デコレーションハウス

ひとんちを勝手に写真に撮ってウェブにあげていいもんだろうかと少し迷うけど、アップしてしまう。


時計屋を探して自転車でうろうろしていた時に通りすがった文化住宅の軒先。


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お笑い芸人がゴミ屋敷のレポートをするような番組が僕は嫌いだが、「変な家」を見かけたら何か面白いと感じてしまうのは確かだ。


玄関上に位置する2匹の虎がキャッチーだった。


関係ないけど、「カルチュラルハウジング」のバイトをしていた時に住宅のゴミ出しをよくした経験から、他人から見たらゴミとしか思えないものをため込んでしまう気持ちが分からないではない。いろんながらくたをため込んでいるホームレスの「おやじさん」と知り合った経験もこれと似ている。


一見ゴミでもとっといたら何かに使えるかもしれないし、実際何かに使えてしまった時は満足感が得られるもんなんだろうなと思う。「ゴミ」は可能性の宝庫なんだ。身近な所にやはり「ゴミ」の魅力に捕われた人がいると知ったら、僕は何となく嬉しい。


まだまだ使えるけど、自分には必要がないから捨てざるを得ないものというのが結構多い。こういうものを交換できるフリースペースのようなものがあればいいのになあと思う。配送料のみの負担*1で不要品をやりとりするウェブサイトでも作ろうかとたまに思うのだが、作る所までいかない。これまで数々のウェブサイトを作ってきた経験から、ウェブサイトというものは、作ったってなかなか人目に触れるものではないということを僕はわりとよく知っている。作ったって自己満足で終わってしまうだろうなと思ってしまう。労力と見合わない。宣伝は大事だ。


大体、大概のものは送料より安く付いたりするし、中古品より新品をちょっと高めで買った方がいいと思うのが人情だ。だから、この「不要品交換実践」は地域コミュニティで行なってこそ有意義なのだと思う。でも、多分、今の消費社会の商品の流通はこういう試みを上回ってしまうのだろう。でもそれに抗する方策はあるはずだ。僕らはいらないものが欲しくて仕方ない。そして、手に入れてすぐにいらなくなる。こういう消費社会のあり方を無効化してしまいたい。


不要品を役に立てるためには、どんなものがストックされているかを把握できるデータベースの作成が必要だ。これは手間さえかければ作れるものだが、難しいのはもう一つあって、自分はどういうものが欲しいのかを洗いだす個々人の能力だ。情報化社会で必要になるのは自分にとって必要な情報を見極める能力だというようなことを橋本治が言っていた。それは生き方だ。

*1:着払いで送りつけるということ。