ダグラス・サークをめぐる対話
於 シネセゾン渋谷
青山真治(映画作家・小説家)
柳下毅一郎(翻訳家・映画批評)
樋口泰人(映画批評)
柳下 「サークって‘50年代に大ヒットを飛ばした大監督なんだけど それは商業映画としての大監督であって 作家として遇されていたわけではなかった.それをファスビンダーが再発見したわけです.ニュージャーマンシネマというのは 元々ウーファなどが作っていたドイツ映画の素晴しい伝統が戦争によって無くなって …ウーファは東独に接収されたので… 西独には戦前の伝統が全く無いところから始めなくてはならなかった.それでニュージャーマンシネマは父親を求めているところがあった.それが例えばヴェンダースならアメリカ映画… フラーであったりレイであり… ファスビンダーにとってはそれがサークだった.それでヨーロッパではファスビンダーは嵐の様な存在だったので いい悪いは別にしてみんながファスビンダーの発言に注目した.それでサークの名が拡がったと… …しかし何故これほど同時代に評価されなかったのだろうか?」
青山 「批評の言葉を必要としなかったからでしょう.…それを必要とするものは誰かが守らなくてはという… 」
柳下 「母性本能?」
青山 「そうそう だから誰が見てもすごいと思えるものについてはそういう気持ちが薄い…」
柳下 「メロドラマって人間の可能性を信じない話ですよね」
青山 「すべては神によって……」
柳下 「そうそう 探偵映画ってありますよね.そういうのって人間が世界を変えられると信じている……」
青山 「真実があって それを自分の力で暴くことが出来る……」
柳下 「でもメロドラマってのは 世界はどうしようもない…世界の前では抵抗できない…そこでどうするかという話なんですよね.もし状況がかわるとすれば人種問題であったり戦争であったり… 戦争というのは個人の力ではどうしようもない.そこで諦めるところからメロドラマは始まる」
柳下 「演出家としてのサークのすごいところ… 流麗なカットつなぎとか… 芝居も舞台みたいな感じでワンカットでやりますよね.」
青山 「その流麗さですよね… 僕は殆どサークの作品…特に『悲しみは空の彼方に』ですが ヴィデオで観て編集を勉強しましたね.つまり同じ人物が画面にいる寄りと引きの画をどうつなぐかということ. 多分‘50年代に完成するテクニックだと思うんですが …‘30年代だとそれがなかなか巧く出来なかった.流麗さを無視してポンと寄るとか そういうことはあったと思いますが… あれくらい サークくらい流麗に見せて まるでワンカットで突然引いたかの様に見せる技というのは 多分その前まで無かったと思うんですよね…」
青山 「(サークの作品には)あまりに大胆というか強烈な存在っているでしょ.例えば『風と共に散る』のロバート・スタックって何であんなに悩んでるのか…? それが解らないんだけど この本*1読んでるとサークが『それがアメリカだろう?』と言ってる節があるんだよね.…外側から見たアメリカ… 他人だから出来るものと言っていいと思うんだよね.」
*1:サーク・オン・サーク(INFASパブリケーションズ )