さない。一句ずつ立ち止まっていたら、全部読み終わらないうちにへばってしまう。それに、この句集は句と句の連続性に意味がある。たとえば、

客引きの皮手袋が背後より
電柱に嘔吐三寒四温かな
キャバクラの自動延長寒昴
春が来るすなはち春の歌舞伎町
啓蟄のなかなか始まらない喧嘩
太陽にぶん殴られてあつたけえ


のような一連の句を読むとき、作者の暮らしぶりをのぞき見するような面白さとある種の爽快さを感じることができる。この句集を読むには、スピード感が求められるのだ。次の野菜シリーズも、テンポよく読んでください。

隙間まで緑色なるブロッコリー
殴られたやうな折れ方してセロリ
リーだけは伸ばして欲しいブロッコリ
ありさうでどの芽キャベツも顔がない
白菜の重さは頭痛なのだろらう
折られてもいい長葱の青いとこ

とは言うものの、いつものように、一句ずつ吟味してお気に入りの句に○を付けながら読みたいという欲望を抑えることも難しい。だって、最初に挙げた「交番」の句のような名句が見つかれば儲けものだから。というわけで、僕が丸を付けて読んだ句より。

つつかけで出て春泥に舌打ちす

浅春の早番遅番すれ違ふ

雪解けと言へば失禁美しく

千鳥起きる準備の準備して

目の汗を汗かいてゐる手で拭ふ

顔洗ふやうに西瓜にかぶりつく

虫籠に葉が敷き詰めてあるばかり

切り出せぬ話題湯豆腐揺れてをり
              

2016年04月28日

[]やわらかな感受性 やわらかな感受性を含むブックマーク やわらかな感受性のブックマークコメント

 さあ、連休。どこへ行こうかと考えたとき、真っ先に思いつくのが、どこか美術館へ行ってじっくり絵と対話して来よう、ということ。かといって、都心のメジャーな美術館の企画展は超混雑するのが目に見えているので、この時期は避けたい。地方の美術館の常設展をじっくり眺めるというのもシブくていいかもしれないな。
日本にある世界の名画入門 美術館がもっと楽しくなる (知恵の森文庫)
 赤瀬川原平のこの本は、やわらかな感受性を全開にして絵の前に立ち、細部にまで目を凝らした時に初めて見えてくるものがある、ということを教えてくれる。もっともそれが、易しいようで実はなかなかできないことなんだけどね。

2016年04月03日

[]モランディ展 モランディ展を含むブックマーク モランディ展のブックマークコメント

f:id:mf-fagott:20160404004344j:image:left:w260 東京ステーションギャラリーで行われている「ジョルジョ・モランディ〜終わりなき変奏」を観てきた。
 年譜によれば、モランディという人は昨日取り上げた3人の作家たちのような起伏に富んだ人生を送った人ではない。53歳の時、ファシスト体制に反対する運動家との交友関係を理由に逮捕された一件を除けば、平穏な生涯を送った人と言えるだろう。しかし、波乱にとんだ人生のみが、偉大な芸術を生み出すわけではない。モランディは、その人生同様、穏やかな作風ながら、揺らぎない信念のもとで作品を生み出し続けたことで、20世紀最高の静物画家との評価を得るに至った。
 会場には、同じ器類を同じように並べ、同じような色調で描いた作品がいくつも並ぶが、それらが与える印象は、決して退屈さなどではなく、むしろ深い安らぎのようなものだ。どうしてこのような同じ主題を繰り返し描いたかという知的な興味をそそられることも確かだが、理屈抜きで作品の一つ一つが観る者に絵を見ることの心地よさを感じさせる。落ち着きのある色と形、そして絵の質感が、目を楽しませるのだ。これらの作品群には、もっとも純粋な意味での絵画というものの存在価値が凝縮されているような気がする。
 東京ステーション・ギャラリーは、モランディの作品を並べるのにこれほどふさわしい場が他にあるだろうかと思わせるくらい、今回の展覧会にはうってつけの会場だ。古びた煉瓦の赤黒い壁面がモランディの渋い画面と調和して、魅惑的な空間を生み出していた。

2016年04月02日

[]3ページの人生、3行の人生 3ページの人生、3行の人生を含むブックマーク 3ページの人生、3行の人生のブックマークコメント

泪 (百年文庫)

泪 (百年文庫)

 深沢七郎島尾ミホ色川武大
 なんて波乱に富んだ人生を送った人たちなんだろう。それぞれ3ページほどにまとめられた巻末の「人と作品」には、さまざまな出来事がぎっしりと詰め込まれている。つまびらかに書き記せば、一冊の本にも納まりきれないほどの人生だっただろう。それと比べると、自分の人生がいかに平坦でスカスカであることか。3ページどころか、3行もあれば書くことは尽きてしまいそうだ。
 色川武大の「連笑」は、作者自身の経験を素材にして書かれたようだ。すなわち、僕自身の経験とはほとんど重なることのない話が展開するが、なぜか主人公「私」に妙に感情移入してしまう。深いところで相通じるものがあるということだろうか。

2016年03月21日

[]地方美術館の魅力 地方美術館の魅力を含むブックマーク 地方美術館の魅力のブックマークコメント

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 昨日は、国立新美術館で「はじまり、美の饗宴展〜すばらしき大原美術館コレクション」、今日は静岡県立美術館で「風景画の誕生〜ウィーン美術史美術館展」及び同時開催の「日本人の風景画」を観てきました。東京都内の美術館がその数と質において他の地域を圧倒しているのは間違いないでしょうが、都内だけでなく日本各地に充実したコレクションを持つ魅力的な美術館が存在することを思い知った二日間でした。

 静岡県立美術館は、日本平へと続く伸びやかな丘陵地帯の一角にあり、彫刻作品が点在する周辺の散策と組み合わせると、楽しい一日が過ごせます。(帰路、東名御殿場辺りでひどい渋滞に捕まったのには参りましたが…)

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2016年03月08日

[]売れてたまるか 売れてたまるかを含むブックマーク 売れてたまるかのブックマークコメント

f:id:mf-fagott:20160308234751j:image:w240:left 読むたびに、僕を楽しませてくれる建築家石山修武の文章。この本もまた、期待を裏切らない。
 自らの商品を語る石山修武の文章は実に面白い。石山修武だったら、たとえどんなにつまらない商品でも、屁理屈を並べてそれがいかに価値あるものかを語って見せることができる。お客さんにとって、もう商品の善し悪しなんてどうでもよくなってしまう。読者としてその話芸を楽しませてもらえればもう満足なので、商品を手に入れる必要はもはやない。商品を買うつもりはないけれど、ダイレクトメールは読みたいからどんどん送ってくれ、今度はどんな商品をどんなテを使って売り込むつもりか、お手並み拝見といった気持だろう。そんなわけで、雑貨商、石山修武の扱う商品は、あまり売れないに違いない。
 石山修武自身が、「あとがき」でぽろっと本音を吐いている。

…本当にみなさんにわたしの商品を買って貰いたいのか、それとも何かを書くのが本来の目的なのか不明なのが自覚できてしまったわけだ。

ほらね。石山修武は自分の商売に至極満足している。売れなければ売れないで、売れないことを楽しむ術を知っているからだ。

わたしの商店のベストセラーを御披露する。もちろんベストセラーとは一番売れなかった商品である。わたしの商店は当然のことながら量より質を大事にするからだ。ベストは量ではない質である。そして質というものは最終的には個人の好き嫌いに属する。これが大事だ。別の言い方を短くするならば売れてたまるかのモノ。

 こんな調子で始まる文章の中で、石山修武は第十八宝幸丸のカツオを「宝」と呼び、宝の価値の分からぬ人間をおおいに憐れむ。そして、最後はこうだ。

そんなワケでハンマの宝幸丸の初ガツオは二度と売ってあげない。わたしが一人占めして初夏の初ガツオとともに満喫してやる。
ザマミロである。

 石山修武は文章の達人である。と同時に、人生を満足して生きる達人であるに違いない。

2016年03月06日

[]横浜シティ・シンフォニエッタ演奏会のご案内 横浜シティ・シンフォニエッタ演奏会のご案内を含むブックマーク 横浜シティ・シンフォニエッタ演奏会のご案内のブックマークコメント

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ブルックナーは今まで食わず嫌いというか、はっきり言って興味がなかった。ところがこの第3番の交響曲、演奏してみると、実に美しい、魅力的な曲で、大好きになってしまった。今日、最後の練習があったが、まだ頭の中ではブルックナーが鳴っている。今度の土曜日、県立音楽堂へ、ぜひ足をお運びください。モーツァルトも、もちろん超名曲です。

2016年02月20日

[]村上隆と出会う 村上隆と出会うを含むブックマーク 村上隆と出会うのブックマークコメント

 ぜひ見たいと思っていた展覧会の一つ、「村上隆スーパーフラット・コレクション」(横浜美術館)を観てきた。
 人のコレクションを覗き見るというのは、面白いものだ。コレクションにはその人自身の作品と言える一面もあるのではないか。つまり、コレクターとしての村上隆を知ることは、アーティストとしての村上隆に出会うこと。今日僕が見てきたのは、村上隆作品展だったような気がしてならない。
 あまりにも雑多な作品を見終わった後に残ったのは、正直言って満足感であるよりも、疲労感だったような気もするが、国内外の陶器(特に鼠志野の茶碗、欧米のスリップウエア)、江戸時代の絵画蕭白屏風絵など)はもう一度じっくり観てみたいと思う。
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2016年02月19日

[]定番教材に新しい光を! 定番教材に新しい光を!を含むブックマーク 定番教材に新しい光を!のブックマークコメント

 面白かった!
 「超入門!」とうたっている通り、高度な内容が分かりやすく書かれているのはもちろんのこと、実例として挙げられている作品が羅生門』、『山月記』、『舞姫という高校の国語の定番教材であるところが嬉しい。
 これらの作品を取り上げる授業はどうしても毎回同じパターンになりがちだが、「統制的規則」、「制度的事実」などといった用語を当てはめてみることで、作品に新しい光があたったように、たとえば『羅生門』が今までと違った新鮮な姿を見せてくれる。あるいは、プロップの「物語構造論」を当てはめてみることで、『山月記』や『舞姫』の中に『桃太郎』との共通点を見出すことができる。
 文学の好きな高校生にはぜひこういう本にチャレンジしてほしい。そして、『羅生門』の授業で、「僕にとって印象的だったのは、

下人の心理の移り変わりやエゴイズムの問題ではなく、下人と老婆の会話に現れた日常言語の崩壊した世界であり、そこに展開する生々しい現実、生の現実の世界

でした」なんて発言してくれると、俄然、こっちもやる気が出てくるんだけどな…