ビートルズ」来日時、インタビューに答えてジョン・レノンはこう言っている、
『ぼくたちを聴きたければレコードを聴いてほしい、
ぼくたちを見たければライブに来てほしい。』
名言だと思う。
ビートルズ来日の約一年後、ジャズの巨人ジョン・コルトレーンが来日した。
ジョン・コルトレーン四重奏団は1965年の「至上の愛」を頂点に解散し、あらたにアリス・コルトレーンファラオ・サンダース等と、新編成の五重奏団で来日したのだった。

ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン

ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン

新井和雄さんのこと

探していたジョン・コルトレーンのアンティーブ・ジャズ祭(仏)1965年のCDが見つかった。一聴、これは昔の思い出ではない、今も生きていて僕を感動させる演奏だった。
1966年7月、コルトレーン初来日、全16公演を聴こう!と決意した19才の青年がいた。名を新井和雄という。昼は船荷の積み降ろし、夜はジャズ喫茶のボーイのバイトをして三ヶ月で十万円を貯め、地方公演のチケットを買うためプロモーターの事務所を訪ねたところ、『そんなにコルトレーンが好きなら自費参加ということで準バンドボーイとして一行と同じホテルや汽車、飛行機の手配をしてあげよう』ということになった。新井さんは天にも昇る気持だったという。
ところがアルバイトで貯めたお金が大阪まで行ったところで尽きてしまう。このことをプロモーターのひとりがコルトレーンに話すとコルトレーンは残りの費用を自ら出してやり、『このことは新井には内緒にしておけよ、プロモーターが出したことにしておいてくれ』と言ったそうである。
翌1967年7月コルトレーン肝臓がんにて死去、41歳。
1976年、一年間の闘病生活の後、新井和雄さん死去、27歳。