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僕が線を引いて読んだ所 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018年02月10日

[]その絵のメッセージは? パトロンは? その絵のメッセージは? パトロンは?を含むブックマーク その絵のメッセージは? パトロンは?のブックマークコメント

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

 歴史を学ぶときに重要なのは「単なる固有名詞年号を暗記することよりも、構造について思考することにこそある」、との考え方に基づいて書かれたこの本が教えてくれるのは、個々の作品についての知識よりも、作品鑑賞に入る前に知っておかなければならない、絵というものの基本機能。
 その一番目。一般大衆がまだ文字を読めなかった頃の絵は、観る人に何かを伝えようというメッセージ性が強かった。それはキリスト教教義であったり、教訓であったり。それが何かを考えながら観なければ、絵を観たことにはならない。
 もう一つは、次の点。

 純粋に趣味的な創作活動が登場する近代以前には、すべての芸術作品に、それを創る人とそれを買う人がいるという事実です。その両者が揃わないかぎり芸術など存在しなかったのですから、創る側の美的探究の側面だけでなく、買う側の経済原理も知らなければなりません。順序からいって、美的追求よりもまず経済原理のほうを先に理解する必要があります。

 平たく言えば、その作品のパトロンは誰か、ということだ。
 これらの点を意識するようになるだけで、絵の見方は今までと違って、ぐっと深まるように思う。
 しかし、「現代美術」となると、上の二点ともに話は大きく違ってきている。

 ひとつは、誰もがネットなどに自由に投稿できる時代にあっては、芸術家の「プロ」と「アマ」の区別が失われていくという点です。プロフェッショナルである必要があるのか、そもそもプロの芸術家とは何者か。お金を稼ぐかどうかだけの差なのか―。なかなかやっかいな問題です。
 もうひとつは、識字率が低い時代において絵画が最大のメディアだったような、伝達手段としての必要性が失われつつあるという点です。美術は、当初与えられていた存在理由をほとんど失い、純粋に趣味的な表現の場、自己表現のツールとなっているのです。

 長い美術の歴史の中で、現代美術の時代はほんの短い期間に過ぎないが、きわめて変化の大きな世界の中で細分化されている。「純粋に趣味的な表現の場」というのもその細分化された中の一つの在り方に過ぎないはずで、上のような書き方には違和感を持つが、そのあたりはこの本の守備範囲の外ということだろう。

2018年01月29日 少々古い本ですが… このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 しばらく前に買って、そのまま放置してあった『日本語のできない日本人』を読んでみた。

日本語のできない日本人 (中公新書ラクレ)

日本語のできない日本人 (中公新書ラクレ)

 書名そのものもそうだし、カバーや帯に書かれている

通じないわからない…それでも彼らは日本人

教育崩壊もここまできた 若者の「不可解」を本書で明らかにする

などの文句は、いかにも近頃の若者の出来の悪さをあげつらって読者を面白がらせようとする本のような印象を与えるが、この本は決してそんな底の浅い本ではない。日本語の諸問題について考えるための有意義な情報を提供してくれている。
 しかし、実はこの本はとっくに賞味期限を切らしているのだ。この本の発行は2002年。その後教育の世界は、学校週五日制の完全実施と授業時間の削減、「総合的な学習の時間」の導入、学力低下問題の浮上と反ゆとり教育への動きという大きな変革の波をかぶるわけだから。それでも意外と興味深く読めたのは、本書が言葉の本質にかかわる研究を踏まえた著作であるからであり、また、著者が問題とする、日本語におけるローマ字・カタカナ言葉の氾濫や、漢字力の低下という事態には、当時と現在とではほとんど違いがないからである。
 ただ、残念なことは「日本語のできない日本人」に対して出される筆者の処方箋には具体性が欠けるということだ。本書のエッセンスを示すのは、例えば次のような一節だ。

 むやみやたらと漢字が多くて意味がわからないのも、カタカナやローマ字が多くて意味がわからないのも、ともに困ったことだ。
 とはいえ、たぶんだまっていても、ローマ字の増加は抑えられないし、漢字運用能力が低下することも抑えきれないだろう。
 そこで、私の考えるのは、使用する漢字の量を減らし、その代わりに厳選された2000なり3000の漢字を、今よりももっと時間をかけて教えることである。それが結局漢字の運命を長く保つことにつながるし、日本語が延命するためにも役に立つだろう。

 著者はローマ字・カタカナ言葉の氾濫に対しては極めて否定的であるが、具体的な改善策は示されていない。著者がまだ存命であったなら、新たな研究の成果と将来への展望を示していてくれたであろうにと、残念でならない。
  * * * * *
 本書で初めて知って少々驚いたのは、昭和20年代、30年代の国語の大学入試問題が現在普通に見られる、いわゆる読解問題とはずいぶん違うもので、「知識」を問う問題が優勢であったということだ。その「知識」については、著者は次のように述べている。

 ここではっきりさせるべきことは、読み書きの力はやはり知識なのだということだ。考える力を養わなくてはいけないという人がいるが、人は材料を持たずに考えることはできない。独創的な思想は知識の蓄積の上に築かれなければ、単なる着想に留まることになる。…いきなり考えてみようと言われてみても、それは無理というものだ。手がかりとしては、やはりいろいろな考え方を知識として身につけることが必要だろう。考える力知識を身につけることから生まれる。

 本書の中でも、著者が最も力を込めて述べている部分だ。最近よく耳にする「新しい学力観」に対して、この著者ならどういう見解を示したか、ぜひ知りたかったのにと悔やまれる。

2018年01月25日

[]続けて原田マハをもう一冊。 続けて原田マハをもう一冊。を含むブックマーク 続けて原田マハをもう一冊。のブックマークコメント

パリに10日間くらい滞在して、美術三昧の日々を送ることができたら、幸せだろうなあ!

2018年01月15日

[][]初めての原田マハ体験 初めての原田マハ体験を含むブックマーク 初めての原田マハ体験のブックマークコメント


f:id:mf-fagott:20180116001922j:image:w200:left 『楽園のカンヴァス』読了。ミステリーや冒険小説を読むようなワクワク感を味わわせてくれる一方で、読者を陶然とさせるファンタジーの雰囲気も漂う。国境を越えた切ない恋の物語としても読める。
 そして、西洋絵画に興味を持つ読者にとっては、業界の裏側を覗き見る楽しさもあるし、20世紀初頭の美術史の魅惑的な舞台に立ち会えたような面白さも感じさせてくれる、とにかくサービス満点の小説だ。さらには、どこまでが史実でどこからが創作なのか、美術史の本を調べないではいられなくなる、罪作りな作品でもある。
 以前から気になっていて今回初めて読んだ原田マハだが、読者を最後まで惹きつける、なかなか才能豊かで魅力的な作家だと感心した。

2018年01月12日 ポケットの穴 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

勉強みたいという悪いイメージもあるかもしれないが、スロー・リーディングをするときにも、気になる箇所に線を引いたり、印をつけたりする習慣をつけておくと、内容の理解が一段と深まる。

読書の感想をブログに書く、というのも、いいアイデアだ。いざ書こうとすると、必ず筆がよどむ場所がある。そこを埋めておけば、内容の全体像がしっかりと定着する。

 つまり、僕がこのブログでずっと続けていることは、まさに「スロー・リーディング」そのもの。しかし、それでも一度読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうのだから、情けない。これまでに読んだ本の情報が、自分の頭の中に蓄積されているのかどうか、まことにおぼつかない。(ということを以前にも書いたような気がするなあ…)
 それはともかく、速読法として紹介される、

ページを開いたときに、文章を最初から目で追うのではなく、その全体を眺めて、写真を撮るようにしてそこに並んでいる文字群を、いわば映像として目に焼き付ける。そうすると、意識のレヴェルでは読んではいなくても、無意識のレヴェルでは情報の取り込みが完了していて、本を閉じて思い返すと、内容が理解できている

 なんていう話は、平野啓一郎の言う通り「怪しげな理論」であって、本をしっかり理解しながら読もうとすれば、言葉をひとつひとつ愚直に拾って小さなポケットに収めていくしかないのだと思う。ポケットの底が擦り切れて小さな穴が開いているのだとしても。

2018年01月07日

[][]文豪と閨秀作家 文豪と閨秀作家を含むブックマーク 文豪と閨秀作家のブックマークコメント

硝子戸の中 (新潮文庫)

硝子戸の中 (新潮文庫)

 「人格者」、「大人」というイメージの夏目漱石だが、こんなエピソードを読むと、漱石ほどの人でもこんなことがあったのかと、近寄りがたい文豪が少し身近な人になったようで嬉しい。

…ある日楠緒さんがわざわざ早稲田へ訪ねて来てくれた事がある。然るに生憎私は妻(さい)と喧嘩をしていた。私は厭な顔をしたまま、書斎に凝(じ)っと坐っていた。楠緒さんは妻と十分ばかり話をして帰って行った。
 その日はそれで済んだが、程なく私は西方町へ詫まりに出かけた。
 「実は喧嘩をしていたのです。妻も定めて不愛想でしたろう。私は又苦々しい顔を見せるのも失礼だと思って、わざと引込んでいたのです」

 夫婦喧嘩の原因はなんだったのか、それは書かれていない。
 「楠緒さん」とは大塚楠緒新潮文庫の注解(紅野敏郎)には、1875年生まれの閨秀作家とある。僕は「閨秀」という言葉に「才色兼備」という意味があると勝手に思い込んでいたが、辞書で確認してみるとそれは間違いのようで、「日本国語大辞典」では「才芸にすぐれた婦人」となっている。しかし、上の引用部前後の記載から、「楠緒さん」がとても美しい人であったことは間違いないことのように思われる。

 「ある程の菊投げ入れよ棺の中」はこの人のために詠まれたものだそうだ。

2018年01月05日

[][]音楽とイメージ 音楽とイメージを含むブックマーク 音楽とイメージのブックマークコメント

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 音楽を言葉で伝えることは難しい。例えば指揮者オーケストラの団員に演奏してほしい音のイメージを伝えようとするとき、歌ってしまうのも一つの方法だが、「もっと大きく」とか「柔らかい音で」などという言葉を用いるのが一般的なやり方。それで要求した音楽が引き出せないとき、比喩を使うという手がある。
 恩田陸蜜蜂と遠雷はその比喩の宝庫。曲のイメージを様々な比喩を用いて読者に伝えようとする。聞いたことのある曲ならば、比喩によってメロディーや響きを思い出し、なるほど、そういう捉え方もあるのかと、曲の魅力を再認識することになる。聞いたことのない曲の場合、旋律やリズムがイメージできるわけではないが、その比喩によって想起される視覚的イメージを楽しみつつ、曲の雰囲気を想像することになる。そして、実際の音楽を聴いてみたくなる。『蜜蜂と遠雷』を読む楽しさは、ストーリーの展開を追うことに加えて、次々に繰り出される比喩を読み味わうところにもあるのだと思う。

 さて、問題です。次の一節はどの曲を表したものか。あとの選択肢から選んでみてください。

<1>森を通り抜ける風。風の行く手に、明るい斜面が開けていて、そこに建てられたログハウス。…ニスを塗ったり、細工を施したりはしていないが、木目そのものの美しさで見せる、大自然の中のがっちりした建造物。力強い木組み。素材そのものの音。森のどこかで斧を打ち込む音が響く。(p.335)

<2>雪、氷、氷河。硬く尖った針葉樹林の上に積もった雪。深い青を湛えた湖。しかし、それでいて優雅な白であり、洗練された白である。…エレガントで真っ白で、精緻な模様が編まれたレースを思い浮かべる。真っ白なレースのさざなみが、静かに渚に打ち寄せるさまを見る。(p.337)

<3>青みがかった風景。どこか静かな湖畔の館で、広間で民族衣装を着て踊る男女だろうか。トウで踊り続ける女性の姿が目に浮かんだ。(p.385)

<4>大きな、年代物の額縁に囲まれた、古い絵。くすんだ色の、黄昏の集落。ねっとりとした、亜熱帯アジアの湿気。草の匂いや、熱風の匂いまで漂ってきそうな光景。(p.386)

<5>あちこちで蓮の花が開くイメージ。本当かどうかは知らないけれど、蓮の花が開くときは、ポーンという明るい破裂音がするという。ぽーん、ぽーん、と明るい音が世界に響き渡る。薄桃色の、一点の穢れもない花びらがあちこちで開く。ぱっと明るくなる風景。花の中から、光が放たれている。花のひとつひとつが、世界に光を発している。それは、丸い球体の形をしていて、ふわふわと宙に昇っていく。無数の光が、あとからあとから湧きだしてきて、空に昇る。(p.487)

ブラームスカプリッチョ ロ短調
バルトークピアノソナタ
ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」第3楽章
ドビュッシー「版画」より「塔」
シベリウス「五つのロマンティックな小品」

2017年12月09日 新設大学認可される? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 この度、「新聞大学」の設置が認可されました。
 「新聞大学」は、最新の情報を詰め込んだ新聞を毎朝自宅まで配達してくれるという、日本以外のどこにもない優れたシステムを利用した大学です。自宅が教室として利用できますし、テキストである新聞も、もともと取っていたのだと考えれば、学費はゼロです。
 「新聞大学」では、政治も、経済も、文学も、ゴシップも、なんでも学ぶことができます。テキストの半分は広告ですが、これだって、言葉の学習に役立ちます。
 テキストには「社説」など、高校生には難しい文章も多く含まれますが、頭を使って理解しようとすれば、それこそ昨今はやりのアクティブ・ラーニングになります。
 中高年の方々は、何十年も前の古い知識を更新するため、そして今以上に頭の働きを鈍らせないために、早起きしてテキストを読む習慣を身につけましょう。
 なお、テキストを二紙併読すれば、大学から大学院への進学が認められます。
 詳しくは、こちらの本をお読みください。

新聞大学

新聞大学

2017年11月12日

[]カズオ・イシグロ漱石 カズオ・イシグロと漱石を含むブックマーク カズオ・イシグロと漱石のブックマークコメント

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 読んでいるうちに、漱石『こころ』と重なる面があると感じてきた。などというと、どこが?と言われそうだが、わたしを離さないでには、わたし(キャシー)、ルース、トミーという三人の若者たちの友情と恋愛の物語という要素があり、『こころ』の方も、「下 先生と遺書」に関して言えば、私(先生)、K、お嬢さんの三人の物語であるという点で、両者を重ねてみるという考え方に納得していただける方もいるだろう。
 それにこれら二つの作品は、その語り口が非常によく似ている。『わたしを離さないで』は、わたし(キャシー)が、過去の記憶を丁寧に掘り起こしながら、特定の誰か(キャシーを好意的に理解し得る読者)と対話するような物静かな口調で、内省的に語り続ける。『こころ』の遺書における「私(先生)」の語り口も同様であり、「私」自身によって、過去の各場面ごとの自分の心理が信頼する読み手である学生の前に明らかにされていくのである。
 もちろん、それぞれの作品にはともに三角関係などという言葉で矮小化されてはならない、もっと大きな枠組みが準備されており、それぞれの時代との接点もある。『わたしを離さないで』の大きな仕掛けについては、ここで触れることはできない。予備知識なしで作品世界に入っていき、その仕掛けが少しずつ見えてくるところが、この作品を読む面白さの一つだからだ。そういえば、『こころ』にもミステリーの要素が少なからずあることは、読めばすぐ気が付くことだ。この点でも二つの作品には通じ合うところがあると言える。

2017年11月01日

[]ゴッホと日本 ゴッホと日本を含むブックマーク ゴッホと日本のブックマークコメント

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 東京都美術館でやっている「ゴッホ展」の売店で売っていた文庫本サイズの布製ブックカバーがなかなか良かったのだが、ちょっと高くて買えなかったので、同じ絵を紙に印刷してブックカバーにしてみた。

 今回の展覧会は、ゴッホと日本との相互関係に焦点を絞ったもので、とても面白かった。都美術館では一年前にも「ゴッホゴーギャン展」をやっている。同じ美術館が二年続けて同じ画家を取り上げたわけだが、違う光を当てることで、一人の画家の違う魅力を引き出すことに成功している。
 展覧会は、有名な絵を集めて並べましたというのは印象が散漫になってしまうせいか満足度が低く、今回のようにテーマを絞って見せられた方が見応えを感じるようだ。そういう意味では、同じ上野の西洋美術館でやっている「北斎ジャポニズム」も面白そうだなあ。

 ところで、ブックカバーの中身については…次回書く予定です。