崩レル

さきほど職場の神聖不可侵な書籍山が崩壊し、あーあという最中に山から転がってぽっかりと掌中に収まった一冊を見て十数年も前の思い出が蘇ったので、取り急ぎメモしておく気になった。この本の以前の持ち主についてである。

前後の情景は浮かんでこないが、その男と電話で会話しながら脂汗をかいている若い私の姿は明確に思い出せる。夜も深まった編集部にかかってきた電話を取るのは私ひとり、男の声は濁声というのかバリトンというのか、なにしろ沼の底から響いているような声である。執拗に刊行物のデータを問い、内容について問いかけ、ともすれば逃げ口上めく私の言葉尻を捉えて放さず、責めるように諭すように、解放する気配もなく受話器からは連綿と声が流れ続ける。私は本能的にこれはいかん、と思い、反論めいた言辞すらちらつかせて撃退モードに入ったが、意に介する風でもなく言いたいことがまだまだあるぞと言わんばかりのニュアンスは、そろそろ造本回りにまで言及が始まり、さらにいかん、と思った私は、特殊販元のごまめの歯ぎしり論でケツをまくったのであった。

こう書いて、むろん詳細を記憶しているわけでもないが、展開には誤りはない。私の多少早口の青臭い述懐にふと相手が剣先を下げたのが見て取れた。その間合いに息を抜き、なんともぐったりした瞬間、いやありがとう、おもしろい会社だね、私は田村義也という者です、と、笑いを含んだ、それでも野太い声で言い残して男は電話を切ったのである。

やられた、なにしろ圧倒的なものだな、と思わざるを得なかったのは負けである。(勝負じゃないって)
その言い捨て方に込められた自負とも自信ともいうか、イヤミではある。決して好ましい感情を抱いたわけではないが、試合には負けである。(シツコイ)
長い会話を成立させるほど撃ち合いを為したという点では、圧倒的な負けではないと思いつつ、名前を出しゃ当然知ってると思いやがって、とチンピラ風にごちて、それはまあそれだけの体験なのだった。

いま手許にあるのは、『戦後文学と編集者』(松本昌次著・一葉社刊)という書籍である。見るところ、持ち主の書き込みは記憶やメモの用途ではなく、読み進めるための拍子を取る合いの手のような機能を持っているようで、これが持ち主の読書の流儀だったのだろう。すーと流れる鉛筆の線のなか、所々よどみのように軽くかき混ぜる黒々とした丸が入る。追ってゆくと(書物の性格上当然なのだが)、そのよどみは大抵は人名であり、地名であり、書名であり、アンカーのように打ち込まれた鉛筆の丸が持ち主の関心の所在を物語っている。
その関心の所在も興味あるところだが、時折頁全体に問題を感じるのか、小口側の端が丁寧にきっちり45度の角度で折り込まれていることがあり、その折られている部分は場所によって上端と下端に分かれているのである。明らかに使い分けているのだ。書物を使い倒す感覚が伝わってくる。

おそらくもう言うまでもないと思うが、この本は田村義也の旧蔵書なのである。

私にとっての田村義也は、その存在に触れたときには既に岩波書店の名物編集者という存在を終え、特異な装丁者というものであった。
早くから装丁は手がけていたようだが、岩波退職近くから点数は増加し、ちょうどその頃が私の少年期の書店デビュー期と近い。そう、「特異」というのはその頃の私の印象である。太い書き文字を多用し、箱にも活版による特色の色刷を多用するその装丁は書店の棚でも際立った異物感を漂わせていたからで、不気味と言ってもいいような、ある種日本の土俗的な文化を背景に潜めているような気配を感じたものだった。子供心にもそれらの存在感ある書籍群には内にも厳しい主張が込められているように感じたものだったし、今となってみればやはりその直感は正しいのだった。

さてメモであるから、この項に結論めいたものはない。なにゆえ彼の旧蔵書が手許にあるのかというと、月の輪書林の目録第14号に掲載されていたからである。この号は田村義也特集だった。月の輪さんの目録について語り始めるときりが無いし、多くの語るべき人々が既に言及を重ねているので無用なことだろう。この号は田村義也の旧蔵書に加え、彼をめぐる小宇宙のような書籍を集めた特集だった。手許にある本を見ていると、私もその小宇宙の中の小さな塵であるかのような気がしてくる。

田村義也―編集現場115人の回想

田村義也―編集現場115人の回想