一度も海を見ることなく、その生涯を終えた男
森雅裕著『モーツアルトは子守唄を歌わない』、森雅裕幻コレクション1 KKベストセラーズ 刊 読了。思わず引き込まれる小気味良いリズムの文章、さすが江戸川乱歩賞受賞作、と楽しく読んでいたのだったが、エピローグに書かれた以下の文を読んで、僕は心を乱されたのだった。
『…、ベートーヴェンはゲーテの詩による合唱曲「静かな海と美しき航海」を初演し、…、結局、ベートーヴェンは生涯を通じて、海を見ることはなかった。』
そうか!そうなのだ、ベートーヴェンは生まれてから死ぬまで、海を見なかったのだ!海が母性的なものの原点だとすれば、海を見ることの無かった、寄せては返す波の音を聴くことが無かったベートーヴェンは父性的なものの原点、ドイツの森が相応しかったのかもしれない、と想った。
僕は、海の響きをマーラーの「アダージェット」に感じるのだった。
カンタータ「海上の凪と成功した航海」
秋晴れ、無風の今日のような穏やかな日、大航海時代の人々は風に帆を膨らませて順調に航海を続けられるように、風が吹き始めるのを心待ちにしていたのだろうか?
ベートーヴェンのカンタータ、「海上の凪と成功した航海」は全7分ほどの小品*1であるが、後半の風が吹き始め、船が動き始める部分の描写が素晴しい。
人は、無風であれば、「風よ吹け」と神に祈り、嵐になれば「風よ静まれ」と神に祈る。神はその身勝手さに「ああ、またか…」と呟きながら、なんとか2004年の今日迄、われわれに航海を続けさせてくれている。
ランボーは「北海に向いた彼女の青いコルネット、難破した人々のために…」と歌った。僕達も難破しないように気をつけなければいけない。が、自然の力の前に謙虚になって、祈ることも忘れてはならない、と思った。