晴天続く


 天気予報では曇りと伝えていたが、一日中晴れていた。鎌倉散歩。11時15分ころにJR鎌倉駅着。今日は鎌倉宮の方のジャズ喫茶「トムネコゴ」を当面の目標としているので、自転車ではちと遠いから電車で出かける。またもや自宅から読みかけ文庫本を持ってくるのを忘れていて、駅前の松林堂により、なんだか少女漫画のようなイラストが表紙の埜田杳著「ノスタルジア」を買ってみる。著者は1986年生まれとあるからまだ22歳か23歳だ。帯の三浦しをんのコメントは「こういう小説を私は読みたくてたまらなかった」というのに惹かれて買ったわけだが、過去、帯で選んで失敗したこと多数あり。
 そこから鎌倉農協に寄り、いつものように色とりどりの野菜を見物。さらに八幡宮にむかって歩きはじめる。ゆっくりと歩く。正午くらいだったろうか目的の「トムネコゴ」に着く。場所は以前Sさんと行った骨董の店の隣。ジャズ喫茶とは言っても、昭和のころの暗い雰囲気ではない。あのころのジャズ喫茶には煙草の煙がもうもうと立ち込め、昼間でも暗い店内で、長髪の男なんかが腕組をして頭を振っていたりしたのだ。どちらかと言えば、BGMにジャズが流れているという風でもあるのだが、それでもLPレコードが棚に並んでいるところは懐かしい風景。レコードとCDが交互にかかるらしい。店内に置かれた本の中に、アラーキーの写真集「センチメンタルな旅、冬の旅」があったので、久しぶりにこの写真集をじっくりとめくる。奥様の陽子さんが入院する病院への道すがらの風景や、あるいはお亡くなりになり葬儀場に向かう車から撮った風景などの写真が、こんなに何枚もあったのかとあらためて気付く。有名な写真〜少女の看板、こぶしの花を持つ影、つながれた手、お棺の中で花に囲まれた陽子さん、葬儀帰りの電車の中、雪のベランダで跳ねるチロ、など〜のあいまに挟まれたこうした街の、ありきたりのなんでもない光景の持つ意味の重大さに気付く。死んだ後も同じように世界は続いていく。でも同じようだと思っても世界は変わっていく。そういうことを思わせるありふれた風景。
 写真集を見終わったあとに、買ってきた本を読み始めるが、すぐ隣の席に座っているカップルの話が耳に入ってきて、気になってなかなか読み進めない。カップルの彼の方は、会社の食堂で昼食に「カレー」と「サラダバー」を食べるのを習慣としている。サラダバーで野菜を食べるようになってから肌がきれいになったと言っている(もうこの年では「にきび」とは言わないが、そういうものが出来にくくなった、そうだ)。カレーは日によってはハヤシライスになる。そういう話が聞こえてくる。私も昼に社食で食べるときには、必ずサラダバーを使うけど、皮膚の調子がどうのこうのという実感はない。というか「お肌」なるものの調子に気を回したことがない。
 CDはクロード・ウィリアムス・トリオの「ニューヨークの秋」になる。
 (トムネコゴhttp://thomnecogo.exblog.jp/

 店を出て、延々と歩く。再び鎌倉駅あたりに戻り、御成商店街を抜け由比ガ浜商店街を歩き、ラ・ジュルネで遅い昼食。ベトナム風肉ごはん。たっぷりの野菜をむしゃむしゃと食べていく。そのときはそんなことは思わなかったが、いまこれを書きながら、さっきのカップルのサラダバーの話が遠因になって野菜を食べたくなった可能性もあったのかな、と思う。今日は、いろんな店に普段はありえないほどの列が出来ている。ラ・ジュルネも混んでいる。店内の切花はなんという花なのか、赤紫の花が美しい。

 由比ガ浜に出て、波打ち際で遊んでいる子供たちやらを写真に撮りつつ西の方へ歩く。今日も鯉のぼりをたくさん連ねた凧が揚がっている。砂浜に来ると、外国の方の比率が高いように思う。白人の子供たちが遊んでいると、急に日本の海がどこか遠い国の海の景色のように見えてしまうのは、これはこちらの偏狭な感覚だろう。
 ゴミはそれほど多くはないが、波打ち際に延々と海草が打ち上げられている。これらの海草は、そもそも抜けて打ち上げられるシーズンというものがあるのか、それとも少し前に海が荒れた日があってそれでむしりとられてしまった分なのか、そういうことも判らない。

 しばらく行って国道134を渡り、坂ノ下の迷路のような住宅街に入る。古い木造住宅は、長年にわたり潮風に当ったせいもあるのか、浮付いていないというのかな、老人の日に焼けた皮膚のようだった。最近、この迷路のような住宅街のなかにカフェ「坂ノ下」という店が出来たということは雑誌で知っていたが、そのせいか路地の中で若い女性に出会ったりする。

 坂道を登り、また降りて、極楽寺駅前。更に歩き続けて稲村ガ崎。駅に近い方の「R」の二階ギャラリーで茅ヶ崎LUFTという店の小さな鉢植えの展示会を見る。頭を梁にぶつける。小さなこぶが出来る。何人もの方がぶつけていると言うから私だけのドジではないのだった。二階から外を見ると小さな子供とお爺さんがキャッチボールをしている。もう彼らの影が長い。
 絵本作家の伊藤さんの個人美術館に立ち寄り、歯医者さんの広報誌だか学会誌だかの季報の表紙シリーズを眺める。
 しばらく行くとまた海に出る。七里ガ浜の駐車場に行き、砂浜を見下ろすポジションから写真を何枚か撮る。鳶は少ない。ウクレレを弾く人。女性の方が感極まって男性に抱きついているカップルの男性は若干戸惑いの笑顔。砂の中にほとんど埋もれたまま顔だけが出ている四、五歳の男の子はそのまますっかり眠っている。ところどころに残っているいろんな人が作ったはずの砂のお城は、どれもこれも富士山もしくは円錐の形でバリエーションがない。何かの秘密結社の合図のようじゃないか。

 鎌倉高校前から江ノ電に乗る。満員で通勤電車のようだ。それも7時〜8時台の横浜川崎間ののぼり東海道線並みだ。今日はちょっと歩きすぎだな。足が痛い。


農協のトマト


トムネコゴでめくった「センチメンタルな旅 冬の旅」


ラ・ジュルネ、今日の花


由比ガ浜にて波と戯れる少女。すばしこい。