究極の不倫

二人の死をもって終わる不倫から元の鞘に納まる不倫まで、どのような不倫を究極の不倫とするかはその人の価値観の問題だろう。
ワーグナーにはハンス・フォン・ビューローという名の指揮者の弟子がいて、フォン・ビューローには二人の可愛いい子供と、ワーグナーの2才年上の友人でもあり後援者でもあり作曲家でもありピアニストでもあるフランツ・リストの娘、コジマという名の愛妻と暮らしていたが、ルートヴィヒ二世に請われてミュンヘンに住むようになったワーグナーに招かれて、ミュンヘンで師ワーグナーと生活を共にするようになる。それから一年後、ビューローの愛妻コジマは三人目の子を出産するが、子の父はワーグナーだった。
ワーグナーより24才年下の、リストの娘コジマはビューローとの子二人、ワーグナーとの子三人を立派に育てあげ、ワーグナーの死後47年間生き、1930年、ワーグナーと同じ墓に入った。

RE:究極の不倫

『どこがどう、究極なのか解りません。教えてください。』とのメモをいただいた。
そう、自分の弟子(フォン・ビューロー)の奥さんで、親友(フランツ・リスト)の娘でもある女性と出来ちゃって子供まで生まれちゃった、だから究極、というわけではありません。
弟子は奥さんがワーグナーと出来ちゃっても、ワーグナーを尊敬し続けて傍を離れなかったし、その奥さんのリストの娘コジマは、晴れて正式にコジマ・ワーグナーとなり、ワーグナー自ら「ジークフリート」と名付けた息子を授けてくれた。そして、コジマ・ワーグナーの孫たちは第二次世界大戦後のバイロイト祝祭歌劇場を再度、隆盛へと導く。
俗に不倫と呼ばれ、世間から騒がれてもコジマ・ワーグナーのように愛と信念をもってその生を生きれば、いつしか誰からも後ろ指を指されることはなくなる、という点が僕の想うワーグナーの「究極の不倫」です。