名もない古刹 永沢寺


♪♪ 霧にだかれてしずかに眠る/星も見えない湖にひとり・・・布施明の「霧の摩周湖」を思い出させるけさの四つ池だ。きのうの午後から降り出した雨がいつまで降り続いたのか、けさは霧の夜明けだった。


日が昇るにつれ夏の残り火を思わせるようなギラギラの太陽と青空だ。テレビに映し出される、軍事パレードのために工場を止め、車を規制した北京の人工の青空に勝るとも劣らないみよしの青空だ。



きのうの中日新聞豊田版にこんな記事が載ってた。地域住民が選んだ「未来に残したい豊田の風景」39ヵ所を豊田市ゆかりの画家たちが描くプロジェクトが進められていて来年2月に市美術館で披露される。その中のひとつ、豊田市篠原町にある永沢寺(ようたくじ)とその寺を描いている女性の日本画家が紹介されていた。


篠原町といえば、みよしに越してくる前に18年間住んでいた豊田の保見団地の北、東名古屋カントリークラブの南側一帯だ。そんなところに、未来に残したい風景に選ばれるような史跡があるとはまったく知らなかった。ネットで検索しても、地図と電話番号が出るだけで、もちろんウィキペディアによる説明なんてないようなマイナーな寺だ。



昼ごろにスコールが来た。15分くらいで北京に勝るとも劣らない青空が戻ったので、興味深々でその寺へ出かけた。車で20分もかからない距離だ。国道155線から1.5kmほど北東へ山の中に入る。車1台が通るのがやっとの細い道だ。参道手前で駐車。緑がまぶしい杉並木に、木漏れ日が差す石畳の参道が150mほど続く。ギラギラの太陽だが、杉並木はひんやりと涼しい。                                      


この寺の山門脇にある案内板にはこう書いてある。戦国の武将今川義元の三通の古文書が所蔵されている。これらの文書により室町時代末期にこの地方まで今川家の勢力が及んでいたことがわかる。これらの文書が出された3年後に今川義元桶狭間の戦い織田信長に倒された。




山門をくぐると左右に池があり、庭園になっている。20段ほどの階段を上がると鐘楼門。この門の先に本堂がある。                      


ダンプカーの行き交う国道からわずか1.5kmほど入っただけで、まさに別天地。(39ヶ所の史跡に選ばれるくらいだから、”名もなく”ではないかもしれないがクマさんにしてみれば)名もなく、ひっそりと、それが却って威風堂々とした姿に映る古刹だ。