本当のことだから

川べりを散歩していると  あっ、郁ちゃんだ!



リニューアルした『同朋』7月号 (東本願寺出版部)が届きました。
表紙は糸井重里さんで、よくなじんだ言葉がそえられていました。
   ぼくらはみんな「たいしたことないもの」ですよね。




糸井重里さんの“巻頭インタビュー”では、


(前略)
―1月に『吉本隆明が語る親鸞』という本を出版されました。
吉本さんは3月に亡くなりましたが、
いつから彼の親鸞論に注目を?


30歳のころだったかなあ・・・。
たまたま故郷の本屋さんで立ち読みした吉本さんの『最後の親鸞』に、
すっかりやられちゃって。
 大の大人が用もないのに故郷でぶらぶらしてるなんて、
何か心に傷を負ってるときですよ。
そこに、『最後の親鸞』の言葉がストレートに入ってきた・・・。
今でも覚えているのは「面々の御はからい」という言葉です。


―『歎異抄』に出てくる親鸞の言葉ですね。
念仏を信じるのも捨てるのも、
皆さんそれぞれがお決めになることですよ、と。


それって、悪くいえばすごくいい加減ですよね(笑)。
でも、そういっちゃっていいんだって、救われた気がしたんですよ。
 それと、浄土へは行き道と帰り道がある。
行き道のことを吉本さんは〈知の上昇過程〉と呼んでいますが、
そこで起きる言い争いみたいなことがぼくは好きじゃなかったから、
帰り道があるというのを知って、
くたびれた心がすっと楽になった。
 その後、吉本さんと親しくなって、いろんなことを教わりました。
それであるとき、「ほぼ日」に親鸞のページを作って、
吉本さんとの対談を連載したんですよ。
すると、抹香臭いって言われるかと心配してたのに、
意外に面白いという反応が返ってきた。


―なぜでしょう。


やっぱり親鸞さんが本当のことを言っているからですよね。
で、そんなに喜んでもらえるなら本を出そうよって。
・・・まさかそれが吉本さんの遺著になるとは思いませんでしたけど。
あらゆる人を救うという発想がすごいと思う。
どんな偉そうなことを考えてても、
たとえば交差点で信号待ちしてるとき、
隣にいる人に通じない言葉で話したんじゃダメだと、
ずっと思ってましたから。
親鸞さんはそれをやろうとしたんだなって。
あの時代に、なぜそこまで行けたのか。
カッコイイですよね。(笑)



☆ 山元加津子著『本当のことだから』に、
同じことが書いてあったなあと思ったのでした。


・・・・・
お坊さんに、
「昔の人は、どうしてそんな大切なことに気がつけたのですか?」
とたずねたら、お坊さんはまた優しくほほえんで
「それは、本当のことだからです」
と言いました。


本当のことだから、
昔の人は知っていて、親鸞さんも知っていて、
大ちゃんや子供たちも知っている・・・・・。


本当のことだから・・・・・。