いわん『風鈴』

あれは何年前だったろうか。ある年の初夏、平泉を訪れようと電車に揺られていた時に、その風景が窓から飛び込んできた。
 駅のホームの天井から、無数の南部風鈴が垂れ下がっていた。あまりにも幻想的な風景。我を忘れて見入ってしまった。
 後で調べたところによると、JR東北本線水沢駅の「風鈴祭り」というものに遭遇したらしい。風が舞うたびに、
 「チリリン」
 と、無数の南部風鈴が一斉に音を鳴らす。
 その風景に圧倒され、降りる予定ではなかったその駅に降り、次の電車がくるまで、しばらく眺める事にした。せっかく出会ったのだ。この風景を楽しむものもよかろうと。
 幾つも垂れ下がっている南部風鈴を眺め、その音を聞きながら、心地よさに浸っていると、異なる音が聞こえることに気がついた。
 その音のところに近づくと、南部風鈴ではない、硝子製の、二匹の赤い金魚が泳いでいる風鈴が一つだけあった。
 「ほう。ここの風鈴は、南部風鈴だけじゃないのか」と思って、その風鈴を眺め、しばらくして座っていたホームのベンチに戻る。
 気がつくと、あの風鈴の下に少女が立っていた。あの風鈴の絵柄と同じ、赤い金魚が染められた浴衣を着ている少女。少女はこちらを見て微笑みながら手を振った。
 手を振り返して、彼女の写真でも、とカメラを構えると、その少女はすでにいなくなっていた。
 しばらくして、平泉に向かうローカル線のアナウンスが駅のホームに流れた。
 電車が来る前に、彼女がいた場所に駆け寄ったが、少女も、あの金魚が描かれた硝子の風鈴もどこにも見当たらなかった。

 平泉に向かう電車に乗り込んだ時、あの硝子の風鈴の音が、私を見送るかのように、チリリン、と耳に届いた。