スマートフォン用の表示で見る

倉田百三

読書

倉田百三

くらたひゃくぞう

倉田百三明治24年(1891年)、今の庄原市(当時の三上郡庄原村)の呉服商の長男として生まれました。文学に人一倍興味の強かった百三は、県立三次中学校に進むと同窓の歌人中村憲吉と親交、『白帆会』という文芸部を作り回覧雑誌を発行していました。

 やがて哲学を志すようになり、家業を継がせようとする父を「哲学することは人生いかに生くべきかを追求することです」と説得して東京第一高等学校に入学します。哲学者西田幾多郎の『善の研究』に感銘を受け、ますます哲学に傾倒していった頃に結核が発病、やむなく一高を退学しました。

 病気、退学、失恋を一時に身にうけた百三は、四季を通じて今なお美しいふるさとの山の湖・上野池でその痛手をいやしました。その後『愛と認識との出発』『青春の息の痕』などを発表、序曲『死ぬるもの』からはじまる戯曲出家とその弟子』は百三が26歳の時に書きあげました。その後、転地と療養を繰り返す生活のなかで数多くの作品を世に送り出し、昭和18(1943)年52歳で没しました。