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吉田道昌の学舎 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-05-28

[]   ◆ゲルニカ』の物語      ◆悒殴襯縫』の物語を含むブックマーク



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 1939年5月、作品『ゲルニカ』はアメリカ合衆国に送られ、その年に第二次世界大戦が勃発する。『ゲルニカ』はニューヨーク近代美術館に保管され、ピカソ展はアメリカ合衆国内で開催された。第二次大戦が終わると、1953年、『ゲルニカ』はヨーロッパに戻され、イタリアベルギースウェーデンドイツ出展され、再びアメリカ合衆国に戻る。ピカソ本人は「『ゲルニカ』がニューヨークにとどまり、スペイン人民の自由が確立した時にスペインに戻る」ことを希望した。このころ、スペインバスク地方では、独裁政権への抵抗のシンボルとして『ゲルニカ』の複製を飾る家庭が多かったという。

 1960年アメリカによるベトナム戦争が起こると、アメリカでも世界中でも反戦運動が起こり、絵は反戦のシンボルとなった。

 『ゲルニカ』のスペイン帰還決定は1981年。バスクの悲劇と自由への渇望のシンボルとしてバスク自治州は熱心に『ゲルニカ』を希望したが、マドリードプラド美術館に納められた。

 今発売の雑誌「クロワッサン」の6月号に、小説「暗幕のゲルニカ」を書いた原田マハの記事が載っている。原田マハ箱根のポーラ美術館で、「いまこそ≪ゲルニカ≫の話をしよう」と題した講演を行ない、こんなことを話した。


 ピカソが監修した『ゲルニカ』のタペストリーが世界に三点ある。一点は国連本部、二つ目はフランスの美術館、三点目は日本の群馬県立近代美術館にある。1936年フランコ将軍がクーデターを起こし、それを支援するナチスドイツゲルニカの街を空爆した。

 「自分にできるのは戦争で殺された人びとの叫びをカンヴァスに焼きつけることだ」、ピカソは絵筆をふるった。『ゲルニカ』はパリ万博に展示された後、ヨーロッパを巡回してアメリカに渡った。

 「スペインファシズムの手に落ちたら、民主主義が訪れるまで、絶対に『ゲルニカ』をアメリカの外に出さないでほしい。」

 ピカソの願いどおり41年間『ゲルニカ』はアメリカにあったが、その間に三点のタペストリーがつくられた。そして2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起こる。そしてアメリカの方向性はイラク攻撃へと進み、国連安保理イラク侵攻を議決した。発表は『ゲルニカ』の前で行なわれるのが通例だったが、このときは『ゲルニカ』に暗幕がかけられた。反戦と平和の象徴の前で、空爆肯定する矛盾を隠したいからだ。しかし、隠したことで『ゲルニカ』のメッセージがより鮮明になった。私はこのことを忘れてはならないと思い、『暗幕のゲルニカ』を各決意をした。


 そういうことがあったのか、『ゲルニカ』には、多くの物語が潜んでいるようだと思う。ただし、この記事の「国連安保理イラク侵攻を議決した」というのには首をかしげた。

 2003年3月20日,米英軍は国連での合意がないまま対イラク攻撃を開始したのではなかったか。武力行使を明確に容認する国連安保理決議はなく、仏独露は反対したが、米は「イラク大量破壊兵器を開発している」とする「証拠」を掲げ、フセイン打倒をめざして戦争を進行させた。しかしブッシュが「戦争の大義」とした「証拠」は後に虚偽だったと判明する。

 するとこの記事はどういうことだろう。雑誌の記者の誤りか、それとも作者の誤りか。

 11月8日の「国連決議1441号」は、「1週間以内の査察を受け入れと30日以内にすべての大量破壊兵器に関する情報を開示」だった。フセイン大統領は査察受け入れを表明し、査察団を受け入れたが、2003年1月の中間報告は「大量破壊兵器」の確証は得られなかった。しかしアメリカは疑惑を払拭できないとして武力行使を決意、イギリスが同調、フランスロシア中国などは査察継続を主張、国連安保理は意見が一致しなかった。それでもブッシュ大統領は、フセイン大統領の国外退去を求めて最終通告を行い、フセインが応じなかったため空爆を開始した。

 ブッシュ政権イラク攻撃に踏み切った理由については、公式には「大量破壊兵器の隠匿」が「国連決議」に違反するということとされているが、その後、大量破壊兵器の存在は証明されておらず、アメリカ政府もすでに破棄されていたことを正式に認めた。また国連決議についても、フランスドイツなどは査察の継続を主張して反対した。この軍事行動は、アメリカ軍イギリス軍など30数ヶ国の「有志連合」によるものだった。

 国連の『ゲルニカ』タペストリーに暗幕をかけざるをえなかったのは、このようなあいまいさによる戦争への想いがあって、そうしたのではないだろうか。

2017-05-26

[] .好肇奪を突きながら   .好肇奪を突きながらを含むブックマーク

 

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 「ゲルニカへのピカソの道」特別展を観たい。両手ストックを突いて、よく磨かれた石段を上っていった。ストックを突くと、痛む膝がいくらかカバーされて痛みが和らぎ、足どりも確かになる。

 ソフィア王妃芸術センターの入口から階段下まで入館者の長い列ができていた。順番が来てチケット売り場でパスポートを見せ、65歳以上だと分かると入館料は無料になった。

 たくさんの絵画のなかを、目指すは「ゲルニカ」。その展示室に入る。人びとの頭越しに見覚えのある絵が見えた。

 おう、「ゲルニカ」よ、壁面いっぱいに、縦3.5m、横7.8mの大作「ゲルニカ」。白黒モノクロームの牛の頭、死んだ子を抱えて泣き叫ぶ母親、悲鳴を上げていななく馬、天を仰ぎ救いを求める人、地面に倒れた手に刀を握っている人。

 

 スペインは、1936年7月、右派フランコ将軍がクーデターを起し、左派右派対立が激化し内戦となった。左派勢力ソ連が支持し、右派ドイツが支援した。ドイツイタリアからの支援を受けたフランコ軍は、スペイン北部を制圧し、1937年春にはバスク地方に迫った。1937年4月、ドイツ航空部隊は、バスク地方ゲルニカを無差別爆撃し、ゲルニカは壊滅した。

 ピカソはパリでこのことを知り、すぐさま制作に取り掛かり、「ゲルニカ」は1937年パリ万国博覧会で展示された。

 ぼくはしばらく「ゲルニカ」の前から動けなかった。ぼくの前には、小学二年生ぐらいの子どもたちが17人いた。床にしゃがんだ子どもたちの前に、女の先生が立って絵の説明をしている。子どもたちは頭をあげて真剣に絵を見ている。ときどき先生が質問をすると、挙手をして応えている。

 小学生のころから、こうしてこの国の子どもたちは、学校から街に出て、歴史や芸術、自然や街の人びとに直接触れ、感性と知性と行動力を養っている。子どもたちを見るのは、ここだけではない。芸術関係の施設に自然公園や歴史的遺跡など、いろんな所で、小学生、中学生、高校生の小集団に出会う。学校では20人学級なんだろうか。小集団の人数はだいたい十数人だ。その子どもたちの集団を夕方6時、7時になっても見かける。サマータイムになって、一時間早くなり、放課後の時間が長々とある。この国は昼食が午後二時ごろから始まり、夕食は午後九時ごろからだという。

 学校から出て学ぶ、それは驚くべき光景だった。

 緑の美しい公園を抜けて、この国最大のプラド美術館へ行った。常設展示品が1400点に及ぶという。有名な作品が多々ある。これを丹念に観るなんてことは無理な話。なんせ疲れる。美術館の中でもストックを突いて歩いた。

 目に止まり、心に止まった作品があった。 

 四寸柱のような十字架を肩に背負ったキリストの顔がリアルに描かれた二点、一点はティツィアーノの作品で、キリストの額から血の汗が噴き出ており、眼は充血して、血の塊が見られる。苦しみと悲しみの極致が表情に現れていた。もう一つはやはり十字架を背負いながら、両眼は空に向けられている。天なる神に救いを求めている苦悩の表情だ。四寸柱のような十字架は腰を砕くほどに重い。それを担ぎながらエルサレムの坂道を上がっていく。キリストが神ならば、なぜこのような苦悩と悲哀を身に受けて、やがてゴルゴダの丘で殺されるのか。この二つの絵の表情を見ていて、キリストの十字架にかけられる意味をぼくは感じた。もっとも過酷体験を、みずからに課して、死んでいく意味。

 イエスは捕らえられ、処刑は朝の九時ごろに行なわれ三時に及んだ。イエスは大声で叫んだ。

 「わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし。」

 なぜあなたは私をお見捨てになったのですか。

 キリストは、人間の罪や苦しみを一身に背負うて磔(はりつけ)にされた。神の子であるキリストは人間として死んだのだ。

 二つの作品、それだけがこの美術館で、ぼくの中に深く残った。

2017-05-13

[] 社会を動かす感情  社会を動かす感情を含むブックマーク


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 「思想はやがて社会の動向を左右する力を失うのではないか、とぼくは悲観的なことを考えている。」

 と池澤夏樹が言っている。無力を導くのは情報革命

 「これまでは交友、言語、制度、思想などが人間と人間とをつないできた。資本主義になってから金銭の媒介が加わった。今では人間は消費者である。あなたは懐妊以前から死去の後まで広告に包囲されている。」

 まったくその通りだな。消費、広告・情報に包囲されている。

 「今や個人の消費行動は、すべてネットを通じて××に報告される。思想信条、その時々の思いはSNSから抽出される。」

 SNSとは、人とのつながりを促進・支援する、コミュニティ型のWebサイトおよびネットサービス。コミュニケーションを円滑にする場を提供したり、趣味、居住地域、出身校、「友人の友人」といったつながりを通じて新たな人間関係を構築する場を提供する。世界最大のSNSは「Facebook」、短いつぶやきを投稿・共有する「Twitter」。かくしてすべてがネットを通じて集積され保存される。これがビッグデータ

 「ビッグデータには社会の現況がそのまま入っている。これが広告に応用される。××はこれにもとづいて社会の舵を取ることができる。」

 池澤夏樹は、アメリカ大統領選挙にこのビッグデータが使われたと推測する。そうして広告・情報戦略が立てられた。人びとの欲望を読み解き、共感と反発が拮抗するぎりぎりのポイントをねらって政策を設計したと推理する。

 「結果、有権者はトランプというとんでもない欠陥車を買った。この場合、それで戦争になろうが、恐慌が来ようが、それは投票した人びとの責任、と言えるか? 普通選挙による民主主義は意味を失ったかもしれない。」

 ここで、池澤の悲観がからんでくる。

 「思想はやがて社会の動向を左右する力を失うのではないか、とぼくは悲観的なことを考えている。」

 思索し思想を練ろうとも、ビッグデータにもとづく情報に操作された感情がそれを吹き飛ばしてしまう。

 「瞬間瞬間の国民の感情がことを決める。感情には思索の過程は痕跡としても残らない。その感情は××の操作の対象である。」

 たしかにこの感情がトランプを生みだしたようだ。××の操作によって生み出された感情によって。そこで池澤は言う。

 「これは究極の平等社会だろうか。ぼくはビッグデータ主体を××と書いてきた。その正体は何だろう? 」

 わからない、××自身にも自分の正体はわかっていない。そうすると思想とは何なのだ。それはファッションでしかないのか? 人類は、手綱のない暴走を始めたのか。

 池澤のこの警告をどう受け止めるか。

 日本の政治も異常な状況を呈している。思索し、思想を練り、それにもとづく意見具申をしても、社会を動かす力となりえず、思想は風前のともしびとなり、大衆の感情を操作してその感情に依拠する政治が動いていく。この政治は、一応思想を掲げているふりをするが、擬態である。

福井正之福井正之 2017/05/15 03:03 「自己責任」という感情、そこから発することばと思想、ある意味でそこに生き意地を注いできた人間にとって、これは恐ろしい社会(イコール非社会)というしかないでしょうね。

michimasa1937michimasa1937 2017/05/24 21:07 そうだとしたら、ここから何が可能か、何が有力なのか、何をなすべきか・・・、新たな道が必ずあるように思うのですが・・・。

2017-05-09

[] オステオパシー  オステオパシーを含むブックマーク



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 ほぼ毎日、朝の一時間ほど整骨院へ行く。

 院内に本棚があり、そこに「いのちの輝き フルフォード博士が語る自然治癒力」(翔泳社)という本が三冊並んでいる。「貸出します」ということなので、借りて帰って読んでいる。「オステオパシー」という考え方が書いてある。

 病気の患者には筋骨格系の異常があり、循環系と神経系のアンバランスが症状を起こしているのではないかと考えたアメリカのアンドルー・テイラー・スティル博士が「オステオパシー」と名付けた。この考え方にもとづく治療は20世紀の初めに世に出されたが、近代西洋医学から無視され妨害されてきた。が、やがてその理論は認められるようになり、いくつかのオステオパシー大学も誕生し、医師を輩出している。

 オステオパシー医は手技を練磨する。その手技が全身を探索して異常を探り当てる。

 なるほど、なるほど、と思うところが多い。こんな文章があった。

 「オステオパシーは思想であると同時にアートである。アートとは、なんらかの活動をするための技量または力である。オステオパシーは科学でもある。自然および物質界に関する秩序だった知識である。」

 「宇宙のすべてのものはつながりあっていて、さまざまな部分は、人間の臓器や器官のように互いに依存し合っている。どの一つのささやかな変化も全体に影響をおよぼす。人間の生命活動は宇宙に支えられている。人間は単に地球の住人であるだけでなく、宇宙のすべての部分の住人である。」

 「患者が痛みで泣きながら治療室に入ってくることがある。私の治療は、『どうしたね? 痛い時は泣けばいい』というところから始まる。そして両手を頭にそっと当てる。たったそれだけのことで、痛みは驚くほど軽くなり、患者はすぐに落ち着いてくる。顧みられることは少ないが、手で触れることは、天からの素晴らしい授けものである。

 母親が赤ん坊の看病をしているところを見るがいい。熱がある額にそっと手を当て、胸に優しく抱き、安心となぐさめで包み込んでいる。やさしく触れるだけで、泣いている赤ん坊がおとなしくなるのは珍しいことではない。

 ギリシアの名医ヒポクラテスは患者を治療しているときに、自分の手から癒しの力が光のように輝いているのを気が付いていた。その輝きについて、彼はこう書いている。

 『それは患者の苦しみをやわらげているときに、よく現れた。病んでいるところに手を当てると、あたかもその手に不思議な力が宿り、それが痛みやさまざまな不純物を引きづり出し、はがしとっているかのようであった』

 わたしもまったく同じように感じることがある。ときどき、患者の苦痛を和らげているさなかに、自分の手がなにか名状しがたいものに満たされ、それが手を通じて痛みや不純物を取り除いていると感じることがあるのだ。

 現代医学に医師で、この手当て術を活用している人はほとんどいない。患者との密接かつ賦活的な接触を失っているということだ。」

 そしてこう書いているのだ。

 「患者は医師の愛ある態度によって、さまざまな恩恵をこうむる。いちばん大切なのは、医師が愛にもとづく信頼の態度で患者に接すると、患者もその医師に信頼で応えるようになるということだ。」

 

 近所に住むイワオさんは、二年前に心臓発作も起こした。今は五十肩のような痛みが上腕部にあり、両腕を動かすことも大変な状態だ。それでも田植えをしていた。三軒の医院に行って診てもらっているが、いっこうによくならないと肩を落とす姿は、見る影もない。

 「イワちゃん、ぼくの今行っているところへ行って診てもらったらどう?」

 オステオパシーの考えと治療法を話して勧めてみた。そしたらイワちゃんは飛んでいった。その結果を、昨日の夜、村のコーラスの会で聞いた。

 「よかった、よかった、一時間半、話を聞いてくれて、全身をマッサージして、身体の循環とブロックの状態を診てくれたよ。」

 満面の笑顔で応えた。明らかに希望が芽生えていた。身体の苦痛だけでなく、心の障害を解き放つことが医療の大きな務めなのだ。

2017-05-05

[] 「忖度」というもの  「忖度」というものを含むブックマーク




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 「忖度」という言葉がこのごろよく使われ、日本社会の傾向として意見が交わされている。

 「人生にとって組織とはなにか」(加藤秀俊著 中公新書 1990年)という本に、「忖度の論理」という章があり、加藤は要旨こんなことを書いている。

 「忖度は、他人の気持ちや願望を推量して、それに合わせて行動することを意味する。多くのサラリーマンは上司にさからうことはできるだけやめようと考えている。もっとはっきり言えば、上司の好みに合うように行動しようとする。自分にとっては不本意であっても相手の気持ちや期待に応えるように努力する。

 日本には稟議書という制度がある。組織の末端に位置づけられているヒラ社員が起案したものを上役が決裁するしくみだが、要するに下の者がプランを立てて、上が了解するという形式をとっているなかに忖度が働く。こうすると上役は喜ぶと分かっているから、上役の意向、期待を忖度したプランになる。忖度の論理は連鎖反応を起こす。ヒラは係長の忖度を、係長は課長の忖度を、課長は部長の忖度を、部長は役員、社長を忖度する。みんなが互いに忖度しながら仕事をしている。ある経営者が部下から新鮮な提案が全く出て来ないから調べてみたら、こんな提案をしたら社長の機嫌を損なうのではないかと忖度して、実に面白い提案をいくつも中間管理職が握りつぶしていた。

 忖度で仕事をするということは、言論の自由を制限された中で仕事をすることを意味する。社員が自己抑制をして意見を言わない、ただ黙々と言われたことだけする。忖度の横行する生活は精神衛生上もよくない。」

 人間は何らかの組織・集団に関係しているから、必ず何らかの忖度が働いている。その組織に力関係があり、忖度が横行していたら、「もの言えば唇寒し」、だれもホンネを言わなくなる。言っても無駄、言うだけ損、無難に適当にやればいい、という虚無、諦めが強くなる。

 権力者のいる組織には忖度が横行する。親衛隊が跋扈する。ここには「忖度して言わない、しない」という忖度がはびこる。自分への被害を防ごうとする「消極的忖度」とも言える。

 その逆に「忖度して、やってあげる」というのもある。森友学園問題に現れていたのはこの「積極的忖度」。ここにはこっそりと秘密裏にという非公開が伴っている。

 日本では、子どもの頃からよく会話し、意見を交わし、みんなで相談するという習慣が弱い。自分の意見が通っても通らなくても、みんなでよく話し合ったという経過を大切にする人間を育てようとする目的意識が弱い。

 日本人は以心伝心を尊ぶ。以心伝心は大切だが、考えを述べる力、聞く力は、組織をつくっていく上では欠かせない。会話力、協議力、意見陳述力、意見構成力を、子ども時代にもっと養わねばならないと思う。

福井正之福井正之 2017/05/06 02:40 なるほどそこまでくるんですね。シェアさせていただきます。

一粒の麦一粒の麦 2017/05/08 11:03 「考えを述べる力、聞く力は、組織をつくっていく上では欠かせない」けれど、その力はあっても「言っても無駄」「言う甲斐がない」「出る杭は打たれる」というような意識を集団の成員が抱くような組織にしない、そいう思想を共有することが重要だと思います。

2017-05-03

[] ウグイスアゲハ蝶  ウグイスとアゲハ蝶を含むブックマーク


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 我が家でウグイスの初音を聴くのは初めてだった。日曜日、朝食の時に、それらしき声が聞えた。まさかここでウグイスが鳴くはずがない。ここにきて12年が経つが、家でウグイスを聴くなんて一度もなかった。散歩して山手の方へ歩いた時には、数回聴いたことがあるけれど。

 ドアを開けて、確かめてみると、確かにウグイスだ。生垣のアカカナメの木の辺りから声が聞こえてくる。発声練習も兼ねているのかな、ちょっと下手なところもある。姿は全く見えない。茂みの中から声がする。

 いいねえ、うれしいねえ、少し寒いけれど。部屋の窓を開けて、声がよく聞こえるようにした。ウグイスは、一生懸命に鳴く。

 ここで、こんなにさえずっても、仲間がいないよねえ、つがいをつくれないよねえ、でも鳴くんだねえ。

 ウグイスは朝から昼まで鳴いていた。午後になって、声が絶えた。

 ウグイスの声が聞けただけで、幸せな気持ちになった。


 「ひえーっ、アゲハ蝶!」

 すっとんきょうな声がした。

 「こんなところに、アゲハ蝶がいる、来て来て」

 洋子が叫んでいる。

 「どうした、どうした」

 家のなかの、日当たりのいい南に面したガラス戸の内側に、冬の間、鉢物を並べてある。そこでアゲハ蝶はさなぎから孵ったらしい。

 「今、チョウになったんかな。じゃあ、いったい冬の間どうしていたんだろう。」

 鉢物の植物のなかに、緑の葉のものもある。その葉を調べてみると、少し虫食いの跡がある。これが幼虫の時に食べたあとかな。それにしては、チョウの餌には不十分すぎる。

 「こんなところでチョウが生まれるなんて考えられないなあ。」

 食べ物がないのに、どうして?

 考えられるのは、冬の初めに外に出しておいた植木鉢の植物にチョウの幼虫がいて、さなぎになったということだ。鉢は冬の間家の中に入れた。そこで、さなぎは冬を過ごした。そして飛来の季節になってチョウになった。

 

 アゲハは飛ぼうとしても飛べない。気温も低いし、腹も減っている。

 「ハチミツ、やってみよか。」

 洋子は綿棒の先を濡らし、そこに蜂蜜をちょっと付けてきた。チョウの口元に持っていくと、ひげのように巻いている口で蜂蜜を吸っているようだ。

 「外に出してやろうか。出してやっても、寒いしなあ。」

 「ま、しばらくここにいて、温かい日に出してやっぺ。」

 それから二日間、家の中でアゲハは過ごした。

 「蜂蜜をつけた綿棒を持っていくと、すぐに飛びついてくるようになったよ。今日は温かそうだから、蜂蜜を吸わせて、外に出してやったよ。しばらくじっとしていたけど、飛んで行ったみたい。」

 洋子がそう言ったから、庭を眺めまわしたけど、もうどこにもいなかった。

 

2017-04-28

[] 整骨院へ行った  整骨院へ行ったを含むブックマーク


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 一昨年、左ひざの軟骨を傷めた。腫れや痛みが出て、歩行に支障が出るようになり、二、三カ月は整形科の医師の治療を受けたが、軟骨の擦り減ったのはどうしようもなく、あとは自分で筋肉を鍛えて関節を保護するしかないということで、筋肉を鍛える運動を適度にやってきた。

 ところが、数日前、朝のウォーキングで突如激痛が走り、へなへなと脚の力が抜けて動けなくなった。

 整形科の医院に行こうか、どうしようか。

「兄は、整骨院の治療でよくなったと言ってたよ。」

 妻が言う。ちょうどその日は、「安曇野ひかりプロジェクト」のミーティングの日で、今年の夏の福島の子どもたちのキャンプ計画を練ることになっていた。けれども、この脚では無理、欠席させてもらって、治療を優先した。「プロジェクト」の望さんに「いい医師はいないかね」と相談したら、近くの整骨院を紹介してくれた。

 早速行って、診察を受けた。整骨師の院長さんは、ニコニコおだやかに、全身を触診し、脚の動きを調べ、これまでの身体の状況や生活を詳しく質問した。ぼくが二年前まで登山もしてきたと言うと、どこの山かと聞く。

常念岳、蝶が岳に最近登りました」

「へえー、それはすごい」

「けれど、去年は白馬岳に登る予定だったけど、やめました」

「それは正解、今は重大な節目です。」

 会話はとぎれず続いた。

 診察が終わっておっしゃった。

「症状が現れているのは左のひざですが、ほかは超A級の若さです。しかし、ひざに現れているのは、身体が変化していく始まりの兆しです。」

 故障は一か所に現れた。けれども、さまざまな組織が絶妙に調和し、そして身体を構成して生きているから、一点の故障は全身に関係してくる。一つのゆがみは、全身に影響して、調和を崩す。ぼくはそう理解した。

 その後、ビリビリと電気を当てる、ベッドに寝ころんで機械が下からマッサージをする、そして手による全身マッサージと湿布で終わった。

 「二週間ほど毎日来てください」

 そして今日も行ってきた。整体師の若い人がストレッチをしてくれた。

 診察室の壁に、「オステオパシー」と書いた説明文が貼ってあった。

オステオパシー」とは何?

 調べてみたらこんなことが書いてある。

 「病気の原因を骨格のずれ・ゆがみなどに求め、その修復によって病気を治す人間の自然治癒力を最大限に活かした医学。病気は疾患部だけでおこっているわけではなく、身体全体の様々な個所の少しずつの歪みや制限が繋がって大きくなり、ひょっこり顔をだしたところが疾患部です。オステオパシー施術は、まず身体全体の歪みや制限を調べ、その繋がりを解きほぐすことで、人間自らが持つ自然治癒力を大きく回復します。病気はあなた自身が治します。」

2017-04-27

[] 下野している政治家に言いたい  下野している政治家に言いたいを含むブックマーク

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 ずーっと、思い続けていることがある。

 地元選挙区から出馬して、衆議院議員になり、次の選挙で下野したS氏のその後のすべてが、さっぱり分からない。さっぱり分からないけれど、道路際のあちこちにポスターが立てられている。ということは、次の選挙出馬しますよ、というアピールだろう。

 さっぱり分からない。何をしているのか。何を考えているのか。

 「政治家になるということは、どういうことか」

 下野している時に、日夜そのことを考えに考えている人こそ、政治家になる資格があると思うのだが。見えてこない。見えてこない人に一票を入れる気にはなれない。


 今日本の国は、社会は、どうなっているか、

 人々は何を想い、どのように暮らしているか、

 日本の政治は今どう動いているのか、

 下野している時こそ、それらをつぶさに観察し、研究し、考察することに没頭する、その最も基本的な仕事を怠けないで実践している。

 そういう人こそが政治家になれるという哲学をお持ちでないなら、出馬する資格はない。


 あなたは実際に、議員であった時に地元で政治報告会を開きましたか。

 下野してから、地を這うように村や町を歩き、人々の暮らし、人々の悩みや喜び、不安や希望を、拝聴する行脚をしていますか。

 子どもたちのなかに、高齢者の中に、

 あるいは労働者の中に、外国人の集まりの中に、

 一介の市民として入りこみ、その声を聞きましたか。

 環境問題や教育問題で、市民が身銭を切って運動を起こし、報われない中で苦闘していることを知っていますか、その運動体の集会に参加したことがありますか。


 どの政党の人に対しても同じことを求めます。

 首相であった人は、引退したら終わりではない。そこから社会の中での本当の活動が始まる。

 小泉さん、細川さんが反原発の実践をやっているように、自分の課題を追求することもできる。学術的な研究に没頭することもできる。


 過去の例で、もっとも典型的で、すごかったのは、田中正造でしょう。

 議員を辞して、谷中村に住み、足尾鉱毒に苦しめられ、命を奪われ、村を破壊される農民の立場に立った人、

 その人こそが、そのような原点こそが政治家の原点だと思います。

 

 下野してから実践を起こす、

 下野してから研究を深める、

 下野してから輝く。

 そういう生き方ができないだろうか。

 

2017-04-25

[] 短い春です  短い春ですを含むブックマーク

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カラス

巣をつくっています。

あんなに木のてっぺんに、

コウノトリみたいだ。

卵を温めているのか、

ヒナがいるのか、

ときどき親鳥が帰ってくる。

まだ芽吹かない木、

巣が丸見えだ。

木に近づくと、

親ガラスがけたたましく

警戒の声をあげた。

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ボケの花はいま満開です。

ボケはとげのある木。

今だけ花を愛でられ、

注目され、

どこからか種が飛んできたのか、

かってに生えてきた。

その株の種がまた飛んで、

別のところに芽を出して

育っている。

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白樺の新芽は 初初(ういうい)しい。

カバ色の幹の薄皮がめくれると、

中の肌は真っ白です。

育ちが速いね、あんたは。

1年に

1メートルほど伸びる?

2メートルほど伸びる?

今年もカミキリムシに注意して観察しよう。

今育っている2本の白樺の親は、

カミキリムシの幼虫に木の芯を食べられて

枯れた。

枯れたけれど子孫を残した。

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農業用水路に水が流れてくる。

春になったと思ったら、

もう5月が近づき、

あと10日ほどで、5月5日、

立夏ですよ。

えーっ もう夏?

カモが2羽、仲良くつがいで水に乗って下ってきた。

ここまでおいでと、

橋の上で待っていたけれど、

岸辺の草の中に隠れてしまった。

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「桜を見にゆきましたか」

中国から日本に帰ってきたご夫婦に聞いた。、

「光城山へ登ってきました。上から景色がきれいでした。」

下から頂上まで桜の道です。

「1時間ほどで登りました。」


「桜を見にゆきましたか。」

ベトナム人の実習生に聞いた。

「夢農場に行ってきました。」

陸郷の夢農場には

山桜がたくさんある。

ラベンダー園もある。

「会社から連れて行ってもらいました。」

2017-04-22

[] 教育の目的  教育の目的を含むブックマーク



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書物や新聞を読んでいて、ぽっとそこの文章が目にとまり、その一点に入りこむときがある。こちらの思考や感性に働きかけるものがその文章にあり、同時にこちらにもそれに呼応する受け皿があるからだ。

 ある時、「そのとおりだ」と思ったのだろう。その文章をノートに書いておいた。それから何年か過ぎて、ぺらぺらノートをくっていて、そのメモにぶつかった。内山節の文章の一部だ。本の名前は書いてない。読み返して、なるほど、これは自分の考えでもあると思う。

 こんなメモだった。


 「詰め込み」回帰は教育ではない。

 教育は、子どもを、共同体成員としての責務を果たし得るまでに成熟させる、という機能を担っている。

 共同体成員として、負託された義務を果たし、弱者を支援し、限りある資源の公正な分配を気づかう人間をつくること、それが教育の目的である。

 だが、「詰め込み」回帰を求める人たちは、いつも「競争を通じて、弱者を蹴落として、自己利益を確保すること」を学習の動機づけに使うことに心理的な抵抗がないように思われる。

 おのれの学力をもっぱら自己利益のために利用する子どもを育てることは、教育ではない。

 そう言いきれる人が、今の教育行政の要路に存在するだろうか。


 これがそのメモだった。教育の目的はこういうところにあると断言している。きっぱりと言い切っている。現代の世相を見れば、このように言いきらなくてはならない状況にあるのは確かだ。このメモはたぶん「ゆとり教育」を批判して、再び「詰め込み的な知識量教育」へと、文教政策のかじがとられたときのものだと思う。

 

 「ヤヒ族は白人の卑劣な残虐行為によって死に絶えた。最後に生き残ったのがイシだった。彼は何年間もひっそりと山の中に身を隠して暮らした。野生インディアン生存していることを悟られぬように、一歩歩くごとに足跡を掃いて消していた。そしてイシはたった一人の生き残りとして文明社会に現れた。

 人類学者のアルフレッド・クローバーは、イシをもっとも親しく知っている人だった。1900年カリフォルニアにやってきたアルフレッドは、無数のインディアン部族が破滅させられ、個人が殺されるのを目撃してきた。原住民のイシの部族の言語、暮らし方、知恵などをアルフレッドはイシから学んだ。

 イシの伝記は妻のシオドーラ・クローバーが書いた。

 クローバーの娘、アーシュラ・K・ル=グウィンは、その後書いている。

 イシの足は幅広で頑丈、足の指はまっすぐできれいで、縦および横のそり具合は完ぺきであった。歩き方は優美で、一歩一歩は慎重に踏み出され、まるで地面の上をすべるように動くのであった。足取りは、侵略者が長靴をはいた足で、どしんどしんと大股に歩くのとは違って、地球という共同体の一員として、他の人間や他の生物と心を通わせながら軽やかに歩いた。イシが孤島の岸辺に一つ残した足跡は、おごりたかぶって、孤独に悩む今日の人間に、自分は一人ぼっちではないのだと教えてくれるだろう。

 このクローバーの娘、アーシュラ・K・ル=グウィンによって、『ゲド戦記』は書かれた。」


 故・鶴見俊輔はこの話をして、「20世紀にもすばらしいことがあった。」と言った。

 それもメモにあった。




 

 

2017-04-19

[] 「狂気の歴史」・「監獄の誕生」  「狂気の歴史」・「監獄の誕生」を含むブックマーク

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 「ミシェル・フーコー/情熱と受苦」(ジェイムズ・ミラー)のなかに、こんな一節がある。

 「『狂気の歴史』で、フーコーは、狂気というものについての認知が劇的な変化を遂げた、と説いた。狂人たちは、中世においては自由に歩き回り、敬意をもって見られていたのに対して、今日では、『見当違いの博愛主義』によって精神病院に閉じ込められ、病者として扱われている。科学的知識を啓蒙的・人道的に適用しているかに見えるものも、巧妙に潜行する新しい型の社会統制だと、フーコーは説いた。」

 

 「狂気」「狂人」は、人々に害をなす危険なものだから、「閉じ込めて当たり前」「その人は特殊な人間だから排除しなければならない」ということになる。さらに、「普通とは違う考えを持ち行動する人」「常識では考えられない人」であるから、権力者の考える秩序と統一に反する。

 権力者は、「普通」や「常識」を国民に押し付け、一斉にその色に染めようとする。ソビエトスターリンは、染まらない人を粛清したりシベリアの自然の監獄に送ったりした。ナチスドイツは、ゲルマン民族至上主義を掲げて、ユダヤ人、ロマなどを強制収容所に送った。日本は天皇制軍国主義に染まらないものは非国民として刑務所に入れた。


 「監獄の誕生」においてフーコーは、近代の監獄の発生を詳述した。

 「より多くの穏やかさ、より多くの心遣い、より多くの人間らしさを監獄制度に導入しようとする努力は罠であった。近代の監獄は、身体刑の過酷になりがちな刃を和らげることに成功したというまさにそのことゆえに、人目に立たない、苦痛を与えないタイプの圧政の縮図となった。フーコー非難するところによれば、学校や職場から軍隊や監獄にいたるまで、われわれの社会の中核をなす諸機関は、効率的に個人を管理し、個人の危険で有害な状態を消し去ろうとした。また、感覚をマヒさせてしまうようなさまざまな規律・訓練のきまりを植え付けることによって個人の行動を矯正しようと努めてきた。その必然的な結果が、創造のエネルギーを奪われた『従順な身体』であり、御しやすい精神であった。」

 かくして、権力機関が直接行なわなくても、一般庶民が統制社会の積極的な担い手になっていく道を世界中がこれまで体験してきて、なおその道をたどろうとしていることが恐ろしい。

 




 

2017-04-18

[] パノプティコンの住人  パノプティコンの住人を含むブックマーク



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 ヒトラードイツ敗戦間近のベルリン陥落直前に自殺を図る。そのとき、「(ナチズムは私とともに消滅するが)百年後に新たな思想が生まれるだろう。宗教のように新しいナチズムが誕生するだろう。」という予言を残したという。

 ヒトラーはどのように考えてそう言ったのか分からないが、人間社会というものは、人間の頭脳によってつくられていくものだから、そして人間の頭脳はそうそうに変化しないから、必ず社会的に勢力を蓄えるものたちが跋扈し、そのなかのいちばん強いものが社会を支配するようになる。第二のヒトラー登場は必然だ。阻止できる力を社会が人が持たなければそうなる。

 今日知ったのは、「パノプティコン」という言葉だった。新聞朝刊の一面トップの特集記事に、「1強 パノプティコンの住人」とあった。

 その記事解説に「パノプティコン」とは、「権力による社会の管理・統制システム。もともとは監視者がいてもいなくても囚人が監視を意識する監獄施設のことで、20世紀にフランス哲学者フーコーが、権力による社会の管理・統制システムとして用いた概念。フーコー専門家である石田英敬東大教授は、『現代では監獄がなくとも、権力が決めたアジェンダ(課題)にみんなが乗ることで、効率よく統治されてしまう』と指摘する。『1強』のもとで、与野党官僚、そしてメディアは、『パノプティコンの住人』のように支配されていないだろうか。石田教授は、『まず権力がどう管理・統制しようとしているのか、認識することが、システムから解放される第一歩だ。』と指摘する。

 昔から「右へならえ」が常識化していた。「長いものには巻かれろ」ということわざがあった。「泣く子と地頭には勝てぬ」というのもあった。権力者、ボス、親分には逆らうな、忠良なる臣民になれと、教育勅語にも書かれた。忠義の部下になれ、みんながそう言うからそうしよう、出世のために。異論を吐くな、異議を言うな、それが世渡りのコツだ。

 それでも異議を出す人は絶えない。「パノプティコンの住人」になりたくない。必ず破たんが来る。「(ナチズムは私とともに消滅するが)百年後に新たな思想が生まれるだろう。宗教のように新しいナチズムが誕生するだろう。」ということは、「そしてそれは必ず絶望的な破滅を呼ぶだろう」ということだ。

 

A0153A0153 2017/04/30 13:15 私も、多分NHK特集「映像の20世紀」でだったと思うのですが、ヒトラーの遺言「100年後にはナチズムが再び誕生する」を知り、ゾットしました。世界的には自国ファースト≒自民族素晴らしい=
排外主義≒全体主義という風潮と日本の安倍政権の誕生です。特に日本を心配しています。安倍政権はもちろんですが、安倍政治をよしとする日本国民の多さを(熱狂はないにしても)ファッシズムのかなりの進展という風に感じています。

2017-04-15

[] イーさん <3>  イーさん <3>を含むブックマーク


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 イーさんの「全句集」を読んでいて、青春時代の俳句と晩年近くの俳句と、変化しているのを感じるけれども、イーさんの俳句の芯は変わらず、感性変わらず。


   おれも揚羽(あげは)この世へちょっと止まりに来て

   灯蛾(ひが)よ俺死ぬときたぶん左向き

   陽の風に靡(なび)く樟若葉死が近し

   深夜の骨俺はここ汝はむこうから噛む

   婚ちかき子よ氷菓は食べるものですよ

   風すさぶ日は一人より二人がよし

   明日ありや湯ぶねにて聞く冬の雨


 高校から大学の時代に彼がつくった俳句は60年たった今も、ぼくの心に残っている。残り続けるということは理屈ではない。文学的にどうのこうのということではない。それらが自然にぼくの心に生き続けているのだ。それを文学という、となればそういうことだ。


   雁一つまよへり北へ首つき出し

   毬(まり)つきの祈りのごとくなりゆきし

   少女よ君の衣の草の実を吾にとらせよ

   羽子(はね)をつく屋根より下は昏れてをり

   哀歓にふれては毛糸編まれけり

   更けし病舎のどこかで甘藷をふかしをり

   どこへ行くにも冬日まとへり看護婦


 

 

2017-04-13

[] イーさん <2>  イーさん <2>を含むブックマーク




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 1970年35歳のとき、イーさんに長男が生まれ、6カ月後、イーさんの息子は天に昇っていった。別の世界にいたぼくは、そのことも全く知らなかった。

 イーさんは1963年に結婚し、1966年に長女、1973年に次女を授かっていることも、今になって知った。「わが友」というには、あまりにはかない関係だった。


   耳の中の暮らし石けんたちまち減り

   母から妻へ青に溺れて菜をゆがく


 句集の1971年後のページに、亡き子を偲ぶ次のような句があった。



   死児のこえか枝頭にちかく熟れトマト

   銀河に濡れた幼な手父にふれにくる

   遠ざかる藁(わら)塚(づか)となりねんねことなり

   どこへも来る死児連れ日曜の風の妻

   石をもて石打つ生前の死後のこえ

   釣ってもつっても会えない青葉ごもりの沼

   しろしろと梨剥く二人児へふたつ

   きつつきやかすかに死児によぎられおり

   にらの穂にひっそりとまた死児が咲く

2017-04-12

[] イーさん  イーさんを含むブックマーク



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 イーさんの最期を教えてほしい、彼は何に苦しみ、どんな心境で逝ったのか、大学を卒業してから一度も会うことがなかった彼のことを知りたい‥‥、

 ぼくの送った手紙に、小松さんは丁重な返事をくださった。それも「井筒安男句集」、「水焔句集 井筒安男追悼号」、「未完現実 四月号」などと合わせて送ってくださった。昨日、雨の中、若い女性の郵便局員配達にきて、両手で手渡してくれた。

 小松さんはイーさんの勤めていた高校に赴任されてイーさんに出会い、イーさんの主宰していた句会の同人になられたとのことだった。そして今「未完現実」の代表をつとめておられる。

 イーさんの亡くなったのは、1993年8月18日だった。ぼくの知るのはそれから3年後、友人から亡くなったことだけを聞いたのだった。

 句集の最後に、年譜が書かれていた。57歳逝去となっている。

 ぼくは昨日、夜寝るまで句集を読んだ。

 年譜によると、イーさんは、1970年に長男を誕生後六カ月で亡くしていた。その悲しみにかかわる句も読んだ。

 イーさんは46歳から高校の生徒指導部長になり多忙をきわめたという。うつ症状が現れるのは53歳からのようだ。それから学校を休んで療養生活を送っている。そして56歳で退職をして、近鉄奈良駅の清掃員になった。

 句集の中に、「掃く ―奈良駅清掃記」がある。


   清掃夫ひとの顔見ることもなし

   驕るな乞うなさくらはいつもひとりきれい

   今日ホームにあやめの鉢周囲掃かねば

   春塵や火を持ってるかとホームレス

   ゴミだけがわかる箒のさびしさは

   脚にそれぞれ顔あり階(きざはし)を掃きはじむ 

   掃いてナンボ「詠まざる詩人」などはなし

   兜太・葦男の影を掃き日なたを掃く

   ゴキブリ活きいき壁這う清掃詰所よし

   コオロギをチリトリに掃き入れてしまう

   寒山よりさびし人動く奈良駅

   いっしょに掃こうベンチでタバコ吸う少年

   清掃青服似合うと思う便所にて

 

   階を仰げば冬青空はいつも四角

   きれいに掃き終う冬青空はもっときれい


 清掃員として、青い服を着て青い息を吐き、駅の地下ホームから切符売り場、階段、駅の上まで、無心になって清めていく様子が感じとれる。奈良駅のホームは地下にある。確かに階段の下から上を見れば空は四角だ。

 「兜太・葦男の影を掃き日なたを掃く」、金子兜太、堀葦男は、イーさんの師だった。翌々年、堀葦男逝く。イーさんは五カ月後、追うように逝く。

   

   堀葦男逝く手を挙げておいおいと


 イーさんは優しい男だった。そしてすばらしい感性を持つ男だった。「水焔句集」の追悼文には、多くの人から愛されたイーさんの人柄がにじみでていた。

 「句を愛し、人を愛し、自然を愛した、繊細な先生。」

 「教育荒廃の非常に困難ななかで、心身を擦り減らしてまで頑張られた。」

 「井筒安男は職場にいるときも、鶴橋のガード下で共に飲んだくれているときも、常に『詩人』の眼差しで生きていた。」

 「『作品鑑賞』は天下一品。先生は句に否はなかった。すべて肯定、その筆によって評された句はすばらしく昇華した。」

 「常に生の真実とそのなかに潜む迫真の悲哀に、彼は愛の本質とその空しさを洞察し涙した。」

  

2017-04-07

[] 会話  会話を含むブックマーク


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「この前、どっかへ出かけておられました?」

「いつ?」

「日曜日は日本語教室からの帰り、月曜日はコーラスからの帰り、夜の九時ごろ。」

「どこかへ行ってたかねえ。どこだろ。」

わたしが帰ってきたら、電気が消えて、真っ暗だった。」

「ああそうそう、息子の所へ行ってましたあ。」

「よかった。何かあったんかなあと心配してた。家の前通るたびに、元気かなあと見ていくんです。」

「そうかね、そうかね。ありがとさんね。」

「ご主人亡くなられて、ひとりじゃ寂しいもんね。灯りが点いていないと、どうしたんかなあと。」

「ほんとにね。寂しいよ。」

「コーラスに入りませんか。歌をいっしょに歌いませんか。」

わたし、声が出ないよ。若いころはよく歌っていたけどね。」

「声出なくても、歌うのがいいんですよ。みんなそんなに声が出るわけでもないですよ。声を出すことで、体が元気になるの。」

「でもね。ほんとに声が出ない。」

「歌っていると声も出るようになりますよ。初めから声が出るからコーラスに入ったというわけではないですよ。」

「以前も誘われことありましたけれど。」

「一月に二回、夜の七時半から九時まで、歌っていますよ。みんな歌は素人ですよ。」

「やっぱり声が出ない。会話もすることがないからね。」

「だからコーラスに来ると、体が活性化すると思いますよ。脳の働きも、よくなりますよ。」

「脳にいいかもしれないね。」

「今コーラスに来る人は十五人ほどですよ。昔は日本でも、生活の中に、歌うことがあったんだけどね。暮らしの中で歌うことが無くなってしまったね。」

「でも、わたし年ですよ。」

わたしも年ですよ。八十になっても、何歳になっても、歌うことですよ。歌えば若くなります。いつも一人でいるかあら、みんなで集うことが大事なんです。体の調子が良くないときは休んだらいいですよ。考えてみませんか。」

「そうですね。考えてみます。先日ね、主人の教え子たちが来てくれて、お墓参りしてくれたの。裏庭にあるお墓の前で、教え子たちが『ふるさと』を歌ってくれたの。私もいっしょに歌ったんだけど、声があまり出なかった。」

「そう、よかったねえ。教え子がねえ。いいねえ。

 ぜひ、コーラス、考えてくださいね。」

 ご主人亡くなられて、二か月が過ぎた。

2017-04-05

[] わけのわからない歌  わけのわからない歌を含むブックマーク


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 万葉集に、「わけのわからない歌二首」と題して、こんな歌が載っている。


  我妹子(わぎもこ)が額に生ひける双六のことひの牛の鞍の上の瘡(かさ)


 「我妹子」というのは男性が女性を親しんで言う言葉で、「子」はまあ言うなら「ちゃん」みたいなものかな。「ことひの牛」というのは、重い荷を背負う強い牛のことで、ぼくは今日、それが、「こってうし」という言葉と同じだということを発見した。「こってうし」という言葉は、ぼくの育った大阪河内で使っていた。今も残っているはずだ。

「あいつは、こってうしみたいなやつだ。」

と言うと、あいつは頑健で、少々のことでは音を上げない奴という意味だ。

 そこでこの歌を解釈しようとするが、わけが分からないようにつくったんだから、わけがわからない。

 私のかわいこちゃんの額に生えている双六のコッテ牛の鞍の上のデキモノ。

 なんのこっちゃ。双六遊びは、奈良時代以前にインドから中国を経て日本に伝わっていた。

 もう一つの歌は、


  我が背子(せこ)がたふさぎにする円石(つぶれいし)の吉野の山に氷魚(ひお)ぞさがれる


 「背子」は、女性から兄弟や恋人や夫を親しんで言う言葉だ。「たふさぎ」は、ふんどし。「円石」は円い石。

 解釈しても解釈できないけれど、訳してみると、

 「うちの旦那のふんどしにする円い石の、吉野の山に氷魚がぶらさがっている。」

 わけが分からないが、なんとなくハハーン、円い石は睾丸、氷魚はペニスではありませんか。

 中学生の時、町の自治体警察が青少年健全育成の一環で、町の道場に依頼して柔道を教える活動をしていた。ぼくは友だちと習いに行った。そのとき、青年同士が組んで乱取りをしていて技をかけたら睾丸に脚が直撃した。睾丸を押さえた男がうーんと言って倒れたとき、師範が言った。

 「竿だっか、釣鐘だっか?」

 それを聞いた中学生は、ワハハハと大笑い。翌日、その言葉は学校ではやった。

 この歌を考えていて、その時の隠語を思い出した。

 さて万葉集のこの二首のあとに、二首が創られたいわれが載っている。

 この二首の歌は、舎人親王が『わけの分からない歌をつくったら、銭と絹をやろう』と言われたので、大舎人の安倍朝臣祖父がすぐに作って献上した歌である。子祖父はみごと絹と銭二百文を獲得した。

 万葉集にはいろんな歌が載せられている。人をからかう歌もある。千三百年昔も、人びとはユーモアを楽しんでいた。

2017-04-04

[] 帽子  帽子を含むブックマーク


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どこへいったんだろう。

ニットの帽子がない。

耳も凍えるほど寒く、

特に吹雪の日には、

耳もおおえる、柔らかくて暖かいその帽子が役にたった。

どこへいったんだろう。

遠くまで朝の散歩の足を延ばし、

帰り道は頭に汗がにじみでた。

あのとき、帽子を脱いで手に持った。

その手から帽子は落ちたのかなあ。

翌日も、翌々日も、田んぼや畔を見ながら、

どこかに落ちていやしないかと、

見渡せど、どこにもそれらしきものが見つからない。


ぼくのお気入りは、もうひとつの帽子。

焦げ茶色のニット帽。耳の上までの浅いキャップ。

ワイフが八が岳の麓の店で買ってきた

小さな鳥の羽根の飾りがついている。

その帽子もまた、見当たらない。

どこへいったんだろう。

家中さがしたが、どこにも見当たらない。

この帽子は散歩にはかぶらない、

どこかへ置き忘れてきたのだ。

どこだろう。

帽子をかぶって外出すると、暖房のきいたところで脱ぐ。

あのとき、このとき、思いだしてみる。

病院かもしれない、検査の時に帽子をとった。

公民館の日本語教室かな、帽子を脱いでそこらにポイと置いた。

病院、公民館の忘れ物のなかにまじっていないか、今度行ったら聞いてみよう。

お気に入りだった帽子、

小さな鳥の羽根型の飾りのついた帽子。


1965年ヨーロッパ縦断の国際列車に乗ってイタリアに入った時、

コンパートメントの客室に同席した一人のイタリアの青年は、

空軍のパイロットだと言った。

彼のかぶっていたキャップに、一本のきれいな鳥の羽が付いていた。

イタリアの空軍兵士は、おしゃれだよ。

彼はポケットから小さなハーモニカを取り出して、

イタリアのナポリ民謡を吹いてくれた。

列車はオーストリアから国境を越えて、イタリアのドロミテに入っていた。

ドロミテだよ、ドロミテ。

2017-04-03

[] 春  春を含むブックマーク



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四月に入った枯れ色の庭に、

スイセンにょきにょき葉を伸ばし、つぼみを出し、

黄色い花がいくつか咲き始め、

毎年、ほんまにこの数十本のスイセンの、

しゃきっとした、みなぎる謹厳なやさしさに、

ほれぼれ、ほれぼれして、

敬愛の念をおぼえて、敬意を表している。


ビニールハウスで、朝十時に苗の店を出して、

午後五時にはぱかぱかと店を閉めている、

苗売りのオッチャンから、

レタスキャベツブロッコリーの苗、合わせて十六本買ってきて、

薪ストーブから灰を取り出し、鶏糞とを合わせて土に入れ、

ざくざくとハコベオオイヌノフグリの草を三角鍬で削り取り、

たかたかと耕して畑に植え、

毎朝霜も降りるし、今朝も雪がちらちら舞っているし、

保護をしてやろうじゃないか。

苗の一本一本に、鶏糞の袋の底を切って筒状にしたのを、

一つずつ苗の上にかぶせ、

苗の周りに四本の支柱を突き刺せば、

十六本の四角柱が並んだ。


去ることをためらっている冬、

今年はしつこく、ねばりづよい。

だが、植物の命はきっぱり強く、バラは新芽をふくらませ、

クリスマスローズは花を咲かせている。


朝、ゴミ出しに集積場に行ったら、

かっこよい自分の家の農場のワッペンを胸に付けたつなぎの作業服を着た正さんが、

今日の当番で来ていた。

「よう、スナフキン

正さんは黒いハットをかぶり、ムーミン谷のスナフキンみたいだ。

大友さんも来ていたからコーラスのメンバーは三人そろい、

そこへ安田さんも来た。

合唱メンバー四人になったぞ。

「じゃあ、ここで早春賦を歌うかあ。」

「そうしよう。」

2017-03-30

[] 温泉につかりながら  温泉につかりながらを含むブックマーク



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 安曇野の西部、山沿いにいくつか温泉施設がある。

 三郷の「ファインビュー室山」は、小山の上にあり、野天風呂から安曇野が見わたせる。湯の中で肌に触るとつるつるする。

 改築された穂高の「しゃくなげ荘」は中房温泉に行く途中に源泉があり、そこから引き湯していて、天然温泉という札が湯船にもかかっている。ここは客が多い。

 去年の秋に収穫した黒豆の選別で、虫食いやゴミを取り除く作業をしていたら、身体がすっかり冷えてしまった。年をとると、身体が冷えているのに、あまり感じない。冷えていると感じたときは、芯まで冷えている。これは、すぐに温泉で温めなくては、と家から車で10分ほどのところにある「ほりでーゆー」へ行った。烏川渓谷添いの山道にはまだ雪が道路際にあった。

 客は二十人ぐらいいた。冷えた身体には、それほど熱くない湯なのに脚が熱に驚き、そろそろと腰までつかった。しばらくいたら、やっと温度が熱く感じられなくなり、首までつかった。

 大風呂にひとりつかっていると、湯に入ってきた人がKさんに似ているなと思った。その人は、少しして外の野天風呂に行った。やっぱりKさんかもしれんな。声をかけてみよう。野天風呂の温度の低い方に、Kさんらしい人はつかっている。

「よー、Kさん」

 笑いかけると、やっぱりKさんだった。Kさんも、オウと言って笑った。野天風呂の周りに置かれている岩にもたれて、二人並んで話した。

「大丈夫ですかね。」

「大丈夫、昨日も入りに来たでね。」

「よくまあ、ここまで元気になって、よかったですねえ。」

 Kさんは一昨年、臨死体験をした。その話はKさんから直接聞いた。それから回復したものの、二月の裁判の傍聴の時に出会ったKさんは、このごろ頭がふらふらする、と言っていた。

 温泉につかりながら、話は裁判のことになった。三郷の果樹地帯のなかに、産業廃棄物の処理業者が施設をつくった。その被害が住民を悩まし、反対運動がおこった。もう10年をこえる裁判闘争になっている。業者のやり方もさることながら、市や県が住民を守る側に立たないで、むしろ業者を擁護するかのごとき動きをしてきたことが、解決をこじらせてきた。裁判闘争は証人喚問を行なっており、これから重大な局面に入る。ぼくもKさんも原告団にはいっている。

「新たな問題が浮上しているんですよ。」

 Kさんはそう言った。野天風呂に首までつかりながら、その話を聞いた。たしかにそれは新たな重大な事実が明らかになってきている。

 ぬるいほうの野天風呂には他に客はいない。曇っていて、晴れたら見える常念岳は見えなかった。

「この10年の記録を文章化して、残していくことが必要だと思いますよ。足尾鉱毒事件と渡良瀬川流域の被害について荒畑寒村が書いたように、また、水俣病石牟礼道子が書いたように、それをやっておかねばならないと思いますよ。それをやれるのは、Kさん、あなたですよ。」

 ぼくはかつてのKさんの著書の文章が、いいなあと思っていたから、そう薦めた。それはKさんがかかつて勤めていた、潰れかけた高校から、わずかな部員で甲子園に出場した話しだった。今、Kさんは無職。とっくに学校を退職している。

「いや、私がこの運動にタッチしたのは途中からだから、それはNさんのやることですよ。問題の初期からやってきたNさんです。Nさんは記録もばっちりとっているからね。」

 そんな話をしているうちに、汗が額からポタポタあふれ出てきた。

「こりゃ、つかりすぎましたよ。」

 久しぶりに身体の芯まで温まった。

 Kさんと別れて家に帰ってきたが、身体の芯まで温まったという実感が夜寝るまで続いた。日ごろ身体はかなり冷えているんだなあと、発見した一日だった。