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お慈悲のままに このページをアンテナに追加

2017-12-04

Abnormal Phenomena Accompanying Saint Honen(法然上人に伴う異象) Abnormal Phenomena Accompanying Saint Honen(法然上人に伴う異象)を含むブックマーク Abnormal Phenomena Accompanying Saint Honen(法然上人に伴う異象)のブックマークコメント

 「法然上人行状画図」によれば、                         

 ある夜更(よふ)けに、法然上人が声高に念仏しているので、正信房が老体を痛わしく思って、何か用事でもと思って、そっとやり戸を開けて見ると、法然の身体から赫奕(かくえき)として光が現れて、座っている畳二畳に一ぱいさしている。その明らかなことは、夕暮れの山を望んで夕陽を見るごとくであって、身の毛もよだつばかりであった。      

 元久二年四月五日法然が月ノ輪殿(つきのわどの)に参って法談をして帰る時、見送った兼実(かねざね)が庭の上に崩れ、ひれ伏して法然の後姿(うしろすがた)を拝した。そして涙にむせびつつ、「上人がただ今虚空(こくう)に蓮華(れんげ)を踏んで歩かれた。そしてうしろに頭光(ずこう)があらわれていた。お前たちは見なかったか」と言った。右京入道と尋玄阿闍梨(じんげんあじゃり)が側にいたけれども見なかった。        

  (略)                                    

 こういう類(たぐい)の異象(いしょう)、奇瑞(きずい)は枚挙にいとまないほであるが、注意すべきことは、法然自身がそれを否定せず、門弟たちが奇瑞を見た話をすると、「そういう事もあろうか」とか、「皆そういう身にしてやりたいものだ」とか答えた事である。 

 これで見ると、法然は往生極楽のために仏の色身相(しきしんそう)を見るということは斥(しりぞ)けたけれども、念仏を称え称えて三昧(さんまい)となった暁(あかつき)に、自(おの)ずと色身相を見ることは忌(いと)わなかったばかりでなく、「そうありそうなこと」あるいは「そうありたいこと」ぐらいに考えていたらしい。観無量寿経に、紅、紫、白、色とりどりの曼荼羅(まんだら)のごとく、絢爛(けんらん)と展開されている水想観、樹想観、地想観その他を、念仏の功のつもりつもった結果として見得るに到ることは奇特なこととしていたようである。しかしこれらを見ることが出来なくては往生できぬとか、見得るために往生出来るとかいう考えは、全然排斥するのである。そういう点法然は実に公平無私であり、理想的であって、劣機(れっき)をあげて、勝機(しょうき)を落とすのとは相違する。                                     

  【 『法然と親鸞の信仰(上)』 倉田百三 講談社学術文庫  】         

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 上記から明らかなように、極楽に往生する条件として仏の色身相を見る、つまり見仏するのではないということなので、注意しなければなりません。ただ、「念仏を称え称えて三昧となった」自然な結果として、仏の色身を見たり、異象、奇瑞が現れたりすることは、法然上人は奇特なこととして受け止めておられたのです。(著者の)倉田氏は、法然上人が自分で書かれた「三昧発得記(さんまいほっとくき)」には、このような不思議がたくさん記録されている旨、書かれています。                          


 法然上人は、勢至菩薩の化身と言われたほどの優れた方でした。念仏三昧の結果、多くの異象、奇瑞を見られたことに、計り知れない仏さまの力、働きといったものを垣間見るような気持ちになります。( Saint Honen was an outstanding bonze who was

called the incarnation of Seishi. He often devoted himself to the nembutsu samadhi;

as a result, he saw a lot of abnormal and mysterious phenomena, about which I feel

as if I could get a glimpse of the Buddha’s immeasurable powers and works.)