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僕が線を引いて読んだ所 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016年11月30日

[]光の溢れる世界 光の溢れる世界を含むブックマーク 光の溢れる世界のブックマークコメント

 杉山文子氏の『百年のキリム』を楽しく読んだ。

百年のキリム

百年のキリム



窓一面桜や家賃八万円
ハングルの表示加はる春の駅
 
 最初のページに掲げられた二句。次のページは、「バス停の三色の椅子囀れり」「朝方の短き夢やヒヤシンス」と続く。西脇順三郎の『ambarualia』が「(覆された宝石)のやうな朝」で始まるように、この句集も冒頭からいきなり朝の眩しい光が読者の目を射るように差し込む。そしてこの明るい光は、最後までこの句集を支配する。

溢るるほど菫咲きたり会ひたいよ
梅は今綻ぶところ君生れて
追ひかけて言葉補ふ花大根

 何の種類であれ、花は単にその美しさを鑑賞する対象としてのみあるのではない。花は人懐かしさを呼び起こす。と同時に、花は人の世を明るく照らし出すために光を振りまいている。

藤の花三日一人でゐて疲れ

 だれにも会わず、三日間という時間があっという間に過ぎ去ってしまった。しかし、無為な時を過ごしたのではない。重く垂れさがる藤の花が三日間の充実を静かに語っている。

火星見て菜の花畑に猫とゐる
梅雨晴れて卵に地中海の塩

 火星菜の花、猫。梅雨晴れ、卵、地中海の塩。普段、互いに遠くにあると思われているもの同士が一つの画面に収まって、新鮮な調和を奏でている。

長命と占はれたり花の夜
流星やどこの街でも生きられる
老ゆるほど自由になりぬ花筏

 これらの句に見られる向日性を、僕はとても好ましく感じる。著者のポジティブな生き方、ぜひ学びたい。

花通草斜面で結ぶ靴の紐
満月空港までの切符買ふ
道を譲れば踊りに急ぐ母なりき
芒原抜けて乾きし体かな
新聞で肩叩かるる一の酉
木瓜の蕾のやうな嚏かな
家といふびつくり箱に春の雨

2016年11月20日 泡沫候補なんて、いなかった? このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 アメリカでトランプ氏が大統領選に勝利したとき、僕は高橋源一郎の『僕らの民主主義なんだぜ』の次の箇所をちょうど読んだばかりだった。

「立候補」はいわゆる「泡沫候補」たちを扱ったドキュメンタリーだ。彼らは、奇矯な格好で登場し、時には演説や政見放送で、突拍子もないことをいって、失笑されるだけの存在だ。正直にいって、ぼくも、そんな風に思っていた。だが、彼らの選挙運動を追いかけたこの映画を見て、僕の浅はかな考えは打ち砕かれた。彼ら「泡沫候補」の方が、映画の中に出てくる「有力政治家」の橋本徹や安倍晋三よりずっとまともに見えたのだ。登場人物のひとり、マック赤坂はこう書いている。
「『泡沫』候補なんて、選挙にはいない! みんながそれそれ確かな信念と政策を持って、命がけで立候補している」

 トランプ氏も、「泡沫」と言われた一人だった。それが今回のような結果になって、世界中を驚かせた。これからの選挙においては、僕たちは「泡沫候補」を今までと違った目で見ざるを得ないだろう。
 それにしても、トランプ氏の動向を、多くの人は大変な不安を持って注視している。もちろん、僕もその一人だ。先日、安倍晋三氏とトランプ氏の会談が行われた。内容は明らかにされていないが、二人の間に対話が成り立ったことは確かなようだ。高橋源一郎は同書の別の箇所で、次のように書いている。

「インテリジェンス」っていうのは、要するに「対話ができる能力がある」ってことじゃないかな。

 世の中の不穏な動きを食い止めるには、まずは「対話」を成立させなければならないと思う。トランプ氏が真のインテリジェンスの持ち主であることを切に願う。

2016年11月12日 午前零時の佐藤正午 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

f:id:mf-fagott:20161113002349p:image:left なぜか小説が読みたくなった。この忙しくて余裕のない時に、小説どころではないのに。学生の頃は、試験前になると授業と関係ない本を読みたくなったものだが。現実から逃げたい気持ちが働くのかもしれない。
 佐藤正午の『身の上話』が面白いと誰かが書いていたのを思い出して、古本屋に行ったら、運よく108円で手に入った。夕食が済んで、コーヒーを飲んで、夜10時ころから読み始めて、気づいたらもう日付が変わっている。ちっとも眠くならない。普段だったらとっくにベッドに沈み込んでいる時間だ。調子に乗って夜更かしして、翌日の仕事に差し支えるといけないと思うのだが、どんどん先を読みたくなる。こういう経験は久しぶりだ。佐藤正午の筆力は、大したものだと思う。
 読み終えた後にひとつ、すっきりしない点が残った。登場人物の一人、竹井という男は何がしたかったのだろう。竹井の「身の上話」が聞きたいと思った。

2016年10月20日

[]登らない山 登らない山を含むブックマーク 登らない山のブックマークコメント

f:id:mf-fagott:20161021012839j:image:w200:left 「街」同人森山いほこ氏より、句集『サラダバー』を送っていただきました。

いつも見るだけの頂えごの花

 作者の想像の中では、未踏のその頂にこれまで何度も自分を立たせてきたのである。汗を拭いながら息を整え、山の風に吹かれているのである。しかし、ふと我に返る度に、現実の自分はえごの花咲く里にいて、今年もまた頂上近くに雪を残すその孤峰を見上げているのである。画布に描かれているのは、近景のえごの木と遠景の山だけ。しかしそこにはこれまでその山に惹かれながらも一度も登ることの叶わなかった自分自身、これからもおそらく登ることがないであろう自分自身の思いが映し出されているのである。

苺乗せ子供の居ないケーキかな

 苺一つが必ず乗るように切り分けたケーキを、家族みんなでにぎやかに食べていた過去。子供たちがいなくなった食卓に、かつてと同じように苺を乗せたケーキを並べている現在。俳句が描くのはその現在の方に違いないが、子供の不在という現在が突きつけるのは、過ぎ去った時間への強烈な思いだ。

夕暮のプールの見ゆる根岸線

 「根岸線」で「プール」とくれば、僕の頭にはもうくっきりとした映像が浮かんでしまう。と言っても、それは実際に見た記憶の中の映像であるよりも、この句に喚起された虚構のイメージなのだろう。夕暮時のプールにもうほとんど人気はないが、プールサイドはまだ乾ききっておらず、水面はまだざわざわと揺れている。つまり昼間の賑わいの残像が、夕暮時のプールの侘しさをいっそう際立てるのだ。(そういえば、京浜東北線と呼べばそうでもないけど、根岸線と言うとどこか物寂しさが漂ってくるように感じるのは、僕だけでしょうか?)

夏萩や東慶寺まで傘さして
受験の子八重洲口出て深呼吸

 「根岸線」同様、親しい地名が出てくると、句にも親しみがわく。しかしもし僕が「東慶寺」や「八重洲口」を実際には知らない大阪の人間だったとしても、この句は好きな句のリストに入ったと思う。

朱欒の皮翼広ぐるやうに剥く
石榴剥く吾が指猿に戻りたる

 どちらも果実の皮を剥く句だが、「朱欒」は剥かれる皮に、「石榴」は剥いている自分の指に着目している。日常的な動作の中に、このような面白い発見があるのだと教えられた。

2016年10月15日 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

チェリスト募集中!!
横浜シティ・シンフォニエッタでは、弦楽器奏者(特にチェリスト!!!)を募集中です。詳しくは当団のWebsiteをご覧ください。

http://ykc-sinfonietta.jimdo.com/団員募集/
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2016年10月14日 ボブ・ディランと井上陽水 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 ボブ・ディランノーベル文学賞を受賞した、と言っても、僕はボブ・ディランという名前は知っているが、どんな曲を書いた人か、ほとんど知らない。
 二ユースの中では、ボブディランの影響を受けた日本のミュージシャンとして、井上陽水吉田拓郎の名前を挙げていた。井上陽水なら僕は大好きで、詩集ラインダンス』の中から好きな詩を挙げていたらきりがないくらい。と言っても、陽水の詩の中で僕の好きなのは、80年前後に出たアルバムに集中している。「傘がない」「心もよう」の頃はそれほど好きだとは思っていなかった。
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 陽水の歌詞に注目し始めたのは、『スニーカーダンサー』の中の「なぜか上海」あたりからだったと思う。

 星が見事な夜です
 風はどこへも行きます
 はじけた様な気分で
 ゆれていればそこが上海

『あやしい夜を待って』の中から選ぶとしたら、まずは「ジェラシー」。それからとってもシュールな「Yellow Night」。

 はまゆりが咲いているところをみると
 どうやら 僕等は海に来ているらしい
 ハンドバッグのとめがねが
 はずれて化粧が散らばる
 波がそれを海の底へ引き込む
(ジェラシー)

 俺のあの娘はメロンにレモンをかけてる
 泣けば瞳の奥からルビーが飛び散る
 陽気な面もあって
 あの娘の話はトマト言葉です
(Yellow Night)

「My House」も言葉の選び方が突飛で、面白い。

 恋はマッシュポテト
 恋は電子キャラメル
 街の道に無知な人並
 山羊の耳に森永製菓

『ライオンとペリカン』は作詞作曲家としての陽水の最高峰だと思う。どの曲も妖しい魅力を放っているけれど、歌詞で選ぶなら、「とまどうペリカン」「チャイニーズフード」「ワカンナイ」。

 あなたひとりで走るなら
 私が遠くはぐれたら
 立ち止まらずに振り向いて
 危険は前にもあるから
(とまどうペリカン

 最新の夢
 テレビチャンネル、サイレンのひびき
 ため息だけがフー
 お茶まで熱くてフー
チャイニーズフード)

 『ライオンとペリカン』は、その当時の『音楽の友』誌(もしかしたら『レコード芸術』だったかも)が取り上げて、とても好意的な評を載せていた。クラシックの専門誌がポップスを取り上げるのは異例のことだったのではないだろうか。僕は陽水の絶頂期はやはり『ライオンとペリカン』の頃だったと思う。その後もヒット曲は出しているが、80年前後の作品群に比べると、どうしても物足りなく思ってしまうのだ。
 陽水の作品の中でも、ボブディランの影響の濃いのはどのあたりの作品なのだろうか。ボブ・ディランは78年に来日していて、陽水は「ディラン、よかったですね。武道館で毎日やってたわけだけど、素晴らしいと思いましたね。毎日歌っているのに、歌に対してあれだけいれこめられるのは、すごいですね。」と言っている。
 80年前後の陽水の傑作群にディランの影響があるのだとしたら、ぜひディランも聴いてみなくちゃならないと思う。

 菊池邦子 菊池邦子 2016/10/16 12:35 私はまさにボブディラン世代です。井上陽水も好きです。歌詞が.。でもそれほど深く読み込んではいませんが。私の友人は熱狂的共言えるボブディランファンで、大学時代から下宿の部屋にボブディランが溢れていました。当然先日来日コンサートがあった時にも行ってました。ノーベル 文学賞と言うのがなぜか不思議で、でも嬉しい感じです。欧米人の発想を感じます。

mf-fagottmf-fagott 2016/10/16 23:17 僕の世代でも、バンドなんかをやってた連中は、ボブ・ディランとか言っていたような気がします。僕のように知らないのは、少数派のほうだと思います。

2016年10月07日 詩と詩論 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 『西脇順三郎詩論集』を、黄金町アートブックバザールにて¥500で購入。箱に入っていて状態が良ければ¥2,000位はするのだろうが、箱がなく汚れ気味なのでこの値段なのだろう。僕にはかえってありがたい。ちょっと読みかじって、すぐ投げ出してしまうかもしれない、難解そうな本だからだ。
 早速、「超現実主義詩論」を読んでみる。なんだかわからない部分もあるが、面白い。西脇順三郎の詩を読んでいるとここは詩論になっていると思う部分があるが、一方西脇順三郎の詩論は時に詩のようである。飛躍があり、省略がある。読者にはその空間を埋める努力が求められるが、あまり一か所で立ち止まらずに、ずんずん読み進むべきなのである。そこが西脇順三郎を読むことの難しさであり、面白さでもあるらしい。こんなことにはもっと早く気が付いているべきで、若い時にこういう本にはチャレンジしておくべきだったと思う。
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 しかし、この本を購入してから少したってわかったことだが、この本に収められている文章のいつくかは、ずいぶん前に読んだエッセイ集『雑談の夜明け』(講談社学術文庫)にも収められているのだった。たとえば「脳髄の日記」は『雑談の夜明け』の方にもあって、開いてみるとしっかりと線を引いた所もある。それは次のような箇所だ。

すぐれた美にはどこか奇異なところがあり、おかしみがある。

無関係なものを連結してイメジをつくる人には表現しようとする対象が他にないのである。そうしたイメジ自身をつくり出そうとするだけが目的である。ヒュームはをのことを「新しい」イメジをつくることだという。そうしたイメジは何も象徴していない。何も象徴していないというイメジである。マラルメに言わせると「偶然」という方法でなければそういうイメジがつくられない。…何も象徴しないイメジは素晴らしいイメジであろう。そうしたイメジは最大な詩の世界の産物であると思う。

 こんなところに線を引きながら読んだ僕の頭には、もう俳句のことがあったかもしれない。「超現実主義詩論」を読んでいても、僕の興味を引くのはこんな箇所である。

連想を作るテクニィクは、科学的に性質を異にするものを結びつけることである。又時間的にも空間的にも、最も遠くはなれたものを結びつけることである。

 こういう意味のことを西脇順三郎は繰り返し述べる。そのたびに、僕は俳句の「二物衝撃」のことを思う。直接は俳句のことを言っているのではない文章を、俳句のことと結びつけながら読むのが、僕には楽しいのだ。

習慣の中に冬眠する人間の魂を意識の世界へ呼び戻すことが詩人尊い努力である。

 ここでは「詩人」を「俳人」に置き換えて読んでみたくなる。
「超現実主義詩論」を読んだだけで、もう¥800分くらいは楽しんだ気分だ。

2016年09月18日

[]清々しい詩情 清々しい詩情を含むブックマーク 清々しい詩情のブックマークコメント

 山口蜜柑氏の『風を孕め』は、とても魅力的な句集です。
 作者の繊細な感性と控えめながらも的確な表現が、清々しい詩情を生み出しています。最初のページの二句を読んだだけで、これはいいと感じて引き込まれてしまいました。句会仲間からお借りして読んだのですが、ずっと手元に置いて、繰り返し読みたいと思うほど、僕の好みの句がたくさん並んでいます。自分用に、一冊注文しようと思います。

枝ごしの薄日集めし福寿草
福引にはづれてもらふ花の種
人寄らぬコンドルの檻蔦枯るる
読みかけの栞が分かつ去年今年
朝寝して二度目の夢の哀しかり
冬の日や影重ならぬほどの距離
ぞんざいに剥き君にやる夏蜜柑
曲がるたび道細くなる式部の実
青葦のてつぺん揺れて触れ合はず
サイダーや窓一面に山せまる

菊池邦子菊池邦子 2016/09/23 17:19 先生 早速感想ありがとうございます。 蜜柑さんにも先生のブログ紹介しました。 私も蜜柑さんの句の中に好きな句が沢山あります。

mf-fagottmf-fagott 2016/09/24 09:42 先日の「釘ん句会」の兼題に「流れ」がありましたが、『風を孕め』には
  水草生ふ歩く早さの流れかな
  流れ星待つ屋上に残る熱
がありました。これもいいですね。読み手を心地良くしてくれる優しさや明るさやぬくもりがあります。そしてほのかな愁いを感じさせもするのです。

菊池邦子菊池邦子 2016/09/24 16:03 先生 蜜柑さんの句、きちんと読まれてますね。私も一気に読みましたが、
今度 改めて好きな句を 並べてみようかと思います。
友人のお嬢さんですが、控えめな感じの中にしっかりした芯のある方です。句は人を表す・・・・ということでしょうか。

2016年08月31日

[]つむじ風食堂再訪 つむじ風食堂再訪を含むブックマーク つむじ風食堂再訪のブックマークコメント

 つむじ風食堂の夜を面白く読んだばかりの僕には、一度訪ねたことのある月舟町のつむじ風食堂を再訪するよう楽しさもあり、また、この小説の舞台装置を前回とは違う視点で眺める面白さも感じられたけれど、この本で初めて月舟町を訪れる若い読者は、どう感じるだろうか? 語り手の言う通り、「途中」から始まり「途中」で終わるこの物語に、若い読者は戸惑いと物足りなさを感じるかもしれない。この物語をきっかけに、月舟町を再訪してみようという読者が多ければいいのだけれど…

2016年08月20日

[]一番乗り 一番乗りを含むブックマーク 一番乗りのブックマークコメント

つむじ風食堂の夜 (ちくま文庫)

つむじ風食堂の夜 (ちくま文庫)

 彼はエスプレッソ・マシーンの前に立ち、いくつかのスイッチを押してから、息を止めて慎重にカップを設置した。
「親父が死んだとき、なんとなく取り残されたような気がしたんです。まだいろんなことを教わっている最中だったんで。でも、親父、よく言ってました。もし、乗り遅れて、ひとり駅に取り残されたとしても、まぁ、あわてるなと。黙って待っていれば、次の電車の一番乗りになれるからって」
 マシーンが音をたてて動きはじめ、しばらくすると珈琲豆の香りが湯気をともなって、それこそ雲のようにあたりに満ちあふれた。

 この部分を読んだ時、一つの古い記憶が頭をかすめた。

――僕たちの車が久里浜港に着いたのは、ちょうどフェリーが出てしまった直後だった。次のフェリーが出るまで待合室のベンチでただ座って待っているのも退屈だと思った僕たちは、港のあたりをぶらついて戻ることにした。

 数十分後、港の駐車場に戻ってきた僕たちが見たのは、ちょっとした驚きの光景だった。広い駐車場にとまっているのは、僕の白いホンダシビック1台だけ。唖然としている僕たちに、笑いながら近づいてきた場内整理のおじさんが言った。
「フェリーはもう出ちゃったよ。次の便に乗ってもらうから、車、一番前まで動かしてといて。」
 フェリーの出港時刻表を見間違えていたのか? 運転手のいない白いシビックを迷惑そうによけながらフェリーに乗り込む車の列の映像が、頭をよぎった。

 次の便が着岸し、乗船準備完了のアナウンスが流れた。さっきの場内整理のおじさんの誘導に従い、列の先頭を切ってフェリーの胴体に飲み込まれていくときの、気恥ずかしさと晴れがましさの混ざったような複雑な気持ちが、今でも忘れられない。

 久里浜港から房総半島に渡るフェリーにはその後何度か乗ったが、そのたびに妻との間で必ず話題になるのが、この出来事だ。