広告塔

語り手はまだ、芝居というものを実際に観たこともないうちから、女優ラ・ベルマに憧れを抱いているのだった。語り手のクラス・メートのあいだでは女優のベスト・テン選びが流行っていたが、女優ラ・ベルマはベスト・ワン女優サラ・ベルナールに次いで、常にベスト・ツーに選ばれるのだった。語り手はラ・ベルマのブロマイドを買ったり、巴里名物の広告塔へ向かって走っていってラ・ベルマの芝居の予告を眺めたり、語り手の心にラ・ベルマの刷り込みは完成していたのだったが、実際に目の当たりにしたラ・ベルマの舞台は語り手をがっかりさせてしまうのだった。

『シャンゼリゼのジルベルト』

医者は昔から“駄洒落好き”が多いのだろうか?
語り手の『スワンさん達とお友だちになりたいわ〜!』という願いを心ならずも叶えてあげたのは、医者のコタールだった。コタールは患者に対して、
『牛乳入り(オー・レ)、牛乳入り(オー・レ)はお気に召すでしょう、いまやスペイン風邪が大流行だから。
ね、オーレ、オーレって皆いうでしょう!』とフランス語の牛乳入り(オー・レ)とスペイン語のいいぞ、いいぞ(オーレ、オーレ)の語呂合わせで、おやじギャグする日々だったのだが、そのコタールは語り手の主治医であったが、スワン夫人(オデット)の主治医でもあり、ヴェルデュラン夫人のサロンのメンバーでもあったのだ。
こうして、語り手とジルベルトとの初恋はスムースに進行してゆく、と思われたのだったが…。
語り手はジルベルトへの想いがつのるあまり、な、なんとジルベルトのお父さんのスワンを賛美する手紙を書いてしまったのだが、その、スワンを褒め称える手紙を読んだ当のスワンは『フフン』と鼻でせせら笑うのだった。それを聞いた語り手はその手紙をジルベルトから取り返そうとして、ジルベルトと取っ組み合いとなり、ジルベルトの胸に触れた語り手は逝ってしまうのだった。そしてジルベルトは語り手に『もっとする?してもいいのよ。』というのだった。
お下げ髪のジルベルトのおとめチックな表情のかげに隠された女性っぽい部分(語り手が「逝ってしまった」ことと、「もっと〜」って言われたこと)がショックで寝込んでしまった語り手(いわゆる「恋患い」)は、例の駄洒落好きの医者、コタール先生に往診してもらい、だんだん元気になるのだったが、そんな語り手を完璧に元気にさせてくれたのは恋するジルベルトからの初メールだった、メールにはこう書いてあった、『家(うち)に遊びに来てもいいわよ、ってママンが言っています。あなたがたびたびスワン家へ来てくれるといいなァ、友情をこめて、ジルベルト』。
わ〜イ、やったァ!

海辺のフカフカ

今年の夏はホントに暑い日が多かったが、それでも何回か僕のバルベックの海の別荘に行って、夏の午後をロッキンチェアに揺られながら、村上春樹さんの『海辺のカフカ』を読んで過ごそうとしたら、東京から持参した枕があまりにも気持ち良くて、眠ってしまい、気付いたら夕暮れで、これではまるで『海辺のフカフカ』だ!と思った。

ルベル

ジルベルトからもらった初メールに有頂天になった語り手だが、最後の“ジルベルト”というサインで、はたと考え込んでしまうのだった。綺麗で達筆なジルベルトのサインの“G”はまるで“A”のように読めるのだ。これではまるでアルベルト…。
どちらもルベルがメインで、前にGが附くかAが附くか、一字違うだけでも大違い、別の女性になってしまう。カフカとフカフカも大違い、このさき語り手にとって、“運命の女”となる予定のアルベルトという名を、こうして初めて登場させる語り手は実に芸が細かい、そしてゲイなプルーストも実に芸が細かい、と想った。