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吉田道昌の学舎 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-01-19

[] 犬の願望  犬の願望を含むブックマーク


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毎朝、ランの喜びは雪原の散歩。

人も車も来ない。うれしくてたまらない。

リードをはずされたランは、雪を蹴って自由に走る。

とつぜん雪の中に鼻をつっこんで匂いを嗅ぐ。

ひょいと畔の雪の中に、野菜のこぼれ種の育ったのがあるのを見つける。

ランは、葉っぱをぱくっと食べる。


走るランは美しい。

細い脚が前後にしなやかに伸びる。

溝を一跳びに、

畔から一跳びに、

跳躍する姿は美しい。

祖先の狼の時代から、

何万年か何十万年か、

犬は駆ける動物だった。

四本の脚は、疾駆する。

疾駆して生きてきた。

獲物をとるとき、敵から逃げるとき、

身体は前後に長く伸びた。

雪の野原でそれがよみがえる。

ランは自然を取り戻す。


ランは意思を伝える。

思いついたら伝達する。

ランの言葉は豊かだ。

その言葉は、眼差し、

じっと目を見る。

その言葉は、声、

短く小さく、鳴く。

その言葉は、足踏み、

カタカタカタ、前足を踏みならす。

その言葉は、行動。

前に座って、なでなでしてよ。

おもちゃをくわえて、遊ぼうよ。

外出の見送りも お迎えも、しないではおれない。


ランの意思は願望。

何かをしたい、

何かをやりたくない。

食べたい、飲みたい、寝たい、

休みたい、一緒に遊びたい。

外へ行きたい、行きたくない。


単純明快、

過去と未来への思いはない。

恨んだり、後悔したりすることはなく、

残念がったり 悔しがったりすることはなく、

この世の中、どうなるのかなあと心配することもなく。


けれど、

ぼくらが長く外出すると、

待って待って、ひたすら待っている。

寂しい、寂しいと待っている。


犬は生涯待っている。

そして、

ぼくらが帰ってくると、

歓喜の声をあげて、はしゃぐ。


犬は生涯待っている。

雪原を自由に駆けまわることのできる日を。

2017-01-12

[] 「プロヴァンスの村の終焉 「プロヴァンスの村の終焉」を含むブックマーク


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 ウイーン楽友協会のシュタイネルナーザールが語っていた。

子どもの頃は森が好きで、毎日森の小道を散策していましたよ。森の管理人になりたかったのですが、バイオリンに出会って、結局バイオリニストになりました。」

 長くウイーンフィルハーモニーコンサートマスターを務めていた人だ。シュタイネルナーザールの子ども時代、森が生活圏にあったから、毎日森を歩いた。生活圏にあるということは、すぐ近くに森があるということだろう。日本の場合、森と言えば山にある。平野の森は消滅した。そして農地になり、都市に飲まれた。オーストリアドイツフランスでは、森が平野に保存されている。公園イコール森林ということになっている。

 「プロヴァンスの村の終焉」(ジャン・ピエール・ルゴフ 青灯社)という大著が2015年に出版された。そこにフランスプロヴァンス終焉に向かっていると、その変化が詳細につづられている。著者は政治社会学者

 これまで多くの日本人の憧れたプロバヴァンスは、森や野に延びるウォーキングロードの散策、歴史遺産・音楽祭・演劇祭・巡礼祭への訪れ、セザンヌゴッホの描いた自然や芸術との出会いの地だった。

 ところが、都会や世界からやってくる観光客や移住民、開発、高速道路建設など、時代のもたらす変化によって、住民の気風も変わってきた。プロヴァンスのカドネ村についてこう書いている。

 「1793年から1980年代までの約二世紀のあいだ、カドネ村の住民数はほぼ一定を保っており、2000人から2500人のあいだを推移していたのだが、今日では4000人以上に達している。」

 1980年ごろから変化が始まるということは、やはり発展に共通した形なのだろうか。カドネ村はリュベロン山地に隣接する村で、農地が広がっている。「木を植えた男」を著したジャン・ジオノは、「プロヴァンスは一つではなく、千の顔、千の性格を持っている」と書いているが、その変化をどうとらえるかも簡単ではない。

 そこへ一大事業が始まる。「リュベロン地方自然公園」の建設だった。面積は18万5千平方メートル。日本の香川県の面積ほどある。この公園の中に77の市町村が包み込まれる。住民は15万人。公園設立趣旨には、無秩序な建設ラッシュと観光客の大群からこの地方の動植物を守ることとある。計画に対する賛否、意見はいろいろ出た。自分たちの伝統の否定だとか、土地を奪われるとか。しかしまた生物多様性の自然を守らねばならないと、歓迎する意見も多い。プロバンスには、小型のサソリもいるらしい。刺されたら痛いが死ぬまではいかない。巨大なモンスズメバチオオスズメバチもいる。ヒキガエル、ヘビ、トカゲイノシシキツネウサギ、オオヤマネ、いろんな動物がいる。

 読んでいて、日本の状況が頭に浮かび、思考は日本に還ってくる。経済優先、開発優先、成長優先、便利優先、速度優先、その掛け声でやってきた結果が、今目の前に展開する。

 そして恐るべきは、日本は、世界はどこに向かっているか、人間のなかに何が生まれているかということなのだ。

2017-01-06

[] 冬のミツバチ  冬のミツバチを含むブックマーク



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息子たち、孫たちが帰っていって、静かさが戻った。部屋の中の物音がよく聞こえる。

「何か飛んでいるよ」

と家内が言う。

「ほら、カーテンにとまった、あれえ、蜜蜂やわ」

プーンとかすかな羽音を立てている。

「どこから入ってきたん?」 

外は毎朝零下5度前後になる。とても昆虫には耐えられない。家の中は暖房がきいて温かい。どこからどうして、部屋の中に入り込んだものか。以前から入っていたのか。

「どうしよう? 外へ出してやれば、生きていけないし」

紙の空き箱をもってきて、そこに入ってもらい、朝食のときに食べているドイツの蜂蜜をほんの少し、割り箸の先に付けて、蜜蜂の口元に持っていくと、お腹がすいているだろう蜜蜂は、それをチュチュツと吸っているように見えた。

「蜂蜜を吸っているよ」

「へえ、そう、よかった」

さて、このまま家の中に置いておくこともできないし、気温が上がれば自分の巣に帰っていくかなあ、と太陽がぽかぽか暖かい昼ごろ、外に出してやったら、元気に飛んでいった。

はて? 彼の巣はどこにある? その巣に無事に帰りつけるかな? 蜜蜂の巣箱だったら冬でも自由に出入りできるのかな?

養蜂業者のHPを見ると、こんなことが書いてあった。


冬になると、ミツバチたちは巣の中に閉じこもります。

冬眠するのではなく、女王バチを中心にして、働きバチたちがからだを寄せ合い、蜂球をつくっています。

細かい羽ばたきで熱をおこして暖め合い、冬でも巣の中は30度前後に保たれています。

蓄えておいた蜂蜜が大切な食料となっています。

寒い早春でも、ぽかぽか陽気の日には、巣から出た働きバチが、梅やイヌノフグリといった早春の花に飛んでいきます。

働きバチが食料を少しずつ持ち帰りはじめると、巣の中も活発になり、温度も上がります。

女王バチの産卵がいよいよ再開すると、ミツバチたちが元気よく動き回る暖かい季節がやってくるのです。


驚くねえ、冬でも巣の中は30度前後に保たれているなんて。

あの蜜蜂、自分の巣にもどれば、たっぷり食べものもあり、仲間の暖房もあり、元気に生き伸びて春を迎えることだろう。

2017-01-03

[] 「よくかみなさい]  「よくかみなさい]を含むブックマーク


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 ご飯は88回かみなさい、昔はよくそう言った。

 米の字から、八十八という数字を引っ張り出したもの。

 かめばかむほどいい、それは現代もよく言われる。

 健康にとって、かむことの重要性は常に強調されてきた。なおも強調しすぎることがないのは、現代の食生活が常に「かむ」ということの逆行だからでもある。

 先日、生物学者の福岡伸一が「動的平衡」(朝日新聞)に、へえーと思うことを書いていた。

 「お正月のおせち料理お雑煮はしっかりかんで食べましょう。消化が良くなるように。消化とは、食べ物を細かくして栄養を取り込みやすくする作業だと思っていませんか。実は、消化のほんとうの意味は別のところにあるのです。

 食べ物は、動物性でも植物性でも、そもそもは他の生物の一部。そこには元の持ち主の遺伝情報がしっかりと書き込まれている。遺伝情報はタンパク質アミノ酸配列として表現される。アミノ酸はアルファベット、タンパク質は文章にあたる。他人の文章がいきなり私の身体に入ってくると、情報が衝突し、干渉を起こす。これがアレルギー反応や拒絶反応。

 それゆえ、元の持ち主の文章をいったんバラバラのアルファベットに分解し、意味を消すことが必要となる。その上でアルファベットを紡ぎ直して自分の身体の文章を再構築する。これが生きているということ。つまり消化の本質は、情報の解体にある。

 食用のコラーゲンは魚や牛のタンパク質。食べれば消化されてアミノ酸になる。一方、体内で必要なコラーゲンはどんな食材由来のアミノ酸からでも合成できる。だからコラーゲンを食べれば、お肌がつやつやになると思っている人は、ちょっとご注意あれ。それは他人の毛を食べれば、髪の毛が増えると思うに等しい。」

 ふうん、他の生物の遺伝情報を解体するということなのかあ、そういう行為だったのかあ。科学者のこの情報に瞠目。

 秋に収穫した黒豆を煎って、ときどき食べている。ぽりぽりぽりぽり、噛む力が少しいる。噛めば噛むほどおいしい。

 暮れから帰ってきていた四歳になる孫娘が、この煎り豆の存在に気づいて、ぽりぽり食べ始めた。

「おいしい、おいしい」

 小学三年生になるその子の姉も食べ始め、小学四年生の男の子の孫も食べ始めた。

 煎り豆は、口の中で噛み砕かれ、唾液で柔らかくなり、芳しい豆の味が濃厚になる。食べている孫たちは、遺伝情報のことなど知りもしない。

 ただ、おいしい、だから噛み砕く。

 煎り豆のおいしさに気づいたということ、煎り豆というもっとも原初的なものを、おいしいと感じたということ、そして煎り豆を噛み砕いて食べることが、命を活気づけるということ、孫たちは教えられるまでもなく、そのことを分かって食べている。

 

2016-12-28

[] 日本の学校は?  日本の学校は?を含むブックマーク


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 無表情でぶっきらぼーで、どことなく暗い感じのする彼が、小声でぼそぼそ語り出した。それまであまりしゃべりたがらなかったのに、突然語りだしたのは、彼が語る気になったからで、語る気になれなかった状態から解かれたからで、その変わり目が来て表情が変化した。無表情が消えて、表情が生き生きとしてきたのだった。この夏までドイツの高校へ留学して三カ月体験し、来年また一年間行くという話、それにぼくが強い関心を示したからだった。

 彼は話した。日本の中学校の学校体制、それは彼を束縛するものでしかなかった。しゃくし定規な指導、管理体制、硬直した授業、自由度のない教師たち、たぶんそういう学校に息が詰まったのだろう。彼はその状態をなかなか的確に話した。

 彼のように息の詰まった生徒は、生気を失い、無気力になり、現状に不満を抱き、批判的にもなる。そうなれば、教師たちの彼への見方がどうなるか、ぼくは充分に想像できる。理解できる。教師の偏頗な見方が彼に注がれたのだろう。だから彼もまた自由度を失い、自由な学習をそこに見出すことができなかった。そこで彼は日本を脱出することにした。自分でそう考え、そうする道を調べた。情報をネットで調べるとドイツ留学が見つかった。家族も支援してくれて、彼はドイツへ行った。そして三か月間体験的に学校に通って、地元のサッカークラブにも入った。彼は、日本にはないドイツ学校教育スポーツクラブのゆとり、自由度、教育への支援態勢、合理性、教育観、ドイツ人の友好性を知った。体験した。

 自己を語りだした彼は実に饒舌だった。

 彼が適応できなかった日本の学校教育の話には、ほんとうにぼくもそうだと思う。いったい戦後71年かけて、日本は何を生みだし、何を積み上げ、何を確立し、何を目指しているのかとぼくは痛切に思う。

 「学校は、わが学びの場にあらず」と、学校を見放した十数万人の子どもたちのいる日本の現実。それは単なる不適応ではない。

 海外留学、それは彼にとっては希望になっている。スウェーデンノルウェードイツなどの国では、留学生に対しても教育費無償に近い支援があるという。

 行っておいで、来年一月の末からドイツへ。

 ぼくは応援したい。彼はそれまで、ここで勉強する。

2016-12-21

[] 非常事態宣言  非常事態宣言を含むブックマーク


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 今朝は霧が深かった。夜明けとともにランを連れて散歩に出ると、五十メートル先は白い幕におおわれて何も見えない。霧の中からぼんやりと人影が現れた。誰かと思えば中村さんだ。向こうも犬を連れている。

「吉田さんかい、そちらの犬何歳かね。」

「11歳ですよ。」

「へえ、それにしては元気だね。」

 中村さんは畑の間を消えていった。

 野の道を行く。穂高地区から堀金地区に通じる間道を、例の小型スポーツ車が時速60キロぐらいで突っ走って集落の中へ突っ込んでいった。いつもこの時間の通勤だ。霧が出ようが、集落の中だろうが、お構いなしだ。

 交通事故死が増大し、長野県知事は「交通事故死非常事態宣言」をこの秋に発した。だがドライバーの意識は何も変わらない。

 「国家非常事態宣言」というのは、治安維持上急迫した危険が存在する時、内閣総理大臣が布告する宣言だが、1954年の警察法改正で「緊急事態」と改称されている。長野県の「交通事故死非常事態宣言」は、一種のキャンペーン的表現に過ぎない。宣言を出して何か意識改革の取り組みが行なわれているのかと言えば何もない。

 戦前は、「戒厳令」というのがあった。「国家非常事態宣言」より強い行動を伴う。戦争・事変に際し、立法行政司法の活動を、軍の機関に委ねる命令だ。これが発令されると人権の広範ないちじるしい制限がなされる。これは軍の強権を使って、国家を護持するもので、今の日本には存在しない。存在しないのが正常。強権は要らない。しかし実態現場に立って市民の意識を変える取り組みは必要だ。

 「サラリーマン化した教師」と、戦後すぐによく言われた。「教師は聖職」とした戦前から、戦後は「教師労働者」となって、「サラリーマン化」という批判が出た。だが今はもう「サラリーマン化した教師」と、ことさら言われることはない。サラリーマン化をいうなら、現代の実態を見れば、「サラリーマン化した公務員」、「サラリーマン化した議員」もいる。「サラリーマン化」、この言葉にこめられた意味は何か。給料で働くサラリーマンであることは事実。だが給料をもらうためにその職に就いたのではない。給料をもらうために教師、警察官、公務員議員になるものではない。

 サラリーマン化が進行するとどういうことになるか。

 上役や同僚に合わせて、できるかぎり手抜きをして、さからわず、適当に無難に、仕事をこなす。既定路線を無難に行こう。民の暮らしの現場を肌で感じなくともよい。市民の意見や心情をキャッチしなくてもよい。

 米軍普天間飛行場辺野古への移設計画で、最高裁判決を出した。埋め立ての承認を取り消した沖縄県知事を国が訴えた訴訟は、沖縄県が敗訴した。

 最高裁裁判官までがそうなってきているのか。前の知事が認めたものだから今度の知事がくつがえすことはできないのか。今の沖縄県民の意思はどうでもいいのか。

2016-12-19

[現代社会]子猫と子犬 [現代社会]子猫と子犬を含むブックマーク


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 ホームセンターにペットショップのコーナーがある。

 子犬や子猫が、ガラスの小部屋に入れられて、

 陳列されている。

 種類ごとに一頭ずつ、

 商品として、

 買ってくれる人が現れるまで、子犬、子猫は小部屋で過ごしている。

 暖房完備、快適空間、

 ぐっすり眠りこけている子がいる。

 おもちゃで遊んでいる子がいる。

 歩きまわっている子がいる。

 毎日ひとりぽっち。

 ガラスケースの外に人間がいて、自分を見ている。

 そのことに、気づいているのか気づいていないのか、

 人間に視線を向けることはない。

 一枚の厚いガラスのしきりは、

 外と内を完全に遮断している。

 子犬や子猫は、小部屋の中で、

 一日、孤独な時を過ごす。

 飼育係の人が現れるときがいちばんうれしい。

 早く目と目と見交わす人が現れないか。

 早く体と体で触れ合う人が現れないか。

 子犬と子猫は待っている。



 ガラスケースの前に、

 一人の若い女性がいた。

 客用に置かれた椅子に座って、

 子猫を見ていた。

 一時間そこに座って見ていた。

 子猫の何気ないかわいいしぐさに、笑みが浮かぶ。

 かわいい、何をしていても、その動作はかわいい。

 女性は、そこに二時間座っていた。

 

2016-12-16

[] とらわれない人  とらわれない人を含むブックマーク


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 「君の名」のプロデューサー川村元気が、こんな話をしていた。

 あるとき、ケイタイをどこかへ落としたらしい。そのまま、電車に乗った。ケイタイを持っていたら、車内に入ればすぐさまケイタイを手に持ってそれに集中するところだが、ケイタイがないから窓から外を見ていた。すると空にきれいな虹がかかっていた。久しぶりに見る虹だった。そこでふっと車内に目を転じると、車内の人びとはひたすらケイタイに目を注いでいた。虹に気づく人、見る人は一人もいなかった。

 ケイタイをなくす。そのことで虹に気づいた。なくすことで気づくものがある。

 川村はそう言った。自分を拘束しているものに気づかず、とらわれていることを感じることなく、無意識に縛られることによって別の世界、別の価値に気づかない。現代人はそういう目くらましの文明の世界に生きている。美しい虹が出ていても、見ることもしない。逆にそれはまた、恐ろしい危機が迫っていても、それに気づかず感じずということにもなりかねない。

 川村の電車内の体験から思いだしたことがある。何十年も前のことだが、新聞のコラム欄に出ていた話だ。

 夜遅い電車の中でのことだった。車内は帰宅する通勤客で座席は全部埋まり、どんよりした疲労感が充満していた。吊皮を持って立ちながら居眠りしている人もいた。一人の若い女性が窓から射し込む月光に気づき、外を見ると、美しい月が空に煌々と輝いている。なんとすがすがしく清らかな月であることか。満月のようだ。女性は、この美しい清冽な月を車内の人たちに見てほしいと思った。見せたいと思った。そこで、列車の後尾にある車掌室へ行って、車内放送してほしいと頼んだ。車掌は、窓の外を見て、本当に美しいと思ったから、マイクを持って、車内の乗客に伝えた。

「いま、月がたいへんきれいです。月を眺めてみませんか」

 放送が流れると、その思いがけない放送に人びとの意識が変化した。何人もの乗客が窓から外を眺めた。空に煌々と輝く月。

 車内の疲れ淀んだ空気が薄らぎ、人々の心のなかへ、一筋の清冽な空気が流れた。

 車掌に頼んだ女性、その頼みを受けて放送をした車掌、この二人は自分の感動を人々と共有しようとした。そうして実行した。

 拘束するものから自由な人であった。

タブロウタブロウ 2016/12/22 18:10 こんばんは。ずっと読ませていただいています。
今回の記事、たいへんいいお話しでした。(すこし涙)
そして、いい写真ですねぇ。これは山に登らないと見られない風景ですね。

michimasa1937michimasa1937 2016/12/23 10:47  この写真は、家のすぐ近くから撮った写真です。月が煌々と輝く夜に、雪山が月光に浮かび上がる時があります。なんとも神秘的な光景です。車を運転したりしていたら、決して見ることのできない光景です。視線を遠くに移して、歩いていて気づく景色があります。このごろは街の道路を歩いていても、視界を狭め、閉ざしている人が多いですね。

2016-12-14

[]  振り込め詐欺   振り込め詐欺を含むブックマーク


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ミヨさんは歩くと脚が痛いから、

新聞に出ていた広告のサプリメントを電話で注文した。

お金を払い込み、送られてきたサプリメントの錠剤を毎日飲んだ。

一か月ほどしたら電話があった。

金を払ってほしい、2万7千円。

私はもう払いましたよ、ミヨさんが答えたら、

払っていない、即刻払え。

そんなお金ありません。

ミヨさんが電話を切ると、また電話が鳴った。

弁護士だ、30万円払わないと大変なことになるぞ。

そんなお金ありません。

そしてまた電話が来た。

払わないと家を燃やすぞ。どうなるか分からんぞ。

怖くなったミヨさんは、金を振り込もうかどうしようかと思いながら郵便局へ行った。

おどおどしたミヨさんを見た局員が、どうしましたか、と聞いた。

訳を聞いた局員は、すぐに警察に行きなさい、と言った。

ミヨさんは、その足で警察に行った。

訳を話すと、よく来たね、と警察官が言ってくれた。

警察はサプリメントの会社に電話を入れた。

その代金は支払い済みです、という答えが返ってきた。

警察官は、これから絶対その電話に応じたらいけません、警察が守ります、と言ってくれた。

翌日、おびえた声でミヨさんが我が家に電話をした。

ちょっと来てくれんかのう、助けてくれんかのう。

か細い声に、跳んでいくと、いきさつを話し、

食べものものどを通らん、体も動かん、心臓もおかしい、と弱っていた。

ショック症状だった。

医者へ連れて行ってほしい、いつもの医者へ。

わかった、すぐ行くよ、

車にミヨさんを乗せ、二人暮らしのお姉さんも乗せ、医者へ行った。

医者は、血圧が180あります、と言って点滴を打った。

1時間ほどして、ミヨさんを連れて帰った。

医者にその出来事を話しましたか、とミヨさんに聞いたら、

医者は忙しくて、次つぎ患者が来るから、話す暇なんかなかった。

そりゃだめだよ、どんなに忙しくても、精神的なショックの原因を話さなけりゃ。

あの医者はこわくて、ぼろくそに言うから言えんだよ。

でもねえ、患者の話に耳を傾けない医者は失格だよ。

ミヨさんは、玄関のドアに名刺を貼った。

これを貼っておけば、悪い奴が来ても、これを見て逃げていくからね。

警察が、この名刺を玄関のドアに貼っておきなさいと、言っただよ。

警察官の名前が書かれていた。

2016-12-09

[] 社会の底  社会の底を含むブックマーク



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 「社会の底が抜けた」という言葉をこの頃よく目にする。底が抜けてしまったら落ちるところまで落ちて行く。崩壊である。今や、底が抜けた感じだ、どこまでも落ちて行くか。危機感がこの表現に込められている。これ以上悪化させない。ここで踏みとどまって、悪化を阻止する。そういう社会力が社会をつくっていくのだが、それを喪失した人間たちの群れになってきているのではないか。

 沖縄の人たちに対して「土人」とののしった機動隊員の発言を「差別ではない」と擁護する松井大阪府知事や鶴保沖縄北方大臣。街の中をデモしながら、ヘイトスピーチを叫ぶ人たちも、インターネットに扇情的差別的書き込みをする人たちも、人間としての底が抜けている。

 社会がそうなるのは、権力を握っている者たち、経済的に優位に立っている者たち、政治を動かす人たち、自分たちが社会の中心だと思っている者たちの底が抜けてきているからでもある。

 文化人類学者の出口真紀子さんが、

「人種や民族、女性、少数者に差別感情を抱いている人は常に一定数いるが、トランプ氏は選ばれて、差別に対するタガが外れた。日米で共通しているのは、差別の対象にならない多数派の多くは危機感を抱いていない」

と書いていて、そのように社会が落ちて行くのは、人権教育に根本的な欠如があるからだと主張している。確かに学校教育に欠如はある。さらに家庭にも欠如があり、地域社会にも教育的欠如がある。

 それらの欠如によって、社会が崩れていく。

 福岡伸一氏が、

 「私はアメリカ平衡感覚を信じたい。急激な変化には揺り戻す力が必ず働く。」

と「動的平衡」に書いていた。

 日本は、15年戦争という「社会の底が抜けた」手痛い打撃を経験した。そして71年を経て現在がある。現代の日本社会15年戦争の「底」の惨劇を忘れているか、知らないでいるか、不思議な感覚が社会に漂っている。「社会の底が抜けているのではないか」と思える事例は枚挙にいとまがない。

 、

2016-12-06

[] 阿修羅   阿修羅を含むブックマーク


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 奈良阿修羅を見に行ったのは二十代の頃だった。五十年も前のことだ。興福寺五重塔を右に見て、ひとり奈良公園の木立ちと芝生のなかを歩いていった。阿修羅像、天平の仏、それだけを見たい。写真に見る阿修羅の顔と姿には、長い歴史を超越して、今に生きる者の魂、心を感じた。阿修羅に直接会いたい。

 ぼくは阿修羅の前に立って、阿修羅と対面した。館内に人はいなかった。ぼくは、ほーっと息をつき、言葉にならなかった。ただただ見つめるばかりだった。阿修羅は、生き方を変え、人の世を悲しみ、憂え、無言で祈り続けた。天平の祈りは今も止むことのない人間社会の争乱や悲哀、苦悩への祈りだと思った。

 1949年に婦人民主新聞に発表されたという「阿修羅」の詩があった。作者は婦人運動の指導者だった。

   

      阿修羅

            苅田あさの

  ここに阿修羅は立っている

  三つの顔と

  六本の細い長い手をもって

  可憐な少年の姿をした阿修羅は ここに立っている

  

  せい一ぱい みはって

  一てんを みつめている

  この眼が涙をはふりおとさないということがあろうか

  しんけんな必死な願いが

  ひきよせた眉根の

  かすかな隆起をつくっている


  うぶげもみえそうな 子どもらしいくちびる

  歔欷(すすりなき)をおさえて

  かみしめられている

  こんなあどけない顔に刻みこまれているために

  このかなしみは更にいたましく さらに切ない


  うでわのはまった蜘蛛のように細くながい手

  その手は胴のあたりで

  折れんばかりに うち合わされている

  その手はたえかねた叫びのように

  のろのろと天へ さしのばされている


  どんな無法なあつい願いが

  どんな無法な切ないなやみが

  この半分裸の下袴だけの かぼそい少年らしい体を

  おしたおそうとしているのか


  三つの顔と

  六本の手と

  求めなやみ あこがれ もだえる

  人間の永遠に幼いすがたをもって

  阿修羅はここに立っている

2016-11-26

[] スペシャル・ミール  スペシャル・ミールを含むブックマーク


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人生の最期の食事に、

「食べたいものは何でも準備するよ、何が食べたい?」

と言われたら、自分なら何を言うだろう。

朝刊で、藤原新也が、死刑囚が明日は死刑執行されるという前日の夜の食事のことを書いている。最後に食べたいものを自分で注文できる。アメリカではそれをスペシャル・ミールと呼ぶのだと。

そうすると死刑囚が注文するのは、

フライドチキンやステーキ、

ホットチーズサンドイッチ、

チーズ、パイ

目玉焼き

など、平凡な庶民のそこらの食べ物ばかり。なかには、ケンタッキーフライドチキンという銘柄まで指定する人がいた。

 そこで藤原が書く。

「人間とはそういうものだ。小さい時から慣れ親しんだ平凡だが思い出にからんだ食べものこそ舌が求める。」

貧困や暴力、疎外や孤独の暮らしの中で生きてきた人は、特別なおいしい食べ物として世に言われているメニューなんて、口にしたことがない。多くの死刑囚が食べたいと言うのは、日本の場合なら何だろう。マクドナルドのバーガーか吉野家の牛丼か、と。

そして藤原が、自分の最期の夕食の注文を許されるなら、と書いたのは、

大根の葉の漬物の千切りに、オカカをまぶし、醤油をかけ、メシに混ぜ込んだもの。

どうしてそういうものを注文するかと言えば、

「幼稚園に上がる前、私は真夜中に母に空腹を訴えた。母は困った顔をしていたが、台所に行き、ありあわせのメシとお茶を運んできた。」

それが、大根の葉の漬物の千切りに、オカカをまぶし、醤油をかけ、メシに混ぜ込んだもの。

子ども心に世の中にこんなにおいしいものはないと感じた。」

食べものとはそういうものだ、高級懐石料理とかフランス料理のフルコースとかではない、と。

子どものころに、親が作ってくれた食事、それをおいしいと思って食べたこと、身体と心が感じた食べもののうまさ。そこにはそれを用意してくれた人の愛情がこもっている。

そして藤原は、自分の兄が最期に、食べたものを書いている。

兄は59歳でガンで亡くなった。流動食しか受け付けない兄が、イカソーメンに箸をつけて食べたという。それは奇跡だった。

「私はその小さな奇跡を横から眺め、目頭が熱くなった。門司港で生まれた私たちはよくイカを釣りに出かけ、その場で千切りにして醤油をかけて、おやつがわりに食べた。最後の食卓で兄の記憶がよみがえったのかもしれない。」

この文章を読んで、二つのことが頭をよぎった。

ぼくが教えていた男子生徒がこんなことをぼくに聞いた。

「先生、今晩何を食べますか。」

「今晩? 何かなあ。奥さんが作ってくれるから分からないなあ。」

どうしてそんな質問をするの? 不思議に思って聞くと、

「母親に食事を作ってもらっていない」と言った。

毎日コンビニで買ってきて食べるのだと言う。そこでぼくは自分で作れば? と言って、肉じゃがとかいくつか作り方を教えた。弟もいるから弟の分も。

彼の子ども時代の「母の味」とは何なのか。結局彼の食べ慣れたものはコンビニの弁当になるのだろうか。

頭によぎった二つ目は、新聞に報道されている大物政治家食事だ。膨大な政治資金。それが彼らの食事代になっている。「交際費」「会議費」の名目で、超有名ホテルで飲み食いしている。麻生が代表を務める政治団体支出はこの二年間で、39850000円。そのうち16700000円を会員制クラブでの飲み食いだ。稲田朋美防衛大臣の場合、ダントツで増えている。

庶民とはあまりにもかけ離れた、大物政治家の豪華な食事。自分の懐とは関係なし、じゃぶじゃぶおいしいものが食える王様暮らし。これが民主主義日本の政治家。

彼らにスペシャル・ミールは? と聞いたらなんと応えるだろう。

お茶漬けだよ」

2016-11-25

[] レタス   レタスを含むブックマーク


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朝食の鉢の上にたっぷり積まれたレタスの葉、

みずみずしい緑葉に、

黄色い針のようなものがくっついている。

今朝は氷点下3度、

昨日の雪が、庭の菜園の畝間に残っている。

レタスキャベツ、白菜、

小松菜、太ネギ、大根

ホウレンソウ

どれもこれもシャキッと、

すがすがしい緑色を誇り、

今朝はそこからワイフがグリーンレタスの葉っぱを摘んできた。

針のようなものは、それにくっついてきた。

ワラくずにしては細すぎる。

レタスの葉っぱから数本見つかった黄色いもの、

なんだい、これ?

ああ、カラマツだ。カラマツの葉っぱだ。

カラマツの黄葉は、風が吹くと、

無数の黄色い光の針になって舞い落ちる。

庭に伸びたカラマツは、小鳥が種を運んで来たのか、

それとも山のカラマツ林から種が風に飛ばされてきたのか、

庭の隅から芽を出し、6メートルほどの高さに育った。

庭のカラマツは、まだ青年の樹だ。

青年の樹が、初冬の太陽に、黄金の葉を撒き散らす。

冬眠に入る前の、華麗な儀式。

グールモンの詩が頭に浮かぶ。


   シモーヌ、木の葉の散った森へ行こう

   落ち葉は苔と石と小径とをおおうている

   シモ―ヌ、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を


   落ち葉の色はやさしく、姿はさびしい

   落ち葉ははかなく捨てられて土の上にいる

   シモ―ヌ、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を


   寄り添え、われらも いつかは哀れな落ち葉であろう

   寄り添え、もう夜が来た、そうして風が身にしみる

   シモ―ヌ、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を

 

2016-11-20

[] 「正露丸 「正露丸」を含むブックマーク


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 太平洋戦争の激戦地だったガダルカナル島で、今も旧日本軍の兵士の遺骨収集をしている人たちがいるという。

 遺骨収集は、日本兵の遺族と、「全国ソロモン会」の人たち、そしてNPO法人「JYMA日本青年遺骨収集団」らが行っている。

 島にはまだ約7000人の遺骨が土に埋もれ、風雨にさらされている。


 収集団の人たちが丈高き草をかき分ける。密林の急斜面で遺骨が次々と見つかった。

 軍服のボタンが見つかり、日本兵であることは間違いない。

 歯が見つかり、頭骨が現れ、その脇にガラスの小瓶があった。

 かすかに「正露丸」のような臭いがした。


 ここまで記事を読んで、しばらくぼくは瞑目した。

 「正露丸」の臭い、あの強烈なクレオソート臭。それが75年の時を経ても残っていた。

 風化はしていなかった。


 日露戦争のときに兵士が持って行った「征露丸」、露西亜を征伐するという名前の腹薬。

 アジア太平洋戦争が終わって平和国家になってから、「征」はよくないと、「正」の字に変えられた。

 ぼくは登山や旅行には「正露丸」を必ずザックの中に入れた。


 土色になった遺骨、その脇に「正露丸」は生きていた。

 75年たって尚、兵士たちの霊魂は故郷に帰ることができないでいる。

 彼らを野ざらしにした母国は、そのことを忘却してしまっているかのようだ。

 我が叔父・茂造さんは、海軍に召集され、サイパン沖で海の藻屑となった。

 叔父の遺骨は還らなかった。

 75年の年月を経れば、遺骨は海流に流され、故国日本の海のどこかに、今も漂っているのではないだろうか。





 

2016-11-19

[] 古代の渡来人  古代の渡来人を含むブックマーク



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 万葉集を読むと、次つぎと興味深い発見をする。大伴(おおとも)坂上郎女(さかのうえいらつめ)が新羅の国の尼の理願の死を悲しんでつくった歌がある。坂上郎女(さかのうえいらつめ)は大伴家持の叔母になる。

 <たくづのの 新羅の国ゆ 人言を よしと聞こして

 問ひさくる うからはらから なき国に 渡り来まして

 大君の しきます国に うち日さす 都しみみに

 里家は さはにあれども いかさまに 思ひけめかも

 つれもなき 佐保の山辺に 泣く子なす 慕ひ来まして

 しきたへの 家をも造り あらたまの 年の緒長く

 住まひつつ いまししものを 生ける者 死ぬとふことに

 まぬがれぬ ものにしあれば 頼めりし 人のことごと

 草枕 旅にある間に 佐保川を 朝川渡り

 春日野を そがひに見つつ あしひきの 山辺をさして

 くれくれと 隠りましぬれ 言はむすべ せむすべ知らに

 たもとほり ただひとりして 白たへの 衣手干さず

 嘆きつつ 我が泣く涙 有馬山 雲居たなびき

 雨に降りきや>(巻三)


 坂上郎女の深い悲しみがそくそくと伝わってくる。現代語訳すれば、


 <理願さん、あなたは新羅の国から、倭の国は良いところだといううわさを聞かれて、困ったときに相談したりする親兄弟もいないこの国に、天皇の治められるこの国に、渡ってこられて、都には家々はたくさんあるのに、あなたはどう思われたのか、私たちの住んでいるこの寂しい佐保の山辺を慕ってこられ、家を造り、長く住んでおられたものを、生きている者はいつかは死ぬものだから、頼みにしていた人がみんな旅に出ている間に、あなたは佐保川を朝のうちに渡って、春日野を後ろに見て、山の方へとぼとぼとものさびしげに隠れてしまわれましたから、何と言いどうしたらいいか分からず、うろうろして、流れる涙は衣の袖を濡らしますが、それを乾かすことなく、涙はそちらの有馬山に雲となってたなびき、雨となって降っているのではありませんか。>

 大伴坂上郎女は理願の死を嘆き悲しむ。理願は朝鮮新羅の国からやってきて、坂上郎女の父である大伴安麿の家に寄寓し、数十年暮らしていたが、伝染病にかかってあの世へ旅立ってしまった。理願の最期を見届けたのは坂上郎女ひとりだった。坂上郎女の母・石川命婦(みょうぶ)ら、家の人たちは病の治療のために有馬温泉に行っていた。この歌は、理願の死を知らない、有馬温泉で湯治する母に送ったものであった。理願への痛切な思いの深さに感動する。

 飛鳥の時代、さらにそれ以前から奈良時代にかけて、実にたくさんの渡来人が日本にやってきた。渡来人は大陸の文化を日本にもたらした。漢字、仏教などとともに鉄の鋳造技術、須恵器などの陶器の技術、仏像彫刻の技術、建築の技術、医療の技術、馬具をつくる技術、絵を描く技術、織物をつくる技術など、さまざまな文化・技術を伝えた。

 渡来人は、百済新羅高句麗高麗)、任那の国から、ある時は集団で、ある時は家族で、あるいは単身でやってきた。国が滅びる時には難民としてきた人もいた。夢を抱いてきた人も来た人もいただろう。それらの人は近現代の移民に通じるところもある。そうして渡来人は日本に溶け込み、日本のなかで尊敬もされて地域の人となっていった。

 山上憶良が書いた「病気になって自分をいたむ文」(巻五)がある。こんな要旨である。

 <初めて病気になってから長い年月がたった。私は七十四、手足が動かず、節々が痛く、身体はひどく重い。身体は世間の苦労で穴があき、心も世の中の苦労で縛られている。占い者にも巫女にも聞いた。神に供え物をし、祈祷もした。それなのに苦しみは増すばかり。昔はよい医者がたくさんいたという。ユフ、ヘンジャク、カタ、秦のワとカン、カツチセン、トウインゴ、チョウチュウケイ、これらの医師は手術などして治さない病気はなかった。しかしそんなよい医者を今からほしいと思っても、とてもできないことだ。もしすぐれた医者、よい薬に出会えるならば、できたら内臓を割き、いろいろな病気を探し出し、膏肓(こうこう)の奥深いところまで、病気の逃げ込んでいるのを見つけ出したいと思う。ニンチョウクンが言った。病は口から入る、飲み食いを正しくすることだ、人が病気になるのは魔物のせいではないらしい、医者のよい説や、飲食などをつつしむという戒め、知るのはたやすく行なうのは難しいのが人間の情だという教え、そういうことはよく聞き知って分かっているのだが、いかんともしがたい。ホウボクシは言っている。人間は自分の死ぬ日が分からない、だから心配しないだけだ。‥‥>

 ここに出てくる医師の名前は、もちろん漢字で書かれている。トウインゴは陶隠語、チョウチュウケイは張仲景、ニンチョウクンは任徴君と表記されている。この医者たちも渡来人なのだ。この文章を読んで、これが660年〜733年頃に生きた人のものなのかと驚く。医学の発展した現代においても共通したものがあるではないか。山上憶良は唐にも遣唐使船で行って、二年間唐で暮らしたことがあった。

2016-11-18

[] 尾崎豊の歌  尾崎豊の歌を含むブックマーク


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 14年前、日本から郵送した二箱のダンボールはひどい壊れようだったが、中身のたくさんのCDとビデオテープは何とか使えた。その一つ、「北の国から」のドラマを中国武漢大学の学生たちに見せたときのことを思い出す。思春期に成長したジュンが吹雪の夜、小屋のなかで好きな女の子と一緒になるシーンだったと記憶するが‥‥。そのシーンのBGMに尾崎豊の「I love you」が流れた。瞬間、女子学生たちがどよめき、空気がぴんと張り詰めた。学生たちが反応したのは尾崎豊の歌だった。彼らは尾崎豊を知っている。どういう経路をたどって湖北省のこの学生たちの生活に尾崎豊の歌がとどいたのか、よく分からない。だが歌は、中国の学生たちの心に響いているではないか。

 尾崎豊の歌がぼくのなかに残った。

 ぼくは今、通信制の高校の生徒と学びの場でひとときを共有している。生徒たちは自分の来れる時に学校に来て、自由にレポートに取り組み、帰ろうと思う時になれば帰っていく。生徒のほとんどは、ひっそり来てひっそり帰っていくが、とりわけ無口な子がいる。その生徒と向かい合ってレポート学習を支援していたとき、自分はロックンロールストリートミュージシャンをしているのだと言った。ときどき大阪東京へ出かけて、繁華街の通りでミュージシャンとなり、表現活動をやっているのだと。

 一昨日その生徒に尾崎豊のことを話した。教科書を教えるときよりも、こういう会話をするときがおもしろい。会話は生きる。生きている会話はおもしろい。学校での彼は普段無口で、無表情だが、話題が尾崎豊のことになった途端に彼は思いを語りだした。尾崎豊が好きで、彼のお父さんはもっと好きだと言う。

「『北の国から』を中国の学生に見せたとき、尾崎の歌が流れるシーンがあってね。そのとき、彼らがぱっと反応したんだよ。あの歌、『卒業』だったかな、『I love you』だったかな」

「それは『I love you』です」

 彼は即座に答えた。話が弾んだ。

「今の時代、どうにもならない社会状況のなかで、尾崎の歌が再び受け入れられてきているのかな。怒りと悲しみとの叫びが。」

「そうだと思います。社会の行き詰まりのなかで、尾崎の歌は生きはじめています。」

 ちょうどぼくが今読んでいる本のなかに、尾崎豊が話題になっていたから、そこを彼に示すと彼は本を読みだした。

 その文章は三人の意見のぶつかりだった。山折哲雄宗教・思想史)、森岡正博現代思想)、山下悦子(日本思想)が尾崎を語る。会話を要約すると、

森岡「ロックは怒りの爆発で、体制への反抗です。尾崎の怒りには愛と安らぎがあります。尾崎が死ぬ前の曲は、ほとんど宗教音楽に近いところまで行っている。」

山折「怒りを愛に結び付けていますね。愛へのプロセスを悲哀で支えている。悲哀があって愛は安定する。神なき時代の最後の救いは愛です。神なき時代の芸術の最後に残された唯一の形式は愛ですね。」

山下「山折さんは尾崎は救いを望んでいるけれど救われないのではないかとおっしゃった。状況はそれだけ厳しいということを尾崎の歌に感じます。現代社会では安らぎは期待できない。」

山折「宿命・運命論とDNAの発見とは背中合わせになっている感じです。それだけ現代の悲しみは深い。決定されちゃっている。流れているのは深い悲しみです。」

森岡「無常感というものと科学文明が手にしてしまったテクノロジーのパワーとを、どう折り合いをつけるのか。それが解決しない限り、無常感・悲哀では切り札にならないです。」

山折「尾崎における怒りと救いの関係、怒りと愛の関係を考える場合、悲哀についての観念が欠如していることが問題だと思います。」

森岡「尾崎のこだわりの一つは欲望なんです。欲望から発して宗教性へと走っていくとき、その行き先は無常ということではない。」

山下「私は尾崎に『父』を感じました。日本社会には希薄だと言われてきた『父』です。掟としての『父』。」

森岡「私もそう思う。日本社会日本文化のなかにも『父的なもの』を求めるものがある。それは構造的に抑圧してきた何か。」

山下「女性の変容一つとっても、日本社会のありとあらゆるもの、家族、学校、会社などにはびこる旧来の価値観、すべてが変化せざるを得ない時代が始まったのだと思う。国家、会社から自立した個人の確立がこの国には必要です。」

森岡「個人主義に立ちながらも、異質なものとの会話を模索していくスタイルが必要です。日本は今後、人種のルツボ化していくとすれば、尾崎的なスタンスに立つことで、国民という看板を下ろせる。国民という縛り、近代国家という縛り、そういう縛りをようやく下ろせるような歌を、尾崎は歌い始めたのだと、私は思います。」


 本にするために記録される前の実際の会話はこんなものではないだろう。さらに要約すれば事実と隔たり、なお分かりにくくなる。だから内容的にも難しい。

 手渡した本でこの尾崎の部分を読んだ彼は、ぼくの席に本を返しに来て言った。

「ぼくの思っていることと通じます。」

2016-11-12

[] 「思い」と「感じ」だけで大統領は選べない  「思い」と「感じ」だけで大統領は選べないを含むブックマーク


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 「思いがけない」結果が出たと言う。「思っていた」ことと異なる。したがって「意外」、すなわち「意」が「外れる」。「意」と「思い」が「意思」。

 「思い」に人は左右され、動く。一昨日アメリカでは、「思い」が衝撃的な結果を生んだ。

 だが「衝撃的」というのも「思い」だろう。

 「移民排撃」「イスラム攻撃」「アメリカ第一主義」、彼は「思い」を叫んできた。

 人間は意識のあるときは、常に「思い」が湧いてくる。その「思い」を口にする。

 基地反対運動をしている人に向かって機動隊員が、「ボケ、土人、シナ人」と叫んだことについて政府沖縄担当大臣が、「差別とは思わない」と終始抗弁している。すなわち「思い」なのだから、差別でも何でもないというわけ。

 こうも軽薄な「思い」。「思い」は頭をかけめぐる。

 忙しいなあ、なんとかならないかなあ、何を食べようかなあ、気温が下がってきたなあ、山がきれいだなあ、白馬岳はもう雪で真白だなあ、冬タイヤに変えなければならんなあ、医者へ行った方がいいかなあ、明日約束の時間に行かねばならないなあ、あと何年生きられるかなあ、フィシャーディースカウの「冬の旅」を聞こうかなあ、森田さんに電話したいが電話してもいいかなあ、元気かなあ、コウモリを入り込まないようにしなきゃあなあ、干してある黒豆を叩かねばならんなあ、寒いなあ、忙しいなあ、‥‥

 これら全部「思い」。

 「たぶんこの人は、やってくれるだろう」

 「この人は裏表のない率直な人のようだから、任せられるだろう」

 「この人なら、行き詰まりを打開してくれるだろう」

 「あの人よりはましだろう」

 おいおい、その「思い」は確かかい? どうしてそう「思う」の?

 それは、そう「感じる」からさ。「やってくれそうな感じ」がするじゃない。

 「雰囲気がいい感じだよ」

 おいおいおい、「感」とは何だ?

 「感じる」「感心する」「感動する」、「感じ」というのは「印象」だね。その人やその物に触れて心に浮かぶものだね。

 嫌な感じ、冷たい感じ、いい感じ、寂しい感じ、楽しい感じ、苦しい感じ、賢そうな感じ、ずるそうな感じ、勇ましい感じ、危険な感じ、安心できる感じ、不安な感じ、頼りがいある感じ、貧しい感じ、裕福な感じ、不吉な感じ、幸福な感じ、嘘っぽい感じ‥‥

 人間いつも何かを感じて生きている。

 「思い」や「感じ」を頼りに生きている。そしてうまくいくこともあれば、いかないこともある。

 だが、「思い」や「感じ」で、大統領を選んでどうする。

 重要なことは、「考える」こと、「知る」こと、「探究する」ことではないか。

 トランプさん、アメリカの白人の祖先はみんな移民ですよ。あなたも移民の子孫です。先祖の白人は、先住民ネイティブアメリカンにどんなことをしてきましたか。

 沖縄北方大臣殿、土人という言葉は日本の法律にもつい最近まで残っていましたね。北海道土人保護法(明治32年制定)は、平成9年(1997)廃止されました。なんとも遅すぎ、あきれたことです。

 アイヌ民族の歴史と琉球国の歴史をたどると、日本の国が見えてきます。そして中国に対する明治維新以後の歴史を調べれば日本人の意識が明らかになってきます。

 政治家は、歴史を探究することと現実社会を探究することなくして、本当の政治はできません。

 政治家を選ぶ庶民も同じです。歴史を知らずして政治家を選ぶことはできません。

2016-11-08

[] 政治にかかわるみなさんへ!  政治にかかわるみなさんへ!を含むブックマーク


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 自転車の荷台に箱を積んだ人が、自転車を押して歩いていました。年老いた女性でした。その横を、トラックや乗用車がスピードを緩めずに飛ばしていきます。道路の脇には歩道はなく、草が茂り、すとんと下がって田んぼになっていますから、怖くて自転車に乗れないのです。左によろめけば車に跳ねられる。右に足を踏み外せば田んぼに落ちる。明らかに女性はおびえて、足がすくんでいました。大変な所に入ってしまったと悔いているように感じました。安曇野を南北に貫く広域農道を、住吉の交差点から三郷に向かう途中でした。

 どうしてそんなところを通るのか。旧村のなかへ入れば道がある。けれどもその道は途中で途絶えたり曲がったりして、迷ってしまいます。彼女にはほかに道がなかったのです。

 何度かそんな光景を目撃しました。

 これはいったいどういうことだろう。私はこれはこの安曇野市あるいはこの国の、重大な文化の欠落問題ではないかと思いました。

 最近市役所の支所の入口で「交通事故非常事態宣言」と書かれた立て看板を見ました。長野県は交通事故が増えているのです。

 私の家の前から集落に入るので、入り口に、「スピードを落とせ」という標識がカーブミラーの下に付けられています。道路幅が狭く、歩車共用、車の対向が難しいところで、道が曲がりくねっています。けれどもお構いなしに車が突っ走っていきます。これまで数件の事故が起こっています。昨日の朝、自転車に乗ってゴミを集積所に持っていくとき、背後からクラクションを鳴らされてあわてて自転車を止めました。クラクションを鳴らす人に感じるのは、

「どけ! じゃまだ!」

という意識です。車に乗ると、この意識が強くなるのではないかと思います。障害になるものを排除しようとする意識が、歩行者自転車を「妨げになる存在」とみなしてしまう意識です。これには感情が伴っています。「歩行者は当然道を譲ってよけるべきだ」、車に乗ると、この自己優先意識がほとんどのドライバーに生じるのではないか。

 私は毎日野を歩きます。真横を車がスピードをゆるめることなく、走り抜けていきます。女性運転手もへっちゃらです。ブレーキを踏みません。車が優先ですよ、よけない人が悪いのですよ、そんな感じがします。しかし、高齢者はよろめくこともあります。子どもはいきなり飛び出すこともあります。もし私がよろめけば確実にアウトだと、車が通り過ぎた後に何度も思います。ときどき怒りが湧くこともあります。そんな近接したところを傍若無人に通過していくのです。そういうドライバーも、交通規則、マナーはよく知っているのです。知ってはいるが、走れば自己優先になるのです。

 どうしてこういう意識が生じたのか。このことを取り上げないで、「交通規則を守れ」と呼びかけるキャンペーンは、ほとんどの人には馬耳東風です。

 地域を歩いて目に入るのはほとんど車であり、歩く人はきわめて少ない。だから車目線、車意識が支配していく。

 本当の状況をつかむには歩かないと分かりません。歩いて直面しないと分からないのです。警察官は地域を歩いていますか。行政にかかわる人は地域を歩いていますか。私は全く見たことがありません。現場主義と言いながら歩くことのない人たちが、ほんとうの実態がつかまずに、政治を動かす。そうして偏頗な政策が進行するのです。

 日本の文化、人びとの暮らし、環境、教育、福祉農業、それらの根底をつかむには歩かなければできないのです。直接触れないと感じとれないのです。

 市民も歩く人が少ない。歩く文化が育っていない。

 高額の資金を使って、一部の人しか使わないハコモノをつくるよりも、景色を眺めながら安曇野を縦断する「緑の並木が木陰をつくる、歩く人のための道」、自転車に乗って安心して走れる道」をつくる。人びとが外に出て憩い、出会い、笑いさざめく、文化を育む緑なすオアシス道をつくる。それは市民の新たな文化の発祥源になっていくことでしょう。

 私はこの十年ほど、このことを主張してきました。しかし行政に届くことはありません。

2016-11-04

[] リニア中央新幹線の建設が始まった  リニア中央新幹線の建設が始まったを含むブックマーク


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 最高時速500キロで疾走するんだという。

 リニア中央新幹線の建設が始まった。2027年東京品川)―名古屋間が開業し、45年には大阪まで延びる予定だとか。

 政治経済の大勢は建設歓迎。

 磁力で浮いて、ぶっ飛ぶ。そりゃ夢のような話じゃないか、その夢、実現するとすばらしい。

 庶民も賛成。速いことはいいことだ。時間が短縮することはいいことだ。経済に効果のあることは賛成。発展発展、日本は発展。

 こうして歴史は動いていく。新しい何かが生まれ、歴史を刻んだ何かが消えていく。この歴史の流れ、大勢には逆らえない。時代は変わるもの。だから、それに乗るしかない。長いものには巻かれろ。

 巻かれろ?

 巻かれる「国民」なのか。

 「国民」とは何だ。「国の民」とは何を意味する?

 

 ぞくっと寒気がした。

 南アルプスのどてっ腹に長い長いトンネルを掘って貫通させるんだぞ。

 南アルプスって知ってるか? 登ったことがあるか?

 あの巨大な山脈、深い森。多くの生き物が生息するところ。

 腹に穴を開けられ、膨大な土を奪われ、地下水をとられ、山はその痛みで泣くぞ。

 山麓地帯には多くの貴重な伝統文化が残っている。住民たちが守って来た生きる人間の文化だぞ。農民歌舞伎もあるぞ。

 どっちを向いて、日本は走っているんだ。

 どこへ向かって、日本は急いでいるんだ。

 先だって見たドキュメンタリーの映像は、イギリスピーディストリクト国立公園だった。そこは1951年イギリス初の国立公園となったところ、沖縄県と同等の広さを持つという。歩く人のための道であるパブリックフットパスが公園内を縫うように続いている。映像はその道を6日間かけて2人の女性が歩くというもの。

 人間はどこでも歩く権利を持っている。その権利を国は認め、それを行使することのできるようにした小道フットパス、イギリス全土に24万キロに渡って網の目のように張り巡らされている。その道をたくさんの人が歩く。歩くことが大好きなイギリス人だ。

 国立公園のなかに小さな美しい村々がぽつりぽつりとある。農村は牛を飼い羊を飼う。広がる放牧地。田園も村も百花繚乱。ヒースの丘がある。森がある。フットパスを歩く人びとは、坂を登り、下り、うねうねと曲がりながら、遠くの空を見つめ、緑野を堪能する。ナショナルトラストの所有する土地がある。そこはどこを歩こうが自由だ。マナーハウスと庭園がある。領主達の館「マナーハウス」は今は宿泊施設として改装されている。イギリスの貴族階級の旧領地は公園として保存されている。

 住民が語っていた。

 昔々、すべての土地は誰のものでもなかった。どこを歩くのも自由だった。ところが歴史は動き、広大な土地は貴族階級のものになった。貴族の領地には労働者は入れない。イギリス産業革命が起こり、労働者たちはそれを支えた。そして気づいた。何故おれたちは貴族の領地に入れないのか。なぜそこを歩けないのか。おれたちは歩く権利を持っているんだ。歩こう。それがデモになった。

 すべて人は歩く権利を持っている。歩く労働者たちは、歩く権利を取り戻した。

 パブリックフットパスにはこのような物語があったことを、住民が話していた。

 かくしてイギリス原風景を永久に残そうという国民意識が共有されるようになった。

 歩く人のために、歩くことを楽しめる環境を保存する。歩く文化を残すことを第一義に考える。そこに国、行政は多額の予算を投入した。

 歩くことは生きることだ。歩くことは美しい自然を守ることだ。人々が守ってきた自然、文化を未来に向けて残すことだ。

 一人ひとり、生きている、呼吸をしている。

 呼吸のリズム、心臓の鼓動のリズム、それは人類の歴史を刻んでいる。

 山も村もずたずたにして、森を破壊して、

 500キロでぶっ飛ばして、

 そんなに急ぐ必要がどこにある。

 

 リニア中央新幹線東京大阪間に完成した時、日本の人口はどうなっているか。

 日本人はどんな歴史を刻もうとしているのか。

みすずかる信濃みすずかる信濃 2016/11/05 09:20 アメリカに生まれ、日本に住んで、東洋文化を研究してきたアレックス・カーが、山折哲雄との対談で語っていた(「こころの旅」)。山折が質問した。「日本人は自然に触れる、自然を感じる感覚が衰えてきていると見えますか」。カーが応えた。「ぼくはもう本当に無くなってきていると思います。街中の落ち葉はいけないとか、山を一種類の樹で覆ったりとか。杉林では草も生えず、リスやウサギもいない。ここまで自然を嫌っている国はあるのかなあ。タイ、ミャンマー、香港、そこに行ってきて、そこではもっと自然に触れる機会が多くあった。日本に帰ってきて、街そのものが、まるで盆栽なのね。本当の樹が一つも見当たらない。心配になってきた。」これが外国人カ―の目から見た日本の姿。その見方、当っている。街中の貴重な街路樹を伐り倒すという国。自然を味わいながら、何日も安心して歩くことのできる道がなくなってしまった国。機械文明を優先する国。自然を守り育てる文化が、やせ衰えた国。それが日本。

2016-10-30

[] 村の合唱  村の合唱を含むブックマーク


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 田舎の村の合唱クラブ「扇町コーラス」は31年の歴史を刻んでいる。昨日、町の芸能祭で合唱を発表した。総勢19人。

 この春、これまで11年間指揮してきた82歳の平林さんが引退し、代わってコーラスメンバーの大友さんが指揮をすることになった。まったく指揮の技術はなく経験もない。それでも引き受けた以上やらねばならず、やってみてその難しさから、とても自分にはやれそうにないと、我が家に弱音を吐きに来たことがある。

「まあ素人ばかりの集まりだし、みんなで創っていくのだから、皆で意見を出し合い研究しながらやっていきましょうよ。みんなで楽しく歌えばいいじゃないですか。」

 ぼくはそのとき、そう励ました。それから大友さんは、指揮をやっている人からいろいろ教わりながら、試行錯誤でやってきた。

 練習は月に二回、歌はみんなでこれがいいと思う曲を提案し合って、そのなかから、「遥かな友に」、「銀色の道」、「ふるさとは今も変わらず」、「堀金の四季」を選んだ。そうして練習を重ねて、この中の前の三曲を発表した。男性はバス。

 音楽を本格的に学んできた人は誰もいなくても、大昔から人びとは集まって合唱をしてきた。指揮者のいない合唱団もあるし、オーケストラもある。みんなで創り上げていくことに価値がある。権威的な人がいて、みんなは黙ってその人の言うとおりにするということがいいとは思えない。みんなで切磋琢磨していくことに価値がある。そう大友さんを励まし、大友さんもその気になって一生懸命指揮をし、なんとか芸能祭で発表出来た。大友さん、御苦労さま。

 「遥かな友に」は、ぼくにとっては懐かしい曲で、青年時代に山でよく歌った。「ふるさとは今も変わらず」は、東北震災の復興ソングだということを途中で知った。月に二回の練習だけではあいまいなところが残り、インターネットユーチューブで、「ふるさとは今も変わらず」を引っ張り出して、そこに出ている新沼謙治と少女たちの合唱を聞きながら楽譜を目で追い、何度もバスのパートを歌って練習した。かくして東北岩手気仙沼新沼謙治の故郷で、大震災の後彼は故郷・被災地を訪ねて歌い続けてきたことも知った。

 ユーチューブに入っている映像の一つに、夜の被災地での合唱があった。仮設住宅のまえにブルーシートを敷き、そこに被災者たちが座っている。暗がりが辺りを包んでいる。新沼謙治と十人ほどの少女たちはその前に並んで歌っていた。歌を聞いている人びとの顔が、カメラに浮かび上がる。一人ひとりの表情を見ていると、その心の内が伝わってくるようでぼくは胸がむせて涙が出た。「ふるさとは今も変わらず」と、新沼謙治は作詞したが、現実は大きく変わってしまった。「故郷がかわってしまった」ということでは、わが故郷、河内野も大和路も、おおきく変わってしまった。その変わりようは、自然災害ではなく人間による意図的な変え方であり、破壊でもあった。そしてその最たるものに日本は遭遇した、福島原発事故。つくられた神話を信じた結果、いまだ故郷に帰れない人々がいる、半永久的な故郷の喪失が起こっている。

 「ふるさとは今も変わらず」と呼びかける新沼の心は、歌詞のなかに込められている。失われたものへの哀惜、心の中のふるさと

   爽やかな朝もやの中を

   静かに流れる川

   透き通る風は体をすりぬけ

   薫る草の青さよ

   緑豊かなふるさと 花も鳥も歌うよ

   君もぼくも、あなたも、ここで生まれた

   ああ ふるさとは 今も変わらず

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 合唱メンバーであり絵を描く有賀一人さんが、ぼくの顔写真を撮って、それをもとに一枚の絵をしあげられた。芸能祭の展示のコーナーに展示したよ、というから見に行った。うーん、なかなかいい絵だなあ。