勝呂廃寺伽藍の瓦

これも直径は200mmある。しかも素弁で十六葉だ。蓮子は「1−4」というあっさりしたもの。大和朝廷の十六枚菊の紋章のモデルではないかとさえ思ってしまいます。おそらく金堂に次ぐ建造物であろう。例えば「講堂」とかである。
中央部から子葉が僅かに出る。九州に多いデザインである。

笵による僅かな違いは出るものだが かなり極端だ。



200mmの直径で単弁八葉 蓮子「1−8」デザインは早い時期だ。これも重要な建造物に使うタイプです。瓦の国宝級として昇華する川原寺系「複弁八葉蓮華文軒丸瓦」の基礎となったので


180mmの直径で蓮子が「1−6」のタイプも使われた。これは弁よりも子葉や間弁で表現しいます。このタイプは多様にデザインされ使用された基礎をなすものです。特に弁の先端に蓮子と同じもので「星」と呼ばれボッチが付くタイプは「星組」と命名され 有段式の軒丸瓦とSETで施工されます。こちらは「花組」と呼ばれ軒丸瓦は無段式とSETで施工されました。勝呂廃寺の軒丸瓦は無段式です。高麗郡々寺である「女影廃寺」は現在のところ40回もの発掘が行われましたが「星組」の瓦当は確認されません。軒丸瓦は有段式です。「女影廃寺」は716年の建郡から750年頃にかけて大和朝廷の傘下で創建されました。一方「勝呂廃寺」は すくなくとも「女影廃寺」より100年ほど前の創建と考えられ 九州王朝の影響を強く受けていると考えます。九州での研究の大きなテーマですが 「花組」「星組」はあくまでも九州王朝でのシステムでこの二つには年代の「差」を感じてなりません。つまり軒丸瓦の無段式と有段式には単なる方式の違いだけではなく技術の進展と捉えるからです。勿論「有段式」の方が発展形です。

以上4点は外縁は無地で「間弁」の寧ろ強調のあるタイプで時代は遡りましょう。