アルベルチーヌ・シモネ-3

『…。でも、今晩はいっしょに過ごせるのよ。ポンタン伯母には知られっこないわ。わたし、アンドレにさよならを言ってくるわね。それじゃ、あとでね。早くいらっしゃいよ。二人っきりの時間がたっぷりあるのよ!』
アルベルチーヌ・シモネにそう言われた語り手は、窓のなかの谷の横の方に見える海、メーヌヴィルの一番手前の断崖の盛り上がった乳房、まだ月が中天高く昇っていない空、そういったものがすべて綯(な)い交(ま)ぜとなって、すっかり興奮状態となってしまうのだった。
「やめて!でないとホテルマンを呼ぶ呼鈴(よびりん)を押すわよ。」というアルベルチーヌの声にも、ここで躊躇(ためら)っては男が廃(すた)るとばかりに、思いっきりアルベルチーヌに抱きつき接吻(キス)をしようと迫る語り手なのだった。
その時、語り手はけたたましい、長く呼びつづける物音を耳にした。
アルベルチーヌが力いっぱいにホテルマンを呼ぶ呼鈴(よびりん)を鳴らしたのである。

「花咲く乙女たちのかげに」の終わり

アルベルチーヌ・シモネに抱擁(ほうよう)と接吻(キス)を拒絶されてしまった語り手だったが、一週間後にバルベックの海岸へ戻ってきたアルベルチーヌは語り手にこう言うのだった。
『許してあげるわ。あなたを苦しめたので自分でも後悔しているくらいよ。でも、もうあんなこと絶対にしないでね。』
そして海辺を行く美少女たちと語り手の曖昧な関係は続くのだったが、やがてバルベックに雨が降る季節がやってくるとアルベルチーヌは真っ先に発ってしまうのだった。そして避暑客たちも少しづついなくなり、バルベックの海のグランド・ホテルはいつしか閑散としてしまう。
こうして『失われた時を求めて』第二篇『花咲く乙女たちのかげに』は、夏の終わりの寂しさを湛えながら終わる。
次回からはこの感想日記も第三篇『ゲルマントの方』へと移ります。